2009/2/2

生きる〜2009 若い命を支えるコンサート 下野 & 東フィル 小児がん征圧キャンペーン 2/1  オーケストラ

このコンサートは毎日新聞の主催、同社が継続的におこなってきた「小児がん征圧キャンペーン」のためのチャリティー企画である。今回は、東フィルが演奏するオーケストラ・コンサートに、老若男女3人のソリストが協奏的な作品で共演、最後に、オケ単体でラヴェルの「ボレロ」で打ち上げるという内容。指揮は、下野竜也が担当。

【まず小児がんについて】

日本人にとっての国民病といわれるがんだが、15歳以下で発症するがんは、大人の罹患するがんとは、すこし傾向がちがうようだ。その詳細は省くとして、「小児がん」に罹患する子どもたちは、毎年、2500人程度で、目下、17000もの子どもたちが闘病中ということだ。がんは長く生きた人のほうがかかりやすく、がん発症者のうちに占める子どもの割合は、1%にも満たない。だが、小児がんは肉腫と呼ばれるタイプのがんが多く、がん対策の最大のポイントである早期発見が難しい。3歳以上の子どもの死因として、小児がんは交通事故に次いで、2番目に多いということである。

だが、近年では、治療のノウハウが進み、「小児がん」と診断された子どもたちの6割は病気に打ち克って生存できるような傾向になってきた。だが、そのためには長い闘病が必要で、その間の経済的な負担も重い。ちゃんと治療すれば、よくなる子どもたちが多いなかで、経済的な問題から、命を失うような子どもたちが出てくることも懸念される。そういった問題に少しでも力になるために、このようなチャリティーが重要というわけだ。

毎日新聞社による「征圧キャンペーン」では、これまでに1億9600万円の募金を医療機関や患者の支援団体に贈呈しているとの次第。

【同世代からヴァイオリニストが登場】

まずは、小児がんにかかっている子どもたちの同世代を代表して、全日本学生音コン、小学生の部で優勝した、ヴァイオリンの東條大河が登場。曲目は、メンデルスゾーンのホ短調協奏曲から、第1楽章。1997年生まれ、いまだロー・ティーンの彼は、今回が初めてのオケとの共演となった。にもかかわらず、その堂々たる演奏は会場を惹きつけたし、一生懸命に弾いているのがわかって、いかにもハートフルだった。最後、ものすごく速くなってしまったが、下野がオケに鞭を入れて破綻には至らない。彼の優しさがよくわかる伴奏で、1曲目からじんと来る。

演奏後は、さすがにステージ・マナーがバラバラで、スタスタ下がってしまう少年に、会場は爆笑。山梨に育つ屈託のない東條の姿に、こころ温められた。遠くから、ありがとう。将来、素敵なヴァイオリニストになれるといいが!

【つづいてはビューティ】

成功するCMの3要素=ABCのうち(さすがにA=アニマルは登場しない)、チャイルド(C)登場のあとは、ビューティー(B)である。フルーティストの高木綾子は、早くから注目され、その美貌も手伝って引っ張りだこの人気。2005年、神戸の国際コンクールでは、先日、聴いた小山裕幾の優勝した大会で、3位だった。毎コン優勝などの経歴もある。

今回は、曲目がとても面白い。最初は女性作曲家、セシル・シャミナードの「コンチェルティーノ」。女性らしく、たおやかな詩情に満ちた佳曲。序盤は技術的な部分で、やや粗いものを感じたのだが、作品全体を通してみたときに、聴かせどころを知っているという感じがして、歌ごころがある。ビゼーの劇付随音楽「アルルの女」組曲の〈メヌエット〉は、そうした歌ごころがもっとも繊細に生かされた演奏で、素晴らしかった。ややアンニュイのある響きと、上に抜けていくような明るさが同居し、深みのある演奏である。

グルックの歌劇「オルフェオとエウリディーチェ」の〈精霊の踊り〉は、オケもソリストもやや粗い。19世紀の作曲家、ジュナンの「ヴェニスの謝肉祭」は、とても技巧的な曲。唇がどうにかなりそうな大変な曲だが、得意とする曲なのか、しっかりしたフォルムで描きあげている。曲はやや退屈で、労多くして功少なしの感あり。

ジュナンの曲だけでもそうだが、4曲もつづけるのはハード・ワークだろうし、華奢な高木、よく頑張ったというべきか。

【左手1本だからこそ、いい!】

休憩後は、舘野泉が登場し、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」を演奏した。舘野は周知のように、2002年に脳溢血を患って右半身が不随となったが、その後は左手1本での演奏活動をつづけている。70歳を超える氏だが、その端正な演奏は、小児がんと闘う子どもたちへのエールというよりは、手本を示すかのようなパフォーマンスであった。

実は、舘野の演奏を聴くのは初めてあのだが、こんなに素晴らしい演奏をするとは知らなかった。彼の演奏を聴いていると、左手だけでもこれだけ出来る・・・というのではなく、左手1本「だからこそ」出来るパフォーマンスというのを示してくれる。ラヴェルの左手協奏曲は素晴らしい曲で、両手で弾けるピアニストの演奏もよく聴くが、舘野の演奏は、良い悪いを超越して、この曲が存在し、その曲を弾くことができる感謝の気持ちで、全編が貫かれている。

オケの序奏から、強烈なハンマーを打っての登場。その後は、ひょうひょうと譜面と向きあう実直な演奏。鍵盤の端から端まで、鍵盤の上に手を滑らせるときの、優雅な指さばき。第2部は、舘野のヴィルトゥオージティが現れ、左手1本だからこその強いメロディが、ぐいぐいとオケを引っ張る。きっとピアニストは、この曲を弾いているうちに、左手1本で演奏しているという実感が消えていくだろう。楽曲が進むごとに、楽曲と一体化していく舘野の演奏に、それまでの淡白さから、喜びやユーモアが溢れてくるのは、この左手1本の窮屈な楽曲に、舘野がいかに多くの自由を見出しているかということの証拠である。

極めつけは、3部のカデンツァだろう。手の込んだ技巧的な部分だが、それを、まるでモーツァルトのようなシンプルさで印象づける。その完璧な統御、自然に浮かび上がる歌ごころの豊かさ、とりわけ、あの透明な響きは、特にシベリウスを得意とする舘野ならではのものであろう。

今回の演奏は、ピアノとオケの関係を面白い。下野はごく素直な解釈で、響きの美しさを抽出し、そのやり方は舘野の演奏とも符合する。だが、より重要なのは、独奏との協奏部では、ピアノの響きを補強するように、見事なオーケストレーションを配しているラヴェルの意図を浮かび上がらせ、低音を補強するチューバや低音弦の響きから、果てはピアノのアルペッジオの動きにあわせた、ヴァイオリンの響きまで、丁寧に細工をしていることである。そうすることで、ピアニストは自分の1本の腕が、信じられくらいゆたかな響きを奏でるように、錯覚する(もちろん、最終的には自覚する)。そうしたこころの配慮が、この作品に満ちていることを、舘野と、オーケストラが教えてくれるのだ。

大きな賞賛に応え、アンコールに演奏したカッチーニの「アヴェ・マリア」は、忘れられないものになりそうだ。難しい曲ではないが、1音1音を大事に演奏する舘野の打鍵の美しさは、ダイレクトに聴き手のこころに優しく語りかけてくる。演奏がおわると、会場のあちこちで涙を拭う聴衆の姿があった。この舘野の演奏が、この日のハイライトだっただろう。なお、彼はこのコンサートに先駆けて、20万円を寄付したという。

【まとめ】

最後は、オケ単体で「ボレロ」が演奏され、華やかに締め括った。良いとか悪いとかいうべきコンサートではないが、オケを含めて、この演奏会に特別な感慨を抱いて、演奏してくれたように感じたし、その想いを感じるだけでも、楽しいコンサートだった。プログラムには、指揮者と3人のソリストから、子どもたちへメッセージが寄せられている。

舘野は言う・・・「私は、ピアノを左手だけで弾くことを全然疑問に思ったことはありません」。病気になったことは不幸だけれども、それを受け止めてこそ、新しい道が開けるという舘野の「哲学」だろう。

また、下野は、「みんなの頑張りは、とってもとってもすごいことだと思います」と平易な表現で呼びかた上で、次のように結んでいる。

 コンサートでは、音楽の持つ力を信じて、ひとつひとつの音を
 大切に奏でたいと思います。

正しく、その言葉どおりの演奏であったと思う。同じように、東條少年も「ひとつひとつの音に、僕の精一杯を込めて弾きたい」、高木も「希望が少しでも増えるよう、願いを込めて演奏したい」と書いている。正しく、いろいろな想いが乗った素敵なコンサートであった。

オケのほうも定期のような機会ではないものの、全力投球で臨んでくれた。東フィルは久しぶりだが、劇場やバレエでの演奏経験がプラスに生きており、かなり融通の効くオケになりつつある印象をもった。東フィルについては詳しくないが、コンマスは青木高志であったと思う。
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