2007/2/4

河合優子 リサイタル @三鷹市芸術文化センター 2/3  演奏会

ポーランド派がまとめたショパン・ナショナル・エディションの普及者として、国内で独特の活動を展開するピアニスト、河合優子さんの、三鷹市芸術文化センターでのリサイタルを聴きました。

このピアニストの演奏をはじめて聴いたのは、2005年の7月のことです。浜離宮朝日ホールの主催公演で、「ショパンの新しい波」と題し、ポーランドのヤン・エキェル教授の一派を中心に、ポーランドが国を挙げて纏め上げたショパンの楽譜「ナショナル・エディション」を紹介する一連の企画においてのことでした。その第1日にパヴェウ・カミンスキ教授のレクチャーを受けて、すっかり洗脳を受けた私だったのですが、そこで通訳兼司会をやっていたのが、河合さんでした。翌日にピオトル・パレチニの演奏に感銘を受け、半分しか聴けないことがわかっていながら、そこを端緒に全曲演奏シリーズを始めるという、河合さんのコンサートにも足を運びました。

河合さんの演奏は、パレチニと比べると硬と軟です。決して器用な人とは思いませんが、非常に繊細な詩情をもっていて、聴くものを自分のほうに惹きつけてしまうのです。そして、自分のやりたいことを、はっきりと出す。テンポルバートなど、ショパンの特徴づける要素において、これ以上ないほどの説得力を発揮します。左右の強烈なハンマーを持ちながら、地はかなり穏やかであり、ダイナミックさと、丁寧な表現力を併せもったピアニズムが印象的でした。

その後、2回目の全曲演奏会を堪能したものの、今年1月におこなわれた、3回目の演奏会は都合で行けなかったため、ここで聴いておこうと思いました。

最初のレント・コン・グラン・エスプレッシオーネ(ノクターン第20番)は、メロディが国内でつとに有名なこともあり(最近では、小菅優さんもアンコール・ピースに愛用しています)、彼女を象徴する曲目でもあります。ところが、今回は非常に慎重な演奏で、一音一音をじっくり確かめながら、丁寧に内面を描いていくのが印象的でした。

これに象徴されるように、多分、初めての演奏となるホールだということもあり、今回のリサイタルは、テンポも抑えめですが、自分の音に耳を傾けながらの、慎重な演奏が続きました。2005、2006年のリサイタルでは、自分の決めたことに忠実に、思いきって突っ込んでいく、パレチニのスタイルからの影響がはっきりみられたのですが、今回は、わかりやすい解釈をしっかりと貫く、堅固な意志はそのままに、実際の音をより精確に把握しながらの、完成度の高い演奏が聴けたのです。

2曲目の(WN.56)のモデラートは、まだ全曲シリーズでは演奏していない曲だったかもしれないのですが、お披露目するからには、たとえ、わずか1ページの曲であっても、手抜きはなかったと思います。短いだけに、ショパンの呼吸が詰め込まれた佳曲で、静かな表情がぼうと浮かび上がってきた演奏に、舌鼓を打った一時でした。3曲目の(WN.23)のノクターンまでは静かな曲がつづき、すこし変わった雰囲気に包まれた会場です。

ギャロップ・マルキ(WN.59)、アレグレット(WN.360)と小品をつづけて助走をつけ、幻想即興曲で跳びあがったのが、最初のハイライトでしょう。この幻想即興曲もメロディが有名な曲ですが、「より後に書かれたヴァージョン」を選んでの演奏でした。ABAの構造の、A部のフォルムが流麗で、浮遊的なのに対して、トリオの堅固な構築感が明確であり、それが中間部の内面にある憂いと、程よく結びついているのが特徴です。A部に戻ったとき、その両方が聴き手のイメージのなかに残っていることが重要ですが、今回は、それも成功しています。

いちど拍手を受けたあと、(WN.62)のノクターンを挟んで、バラード第1番を演奏しましたが、これが面白い演奏でした。まず耳をひくのが、テンポのゆったり感だと思います。序奏から第1主題は当然ですが、その後、楽曲が展開していくにしたがって、ピアニストが自分で決めたテンポなのに、どんどん速まっていくのが普通です。そうすることで、ショパン独特の、舞踊を思わせるリズムの動きが出てくるのだとも思います。

今回の河合さんの演奏からは、その揺れをなるべく少なく、滑らかにすることで、内面の静かな揺れ動きを掬い上げようとする意図が感じられます。無論、大胆でスリリングなパッセージの強さを生かした上で、特に繋ぎの部分の禁欲的なまでの我慢が、この演奏を高い次元に引き上げているのです。また、休符の存在感ということもあるでしょう。もちろん、背景には、このホールが響きすぎるという事情もあるとは思いますが、むしろ、そこを逆手にとって、ときどき髪の毛をかき上げたりしながら、河合さんは空間に休符を刻みこんで、見事に響きの世界を収縮させていくのでした。

このことが、つとに面白く表れたのは、結尾の部分だと思います。この曲のハイライトはコーダの鋭いフレーズからの流れで、どうしても急速なパッセージで駆け下りる部分の激しさに行きがちです。ところが、河合さんの演奏では、それを受け止める部分の堅固なブリッジと、前の流れを跳ね返して上行する短いパッセージ、さらに、それを締める低音の押さえに力点が感じられるのです。

この演奏の見事さに、会場からは熱い拍手がつづくものの、1回呼び戻されて下がったあと、いきなりアナウンスを入れて強引に切り上げる、ホールの進行は問題だと思います。本人の意志もありましょうが、ここのホールはしばしば、こういうことがあるようですので、多分、ステージマネージャーのデリカシーが足りないのだと思います。

後半は、ピアノ協奏曲第1番を作曲者本人がピアノ独奏用に編曲したものを演奏しました。室内楽用に手を入れて、ピアノ何重奏などという形で演奏されることはしばしばですが、ショパン自身が編曲した、この独奏版となると、私も今回がはじめてでした。基本的には、オーケストレーションされたものが、そのままピアノに移っているだけの印象です。ただし、独奏部とオケのやりとりがより滑らかになっており、もともと、こうやって作曲を進めていったのではないかと思われるほど、全体の流れがピアノのラインに整合しています。

そこだけ取り出して、あまり隙がないのは、もともとピアノ・メインの第2楽章だけでしょう。河合さんの演奏は、このコンチェルトでもきわめて慎重であり、そこに自ずと空いてくるスペースを無理に埋めることなく、ラインの美しさをシンプルに浮かび上がらせていく手法が素晴らしかったですね。

全楽章において、河合さんはオーケストレション版で独奏部として残った部分を、よりしっかりと象っておいて、オケ部分は主旋律になる部分でも抑えめに、ふわふわと響きを漂わせるような感じで、さじ加減を決めていたように思います。そうしたスタイルが、特に第2楽章ではまったともいえるでしょう。

終楽章のアプローチは、オーケストラの煽りがないだけに、ショパンらしい繊細なラインを味わいながら、燃え上がるようなパッセージを、上品に楽しむことができる点で、この版の重要なポイントであるといえるのではないでしょうか。第1楽章から第2楽章は、そのままの印象が強いのですが、終楽章は、仮面を脱いだピエロの素顔が拝めるという感じがします。特に、転調を繰り返しながら、民俗的なエピソードが出てくる場面が出色で、悠々と思いきった休符を効かせながら、じわりじわりと進んでいく展開が興味深かったと思います。

しまいは、オーケストラとのコンチェルトでは、オケとピアノが正面からぶつかりあい、特に、ピアノの渦巻くような動きが遠心力を引き起こし、全体を大きく転回させるところに醍醐味があります。しかし、この独奏版では、そのような円運動は希薄である分だけ、むしろ、パッセージの刻む力に独特のエネルギーが宿ります。これを例のたっぷりしたスタイルで追いかけるものですから、外面的なものよりも、内側に向かって強烈に作用する力が、どんどん凝縮していくように感じられます。

オケ版では最後に、それをバロック風に吹き上げられるトランペットで一気に解放するのですが、独奏版では、むしろ、それを溜め込んだまま、最後の解決に飛び込んでいくので、バラード第1番の最後と同じように、終結音で抱えきれないものが、最後の休符にびっしり突き刺さっていくような感じを受けます。面白い演奏でした。

今回のリサイタルは、これまでの河合さんのスタイルとは、若干のちがいがあったように見受けられました。一言でいえば、完成度の高さに拘り抜いた演奏であり、アンコールの演奏もありませんでした。これが初めてのホールでの暗中模索であったのか、彼女のスタイルの一層の成熟によるものであるのかは、私にはよくわかりません。しかし、彼女らしい繊細さに磨きのかかった、質のいいリサイタルであったことは確かではないかと思います。6月には、再び朝日ホールでの全曲演奏会のシリーズが予定されており、そこで彼女の進境を確かめてみたいと思います。
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