はなさんの日記
「生きものの豊かな田んぼ」@ 2008年09月11日06:12
http://www.nhk.or.jp/shiruraku/200809/wednesday.html
NHK教育テレビ
知るを楽しむ 人生の歩き方 −岩澤信夫 生きものの豊かな田んぼ−<全4回>
第一回 日本の農業はコメだ
秋に稲刈りを終え 春の田植えまでの間 4〜5回田んぼを耕す、それが普通の米作りの方法です。
しかし、その常識をくつがえす農法があります。
田園風景が広がる千葉県下総台地 ここに耕さずに米を作る研究に 長年とりくんできた人がいます。
「そもそも耕さないなんてことはあるんですか?」
「普通ありません。21年間耕していないんです。
結局 草やなんかは 耕さない土地で子孫を繁栄させている。
雑草のように強い稲を作りたかった。だから雑草のようにたくましい。」
21年耕していない田んぼ そこでその稲を引き抜きます。
一般の耕した田んぼの稲と 耕さない田んぼの稲と 泥のつきぐあいがずいぶん違います。
泥を落として2つの根をくらべてみます。
根の分量が 違います。(耕さないほうが)より太く長く伸びています。
野生の稲と人工の稲の違いがあらわれます。
稲が野生化してしまう。
冷害、旱魃、病虫害に強く 絶対倒伏しません。
化学肥料、農薬も一切使わない。
何も使わなくても お米がとれるということを みつけました。
米作りの研究を始めて 四半世紀 たどりついたのが
「不耕起移植栽培」・・田んぼを耕さずに田植えする農法。
耕さない田の最大の特徴は 土が固いことです。
そこに植えられた稲は強いストレスを受け 反発することで根を太く長く伸ばします。
根が強いために 稲自信も大きく成長します。
岩澤さんは これを野生化と呼びます。
もう一つの特徴は 冬の間も水をはり続けることです。
それにより雑草の発芽がおさえられ 除草剤を使わなくてもすみます。
しかも 土壌が豊かになるのです。
稲刈り後 残された切り株やわらクズが水の中で腐ります。
すると水の栄養が増し 田んぼの中に微生物が大量に発生します。
そのうち水の表面を藻類が覆います。
それらがエサとなり 盛んに光合成を行うことで 生きものの住みやすい環境になります。
やがては 鳥たちが舞い降りる自然豊かな田んぼとなるのです。
岩澤さんは 今全国の農民とともに この不耕起栽培を広める活動を行っています。
99%の農民は 「農は耕すこと」と 思っている。稲に限らず 作物だろうが花だろうが耕さなければ作物は できないと思っている。
耕さないという事は なにしろ5〜7回も耕すのだから その分労力を省けますし高い石油エネルギーも使わない。
「自然界に土を反転した場所はない」
耕していないところに種を下ろし 子孫を反映しているのが 現在の地球上の植物、稲もその仲間なんです。
ところが、耕された 柔らかいところに植えられると 根を伸ばすのに苦労しない。
抵抗がない非常に弱い体質ができる。
不耕起移植栽培をやってみて 初めて、土が固ければ固いほど 丈夫な稲になることがわかった。
スパルタ式に鍛えあげる農業と 甘やかす農業。
私たちがするのは 鍛えあげる農業。
その違いが今になって わかってきた。
「不耕起移植栽培」は 環境に優しい栽培農法と 注目を浴びるようになり、生産者や消費者が 訪ねるようになった。
4月岩澤さんは 吉川栄治文化省を受けました。
これは 地道な活動に貢献した人に送られる賞です。
日本の農業のあるべき姿を模索する姿勢が 評価されました。
人生の半分近くを 農業技術の研究にささげ 多くの実績を上げてきた 岩澤さん。
しかし ここにたどりつくまでには 長い道のりがありました。
家は農家だが 父は新宅(分家)でしたので 大きい農家ではない。全然農業をやらなかった。タクシー会社をしていました。
まあ常識程度 何年か農業をやった。
手を豆だらけにしながら。 農業が大嫌いでした。
今も稲を見るのがすきで 触るのはあまり好きじゃない。
常にさわっちゃうと のめりこむ。稲なら稲の 狭い範囲しか見えなくなる。
見るっていうのは 周りも見るから 視野が広くなる。
ですから 人がこうやっていると「何故ああゆうことをやっているんだろう。
こういうふうにやったら もっとうまくいくんじゃないか、こうやったらもっとすごいんじゃないか」と そういう風に見ていく。
昔から こういう目があったんでしょう。
農作業は女房とお袋にまかせていた。
結婚してから やったことがない。
農業研究にめざめさせたのは 7月のスイカ作りでした。
6月に出荷できたら 倍の値段で売れる。
熊本のスイカと こっちの値段と倍も違う。
スイカを2重のビニールで覆う作戦で出荷を早めることができた。
自分のアイデアで農家が潤ったので 自信ができた。
1000円の札束がたくさん積みあがるくらいになって それから専門に
「農家が儲かる農業」に のめりこんだ。
40代にさしかかったとき ある光景を目にした事で 歩みを止めることになりました。
実りの秋を迎え 黄金色に輝く田んぼ そんな景色が岩澤さんの人生を変えたのです。
秋に飛行機で青森へ行った。
1万メートル上空から下を見たら ちょうど実りの秋で 黄金色の田んぼ、道路、黄金色のたんぼ、山があって 黄金色の田んぼ しか見えなかった。
その時「日本の農業というのは稲だ。稲をしなくては だめだ。」と 思った。
昭和41年までに日本一の米作りをする人を送り出したのは 秋田県だった。
11人の日本一の米作りの人がいて、その人たちに教えを請いに行った。
しかし、そこで 想像もしなかった事態に直面します。
1980年東北地方を深刻な冷害が襲いました。
米一粒も実らない田んぼ、その光景を目にし 岩澤さんは 農家以上のショックを受けたといいます。
私もまともに冷害というものを 見たことがなかった。 なにしろ あの大きな穂に100粒も200粒もモミがついているのに 1粒か2粒しか実が入っていない。
稲が頭を垂れるには 負荷がかからなければならない。だから 穂が皆まっすぐ上を向いているんです。
それで真っ青で実らない。これが青立ちで 青立ちの稲がざーっとあった。
しかし ところどころに ぽつんぽつんと頭を垂れる稲があった。
何が違うんだろう、品種か 栽培か?
栽培していた人に聞くと お年寄りばかりだった。
機械化しないで 手作業でしている。
どこが違うかというと 苗が違う。
そのおじいさん おばあさんの作るのは 水苗代(自然に近い状態で育てる昔ながらの育苗法) 畑苗代。
葉っぱ5枚の大きな苗を手で植えていた。
発見したのは苗には 2種類あることでした。
冷害で生き残ったのは 成苗という昔ながらの苗。
実らなかったのは 成長の途中で人工的に茎の部分を長く伸ばした稚苗と言う苗だったのです。
稚苗とは機械で植えやすいように改良された苗です。
田植え機の普及とともに 全国に広まり、今でも農家のほとんどが稚苗で田植えをしています。
岩澤さんはこのとき 人間が植物に手を加える現代の農業に対して疑問を抱き始めたのです。
稚苗稲作が冷害に弱い、はっきりこの時わかった。
今の機械化農法のお米というのは 本物のお米というのは ない。
人為的なことが あまりにも多くて 稲本来のお米はできない。
どういう時代が来ても 本物のお米だけは 残る。
本物のお米とは 「コメ」本来のお米。
おいしいというのも条件、安全というのも条件、機能性というのも条件。
「改良することで植物本来の力が失われて弱い種を作っているのではないか」と考えはじめた時 1冊の本に出会う。
それが 人が何もしなくても 米や野菜はとれるという 福岡正信さんの本
「自然農法 わら一本の革命」 (春秋社)です。
福岡さんに教えを請うが 稲の話は20分、後の2時間は哲学、宗教の話になって わからなかった。
そこであの先生の弟子のところを歩くことにした。
瀬戸内に何人かいる弟子の田んぼを 1年間追いかけた。
稲は耕さなければできない、耕せば耕すほどいい稲ができると 信じていたのに
「稲っていうのは 耕さなくても実るんだ」 ということを確認した。
これは新鮮でショックだった。
「そんなバカな」という気持ちもあったが 見ただけで変わった。
耕さなければ耕さないほど 丈夫な稲ができる、こんなことは考えられなかった。
自らの常識を覆された。
その時から 岩澤さんの挑戦と探求が始まります。
25年にわたる研究で 耕さないことの良さが次第に解明されてきました。
それでも道はまだ半ば 岩澤さんの研究は今も続いています。
稲はここ(穂)に「倉庫」をいっぱい作っている。
この倉庫を満タンにするのには稲が稲刈りまで 生きて、エネルギーを大量に消費しながら満タンにする。 その大本が「根っこ」なのです。
この根(不耕起の稲)の特徴は 根が真っ白なこと。
何故真っ白なのかというと 耕さないために土に酸素が入っていない。
したがって鉄が酸化されていない。そこに根がはるので酸化鉄の付着が少ない。
何回も耕すと何回も酸素を入れてしまう。酸化鉄が多い。 酸化鉄のよろいを着てしまう。
鉄のよろいを着ない方がいい。
この稲(不耕起)の根が まだどんどん伸びている。根が生きている。
「田んぼをあらためて見つめ直した時、稲自信が本当の米作りを教えてくれた」
岩澤さんは 今そう考えています。
全然今までの稲つくりと稲つくりの考えが 違ってきてしまった。
稲は地球の生きものの仲間なんです。
私たちが余りにも人為的にいじりまわしすぎている。
もう少し 彼らの独立性を認めて栽培すれば こんなに逆に苦労しなくて もっと簡単に稲はできる。
一人でも多くの農家にこの農法を伝えようと全国を歩いてきました。
わが道を行く。
Going My Way.
人はいいのよ
少しずつ耕さない田んぼを広めてきた 岩澤さん。
次回はその普及にかける思いについて伺います。
超簡単家庭菜園
http://green.ap.teacup.com/20080520/