2007/11/26

パイヤール フランス音楽特集 水戸室内管 11/25  演奏会

ジャン=フランソワ・パイヤールは、まもなく80歳を迎えようというフランス音楽の生き字引である。その彼が8年ぶりに、水戸室内管(MCO)の指揮台に立った。そして、そのプログラムは、このオケ、この指揮者でないと、とても舞台にかからないような内容だった。

パイヤールの演奏に触れるのは初めてだが、録音などで聴く、きっちりしたフォルムのイメージとは違い、指揮ぶりも決して巧くはないし、「指揮」というよりは、奏者たちの輪のなかに入り込んでしまう、コミュニケーション系の能力が強い指揮者であることは明白だ。このリーダーにして、あのアンサンブルの精密さなのだから、往時のパイヤール室内管というのは、どれだけ巧かったのだろうか。パイヤールの指揮は、ドイツ系のバリバリな組織頼みではなく、どうぞ自由に歌ってくださいという感じがベースにある。その意味で、前半の演奏は、やや完成度が低い。だが、それにもかかわらずやりたいことが明確で、そのチャレンジを奏者が楽しんでいると、多少の出来のバラツキはあっても、ある程度の満足感は得られるものだ。

ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」は、工藤重典のフルートが気合十分で、前半の目くるめく響きの多彩さは出色だった。つづくフローラン・シュミットの「交響曲ジャニアナ」は、弦楽合奏の室内オケ用の交響曲だが、ソロや室内楽的な部分が、より大きな単位と絡みあうように作られており、ソロが来たと思ったら、それにすべてのパートが被せてみたり、他のソロが呼応してみたりで、まるで1人1人が即興でやっているような風でもあり、パートとしてのフォルムも一定しない。音域も非常に微妙な、要するに、それぞれの楽器で弾きにくそうな部分が多く選ばれており、美しい響きを構築し、維持していくだけでも大変な曲目だ。六分どころの出来ながら、弾くほうは大変でも、聴いているほうは、目くるめくトランスフォームの妙や、音色の重なりやずれの具合を追うだけでも、いろいろに楽しい。

ヴァンサン・ダンディの「古い様式による組曲」は、弦楽五部に2本のフルートとトランペットが加わる。元来、トランペットが入る曲として依頼されたように、1本だけではあるが、トランペットが重要になる。ここは、新日本フィルのデイヴィッド・ヘルツォークが柔らかい音色と、力強く典雅な響きを上手に使いわけて好演した。華やかなプレリュードのあと、いかにも古風なアントレ(導入部)を経て、サラバントのゆったりしたニ短調、レ・ラ・レの音型が耳に残る快活なメヌエットの躍動感、薄い層が丁寧に重ねられるロンド・フィナーレのフーガの見事な調和など、それぞれの楽章の役割が明確であった分、どうしてもあわないのが普通の、2本フルートのガチャガチャした感じや、弦の錯綜した雰囲気などは相殺される。

後半は、ぐっと質のいいアンサンブルが仕上がっていた。前半の曲目と比べると、技術的に平易なこともあろうか、「アルルの女」は非常に優れた演奏が展開された。よく知られた組曲版では編成が大きすぎるため、今回は、よりコンパクトな編成で書かれた、大もとの劇付随音楽の版を抜粋した演奏となった(組曲版と目立った違いはない)。全体に非常にフィジカルな演奏であり、アンサンブルのシンプルさを何かで埋め合わせようとすることなく、その単純さを素朴に見せていく演奏であることに好意をもった。ただし、非常に音色が豊富な演奏でもあり、mp 以下の弱奏における響きの緊張感も抜群だ。この曲でも、やはりナンバーごとの性格が明確であり、そのような部分にパイヤールの深い見識が光っている。特に、カリヨンからメロドラマ、ファランドールとつながっていく後半部分で、それは顕著だった。

ルーセルはここのところ、私のなかでは俄かに評価の高まっている作曲家だが、パイヤールもまた、ルーセルに対する評価が高い。交響曲などでは、一本柱を抜いたブラームスのような感じで、力強い構造美と、フランス的な響きの軽さが相俟っている印象だが、この舞踊組曲「くもの宴会」は、より酒脱な感じの楽曲である。パイヤールは間を空けずに、5つのピースを連続して演奏したが、それは素材のコラージュ的な感じもある、組曲の構造的な弱さを補う意味もある。

演奏は、やはりピースごとの性格がハッキリしており、正しく標題のように、くもの宴会が盛り上がるパートに焦点が来ている。前奏のフルートは、秋の夜を思わせる落ち着いた響きで、我々には身近な感じである。糸をスルリと伝うようなくもの動きが、グリッサンドで表現される部分などは、実にうまかった。ルーセルはオーケストレーションに難ありと言われるそうだが、このあたりの響きのブレンドなどは実に巧みで、目くるめく響きの彩りが眩しいぐらいだ。蝶を捉え、宴席は盛り上がっていく。もうひとつの柱は、かげろうの優美さなのであるが、その部分と、葬送の部分に入ってのおどろおどろしい響きの対比は、耳をひく。最後は、この日の演奏会で、しばしば重要な役割を果たしたフルートの、丁寧な吹奏で静かに幕を閉じる。

こうしてパイヤールによる、独特のプログラムの演奏会も幕を下ろした。前回のヴィンシャーマンのときほどの、ずっしりした感慨はないものの、このパイヤールの演奏も、十分に客席を楽しませたことは確かだ。今後、どこにいっても体験できないような曲目だけをみても、貴重な機会であったことは否定のしようもないし、パイヤールの大らかな音楽づくりにも共感を覚えた。彼は、奏者たちの隠れた力を引き出すような魔法は使えないが、その分、ありのままのアンサンブルを取り出し、聴き手に開いてみせることができる。もはや俎板の鯉となったMCOのメンバーたちは、タネも仕掛けもない率直なパフォーマンスで、パイヤールの導きに応えたといえる。

ヴィンシャーマンの回と同様、今回も録音が入っていた。記録用かもしれないが、多分、「ゴールトベルク」と「アルルの女」でプレスするつもりではなかろうか。1日目にはNHKのカメラも入っていたそうなので、どこかで中継されることがあるのかもしれない!
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