はなさんの日記
「生きものの豊かな田んぼ」
Cの2 2008年10月03日06:11 NHK教育テレビ
知るを楽しむ 人生の歩き方
−岩澤信夫 生きものの豊かな田んぼ−<全4回>
第四回 田んぼを守るために (1)
黒田アナウンサー :K
岩澤信夫さん :I
無農薬で行う耕さない田んぼでの米作り、すると 田んぼの中に生きものたちが 住みはじめます。
農業の経験のないお母さんたちが育んできた わずか30アールほどの小さな田んぼ、
都会には珍しい生きものの楽園となりました。
自然がしだいに減っていく町の中で 今では子供たちの恰好の遊び場となっています。
農作業がなくても 自然と人が集まる。
耕さない田んぼが いつしか地域の人たちの大切な場所へと 変わっていったのです。
千葉県香取市
今年3月 岩澤さんのもとに 耕さない田んぼでの米作りを学ぼうと 全国から40人が 集まってきました。
岩澤さんは 7年前から「自然耕塾」と名づけた塾を 開いています。
これから農業を始めようとする人たちに 耕さない田んぼでの米作りを教えているのです。
K 「自然耕塾って わざわざ あの 九州あたりから来るような方も
いらっしゃるし、ねぇ。」
I 「はい。 今日本中から来てます。
これはアンケートを取ったらね、だいたい64パーセントの人が
定年退職したら 農的生活をしたい、 農村行って住みたいっていう
希望があったわけです。
この人たちに 何とかその 化学肥料と農薬で攻め込む農業じゃなくて
本来の農業を教えたいと思って 自然耕塾ってのを開いた。
ですから 初めの頃は 結構定年退職する人たちが 多かった。」
K 「でもね、定年って57・8から60。
団塊60過ぎてるじゃないですか。 それで農業を始めて
どうなんでしょう?」
I 「いやいや、 今の農村は 平均年齢70過ぎなんてところ
いっぱいありますよ。」
K 「あ、高齢化している、農村が。」
I 「してるんです。」
K 「専業農家自体が。」
I 「専業農家が そうなってる。
だから60が まだ若い世代ですよ。」
K 「だけど 未経験なんですよ、農作業。」
I 「はい。だけどね、ちゃんとポイントを きちんとおさえれば
農業ってのは できるんですよ。
その時にやる手段が まちがわなければ。
自分で 一番はじめは、スタートは 自分の食べるものは
自分が作る っていうところからスタートするんです。
そりゃあ 安全であることには こしたことない。」
K 「やっぱり夢中になって 作りますよね。」
I 「はい。」
K 「あの収穫の喜びを一回体験すると どうでしょう?」
I 「はい。やっぱり やみつきになります。」
自然耕塾では 月に一度 全員が岩澤さんのもとに集まり 稲の成長にあわせた講義が行われます。
今年の塾生の顔ぶれは 例年に増して さまざま。
年齢も経歴も特徴ある人が 集まりました。
ミュージシャン 35歳
「やっぱ 自分が安心して食べられるものってのを やっぱり
自分で作りたいと。
地球の必要性っていうのを かなり考えさせられるので
飛び込んだ感じでしたけど。」
元IT企業社員 50歳
「どうやってコストを下げるかだったら そのコストの中に
農薬だとか化学肥料とかも 入ってきちゃったんで それを
やっぱり 排除してという流れになってきていますけれども、
やればやるほど 美味しいんですよね、やっぱり。
藤崎さんのお米とかも。
こんなに美味しいお米がつくれるんだったら いらないじゃん
こんなもの全部 っていう話になってくるんで。」
農家に婿入りした元保育士 25歳
「この先食えない、米作りじゃ。
だからやっぱり どこかに付加価値つけて 売り方を変えて
と そういう考えがあったんで。」
岩澤さんの農法に惹かれる理由は 人それぞれです。
その中には すでに父親が 耕さない米作りを行っている
農家の跡継ぎのすがたもありました。
I 「かつて私が教えた会員の子供達、二世。
二世がね 今年は3人が入ってきてます。
冬期湛水やって、やると雁が来る っていう話をやって
雁が来た田んぼには 草が出ないという話しを聞いて
福島県の郡山市でですね、水をはってみたら 来たことのない
白鳥が来た。
今は300羽も400羽も来てですね、白鳥おじさん、おばさん
になった夫婦がいる。 そのせがれさんが 来てます。」
福島県郡山市
20年近く前に 岩澤さんのもとで学んだ 中村さん夫婦の田んぼです。
中村和夫さん
「環境とかなんか なんてことは全然。
やっぱり 田んぼうなわなくて(耕さなくて) そんで
できるんだったら それに越したことない。
言わば 横着農業だべな。
それがやっぱ 魅力だったから。」
今では 白鳥が集まる田んぼとして 有名になりました。
この 環境に優しい田んぼを継ぐために 3年前長男の直己さんが 東京から戻ってきました。
しかし、両親が 耕さない田んぼでの米作りを始めた当時は 正直抵抗があったそうです。
中村直己さん
「他の人と違ってるのやったりすると 周りの目とかも
気になってたんで すごい嫌だな と思ってました。
『テレビとか出んなよ、おやじ』 みたいな すごい
ありましたね。
すごい恥ずかしいんだけど みたいな、すごいありました。
はい。」
将来どんな農家になりたいですか?
「ま、いろいろあるんですけど 自分に自信が持てるというか
こだわりの数が いっぱいあれば ま、なんでもそうですけど
一流に近いというか 一流と呼ばれるものになってくる
と思うので、ま そういうのを 何か見つけながら
これから頑張ってやっていきたいですけど。」
和夫さんは 息子に田んぼの半分を任せています。
和夫「う〜ん。やっぱり他とは全然違うからな、農法が。
だから他から見れば あの親子変わってるからかなって
思ってるくらいでな。
でも うちとしては当然あたりまえのことなんだけど。
やっぱ農業に対するちゃんとしたポリシーだか 持ってて
もらえばな、別にな 自分の信念を通してもらえば
他から見てどうのっていう事ではなくて 自分のやっぱ
思った道を生きればいいと思う。」
つづく