2008/6/15

ラザレフ ローマの祭り 読響 芸劇マチネー 6/14  演奏会

【ラザレフの特徴について】

読売日本交響楽団、6月のシリーズはアレクサンドル・ラザレフの登場だ。日フィルの首席となった彼だが、このオケとも定期的な関係が続いているので、今後の客演がどうなるのかは注目に値する。読響としては、手放したくないところだろう。今回の芸劇マチネーは、ラフマニノフとレスピーギのプログラムを取り上げた。コンマスは、藤原浜雄。

最初にまとめておくと、今回のラザレフの演奏は、なかなかに味わいぶかいものだった。幻想曲「岩」で繊細な詩情を丁寧に紡ぎだしていく演奏から、「パガニーニ狂詩曲」でみせた音色のマジックでみせる詩情の深さ、そして、「ローマの祭り」では、絢爛豪華な響きのなかにひょっこりと顔をみせる神さまの詩情と、形を変えたポエジーが確かに胸へと届く。そして、バランスが素晴らしい。良い指揮者の絶対条件ではあるが、ラザレフはよりわけ耳がいいのだろう。「祭り」のような派手な曲想のなかで、金管、木管、弦、打楽器、それらのどれもがひとつひとつの山となって、力一杯に組み合っている。そういった演奏である。豪胆な面もあるが、それだけでは説明できない卓越したバランスの感覚がなければ、この山々をひとつのハーモニーとして織り上げていくことはできない。

【漂う詩情、凝結させた『岩』の演奏】

前半は、ラフマニノフである。最初の幻想曲「岩」は、レールモントフの詩と、その文句をエピグラフに使ったチェホフの小説に基づいており、どちらかといえば、後者に傾いていることが解説に述べられている。演奏は正しく、この2つの要素を二重写しにしたような雰囲気があった。すなわち、大きな岩が晴天の青い空の下、どっかりと座った巌の上に、鳥たちが囀りながら羽ばたくようなベースの上に、駅舎の中でのロマンスが、巧みに重ねられていくのだ。冒頭、低音弦の唸りが印象的だが、その間をひらひらと舞うフルートなどの音色も美しく、きらきらした音色にしんみりと浸りこめる演奏だ。ラザレフもぐっと抑えた表現で、漂う詩情を凝縮させていく。

後半、山がのっしりと動いて、晴天だった空にあやしい雲がかかり、岩肌に激しい雨が降りかかるときだけ、少しだけ重みをかけるが、全体はどこか物足りない部分を残しつつ、しっとりと弾きおえていく。「物足りない」というのは演奏の拙さではなく、チェホフの短編の特徴でもある、もうひとつ満たされない気分を思わせるものだ。声音を変えて吹かれる、ホルンの響きの柔らかさは特筆すべきものである。

【よく練られた構成感によるパガニーニ狂詩曲】

同じくラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」は、「熱狂の日」アーティストでもあるフランソワ=フレデリック・ギイを独奏ピアノに迎えての演奏だ。独特の雰囲気をもったギイだが、やはりフランスのピアニストらしく、音色の美しさにこだわった演奏である。ひとつひとつの打鍵はやや抜き気味だが、その分、ふうわりと浮かび上がる音色のカラフルさは、また一味を提供する。私の好きなタイプのピアニストではないが、ただの手抜きでないことは指摘しておく。導入部からテンポを速めにして、細部ごとに彩色していく手法で、サクサクと進む。その分、細かい打鍵は省かれている。オーケストラも、ピアニストの音色を貰って、薄く伸ばすような役割に徹する。

怒りの日のテーマが現れる第7変奏を焦点化して印象づけるが、その後のいくつかのテーマ変奏は控えめで、再びテンポの遅くなる第11変奏からが、内面的なクライマックスとなる。モデラート、テンポ・ディ・メヌエットでの、沈潜する孤独な響きがなんとも象徴的だ。その後、改めて孤独で寂しげな感情が浮かぶ第16/17変奏(アレグレット)まで、中間は軽めに演奏される。すなわち、このような構成のメリハリが、今回の演奏を貫くカギであった。そして、第18変奏のアンダンテ・カンタービレが、このような内面にある内向的な感情の不器用さと、表面的な優美さが手を組む最高のポイントであることはいうまでもない。このタイプの演奏は好きではないが、ギーとラザレフがつくりあげた、このような構成の妙には惜しみない拍手を送りたい。

どちらかといえば、深く沈潜していく部分に重々しいポエジーが織り込まれており、ときにバレエ音楽のようでもある、オケの細かい動きに耳を奪われたこともある。それは、胸のうちの問題にカタがつけられた第19変奏以降のコーダ的な部分に顕著である。この最後のピースは、ギーとしても打鍵の精妙さに気を配っており、ピアニストの卓越したヴィルトゥオージティが印象づけられた一幕であろう。ラザレフも譲らず、力強い響きを被せていた。

【見事なバランス示したローマの祭り】

メインは、レスピーギの交響詩「ローマの祭り」。元来、轟音が響き、煌びやかで、演奏効果の上がりやすい曲ではあるが、それだけでは語り尽くせない魅力に溢れる演奏である。まず、金管のバンダを3Fに、マンドリンをオルガン席の端に置いたりしたこともあって、立体感のある演奏であった。舞台上の響きもよく膨らまして、バンダのつくるスペースに負けないように工夫されている。音色もよく練られており、例えば、第2部の前半で、艶消ししたような響きが思いきって選ばれているのは、後半の煌びやか音色との対比で、優れた効果をあげている。第2部おわりの鐘は無機質に鳴らされるが、これも思いきったアイディアで、こうすることにより祭りの喧騒をよそに、堂々と時を刻む教会の・・・ローマの教会だからこその威厳が、しっかりと刻まれるように思えた。

このように、ラザレフの演奏は、本当に祭りの最中にいるような立体的で、リアリティのある喧騒の響きを思いきって立ち上げ、それを最後に、ほんの僅かな象徴物できれいに拭い去ることで、信仰の不思議なパワーを表現するものとなっている。そのメリハリ、また、賑やかな部分での情報量のゆたかさ、繊細に織り込まれたポエジーが、絶妙のバランスで構築されている。

第3部は、レスピーギにとっての「現代」が、絵に描いたように写し取られているのを、しっかり再現している。弦のマンドリンの響きは配置から、やや遠めに聴こえるが、しかし、雰囲気は十分。マンドリンの登場以降の場面で、親しげに編み込まれていくエピソードが柔らかく輝いていたのが印象に残る。鈴の音に乗って、出現するのは至高の聖人であろうか・・・。

第4部は、レスピーギにとっての「未来」が、主顕祭の賑わいに託されて自由に迸る。ここの音楽は、1928年という作曲年代からいっても、かなりの新しさを感じさせるが、ラザレフのシャープな音楽づくりが、それをいっそう強調するかのようだ。いまから聴けば、アメリカ的な響きをもつともいえそうな、金管とパーカッション主体のアンサンブル、それもミュージカル風の音楽となるが、木管の情報量も十分に多く、内側から押し返す弦の圧力が遺憾なく引き出され、実に密度の濃い、奥行きのある響きに仕上がっている。一見、弾けきった熱狂的な演奏であるのに、よく計算されたフレージングが効いており、エピソードの推移が明確なのが特徴となる。また、サンタレッロの跳躍感が丁寧に織り込まれており、そのステップの面白さにも感銘を受けた。これは、なかなか聴けない演奏である。


【プログラム】 2008年6月14日

1、ラフマニノフ 幻想曲「岩」
2、ラフマニノフ パガニーニの主題による狂詩曲
 (pf:フランソワ=フレデリック・ギイ)
3、レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

 コンサートマスター:藤原 浜雄

 於:東京芸術劇場
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