面白雑学
地球が安心した様だ。是からは一休さんと遊んで行こう。
人生は楽しく・・ 神もユーモアが大好きです。
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2016/6/24
「新規雑学」
楽し目
新規雑学
28・6・24
今朝のメッセージの映像は、昨日に続いて故「藤山幸彦」が登場し、農業の研修会を開いて居り、講習が七割済んだところで休憩と成った。
そして、残り三割の作業が始まると、田畑に引き込む水路の水が、溜まり水で汚いので、使用出来ないで居ると、喜劇俳優の故「伴 淳三郎」が「アジャパー」のポーズで登場した。
私は、何処かの森林から、生きた水を導入して来なければ、田畑の植え付けが出来ないと考えている処で、今朝の映像は終わった。
そして、今朝のメッセージの意味を考えて居ると、「新規雑学」との言葉が告げられて来たので、私は「一休宗純禅師」の御霊と交流する為に創った「面白雑学」のブログの事を考え、「藤山幸彦」の存在が、一休宗純禅師の頓知の所為であるのかを思うと、そうではなく「Tri tarte fur・トライタルトファー」の一部である事が示されて来た。
「面白雑学」
http://moon.ap.teacup.com/26660606/
そして、其れ等の事を考えて居ると、時刻を確認させられたので、照明を点けて時計を見ると、6時59分であり、其れは7時1分前でもあると考えた。
其れに、昨日1時29分に起こされたのは、正確に言うと、1時28分40秒位の所であり、29分の20秒程前である。
そして、其れまで映し出されて来た映像は、男性の事に付いて、書かれている文章の存在であった事を思い出した。
其れは、私自身(本来の意識)の誕生日が間近である事を示唆しており、其れは男性の本質と言うか、役割が明確に成る事を示しているのであろう。
昨日から、今朝のメッセージのテーマには、故「藤山幸彦」の存在がキー・鍵に成っている様である。
其の故藤山幸彦は生前、私と同じ松峰区に生活しており、私より12歳年上の亥年の人物で、他人を苦しませる強引な生き方をして財産を築いたものの、最後には被害者の恨みに因って殺され、栃木県の廃校の井戸に投げ込まれた人物である。
其の藤山幸彦が、昨夜から、未来創造に関わる研修場の「オナー・責任者」として、登場して来ている。
其れは、一口に謂うと、死後の世界で心を入れ替えて、未来社会の役に立てる理・ことが、示されて来ている事になる。
其の藤山幸彦は、警察の犯人逮捕で死体が発見された丁度一年後の2011年1月15日に、長男の夢枕に現れて「是からの事は 全て 礒邉自適に相談しろ」と告げて来ている。
其れに、行方不明(死亡日)に成った5月29日から二ヶ月目の7月29日に「日高雲平」氏の夢に、杉の丸太を担いで登場し、山林を守ってくれと知らせて来ている。
其れは、藤山幸彦が生前、屋久島の山岳の樹木を、パルプ用に前面伐採する仕事をして居た行為の、反省を示すモノであった。
2011/1/16・・今朝の映像は、最初に、船で海岸近くを航行して居ると、海岸の岩場に、殆ど裸状態の若い男女が20人程居て、貝・蜷などの食料を捜している様子だった。其れから、何処かの学校の廃校に向かい、住まいの無い若者達が住める様に、手配をしていた。机や、椅子が無い、木造の校舎を見て歩いて、職員室の方に行くと、30代の男性が一人事務係りをして居て、学校の施設を、芸術家の人達に提供しているのだが、誰も申し込み者が居ないとの事であった。 其れから、周囲を見て歩き、貯水プールに溜まっている落ち葉を掻き出したり、畑の土手や、耕地に無造作に置かれている、刈り草を整理したりした。其れから、住宅の部屋が映し出されて来て、誰かが着替えの為に、部屋の中の方々に脱ぎ捨ててある服を、畳んで片づけ掃除を始めた。 其の後、教室の中に、黒板が有るのが映し出されて来て、其の黒板には、相談に来た人達に対する答えが、部分 部分の細切れで、文字にて現れるので、私は其の単語を繋いで、意味を見出し、相談者に伝えていた。 今朝のメッセージの映像は、若者達が、食料や住まいに困る事を示して来ており、其の対策を、私に考えろとの事なのであろうか。しかし、今朝の映像では、若者達が、直接に施設の手入れや、畑の準備をするのではなく、私自身が一人で、全部の事を行なっていた。其の意味は、現代社会の若者は、学校で、机上の勉強はしているが、生活に関わる作業体験が、何も出来ない理・ことを、示して来ているのではないだろうか。 確かに、現代では都会だけではなく、農村や漁村でも、子供達が、親の作業を手伝う事はなく、部屋の中で、勉強やゲームをしている。だから、現在の若者は、農林漁業の作業だけではなく、刃物を研いだり、火を熾したり、食事を作ったり、縫い物をしたり等の経験が無いので、貨幣経済が停止し、自分の力で生きて行かなければ成らなく成った時に、生きる術が無いと言う事に成るのだろう。 昨夜は、17時28分に屋久島の藤山君より電話が有り、「今朝の夢に 自適さんが現れたので 何かと相談したい」との事であった。其の藤山君の父親は、屋久島のまつばんだ交通の社長で在ったのだが、2009年5月29日に、私が数年間、無料で提供を受けていた別荘から行方不明に成り、2010年1月15日に、栃木県鹿沼市の、廃校に成った小学校の古井戸から、遺体が発見されている。 昨日は、其の遺体発見日から、丸一年目の日なのである。何故、丸一年目の日に自分の父親ではなく、私の姿が、藤山君の夢に現れたのであろうか。其れは、私の意志は関係無いので、藤山君の父親の霊か、神霊が関わっているのであろう。其の藤山君の父親は、行方不明(死亡日)に成った5月29日から二ヶ月目の7月29日に、「日高雲平氏」の夢に現れており、其の事を日高雲平氏は、8月3日に私に報告に来ている。其の8月3日の日付は、私の両親と、母親のお腹の中に居た私が、屋久島に渡って64年目の記念日である。昨夜は、藤山君から電話が有った後、電話が有った事を「日高雲平氏」に知らせると、屋久島の共用林組合の会合が、いま終った処だと云うのである。 不思議な事に、「神籬と磐境」の文章に詳しく書いて有るが、藤山幸彦氏が日高雲平氏の夢に出て来た時には、杉山(共用林)の間伐材で作った丸太を、肩に担いで居て、「急いで 杉山の手入れをしてくれ」との意味を、伝えたとの事である。 何故、人工林の杉山の間伐を、急ぐ様に伝えて来たかを考えると、現在、温暖化に拠る大雨が降り、世界中で災害が多発している事と関係が有り、早く杉山の間 伐を進め、雑木の根が張る事を急がないと、大雨に拠る山崩れが頻繁に発生して、日本の国土は、大変な事に成るとの理・ことを、知らせて来ているのではない だろうか。日高雲平氏は、現在、安房地区共用林組合の会長で、屋久町の組合長の役職に就いている。其れに、安房出身の従兄弟である「岩川尚美氏」は、数年前まで「全国森林組合連合会」の代表理事でもあった。其れ等の関係を考えると、私の此れからの行動は、国土保全の事にまで、意識を配らなければ成らないのかも知れない。・・・
「若者の指導」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1804.html
2009/8/4・・今朝のメッセージの映像は、正に、其の自然の中に住む神の存在が、示されて来たモノ・現象ではないだろうか。其の様に考えると、今朝の映像で議長席に座っていた男性は、キリストを意味している事に成り、イエスの願いが成就する時節が近付いている事に成る。 不思議な事に、一昨日の昼間に、安房の日高雲平氏が事務所を訪ねて来て、「29日に とても不思議な夢を見たが 意味が判らないので 解釈を頼む」と云うのである。其の夢とは、現在行方不明に成っている藤山幸彦氏が、左肩に加工された杉の丸太を担いで現れて、額には「114」か「115」の数字が書かれていたとの事である。「114」の数字は、電話が通じない時の問い合わせ番号で、「115」は電報の番号である。其の番号が、額に書かれていたとの事は、人間界に対して、頭で考えている事を通信したい旨を示しているのだろう。藤山幸彦氏が行方不明に成ったのは、5月29日の事なので、7月29日は丁度二ヶ月目の日に当る。其れに、夢に出て来ると言う事は、既に彼の世の人間に成っている事を示唆している。 其れに、日高雲平氏は、屋久島の林業関係の会の役員でもあり、藤山幸彦氏は山岳信仰に熱心な方であり、以前は林業関係の仕事をして居た人間である。其の藤山幸彦氏が、日高雲平氏の夢に、加工された杉の丸太を担いで現れたと言う事は、杉の加工丸太は、間伐材を利用して作る物なので、日本の人口林を、どうにかしろとの事ではないだろうか。其れも、電報で知らせたいとの事であれば、緊急事態である事を示唆している。 価格が低迷して、間伐が成されていない人工林は、根の張りが無いので、多量に雨が降ると、土はとても崩れ易い状態に成る。今回、被害の有った山口県の水害も、其の杉の人工林が原因と成っている。是から、地球の温暖化が進んで多雨になれば、益々、杉の人工林は人間の暮らしに被害を齎すであろう。 其れに、昨日のNHKのニュースでは、反対にカナダでは空気が乾燥し、昨日500箇所もの山火事が発生しているとの事である。其れ等の事柄を考えると、今朝の映像で、森林の中を水が流れ下る風景は、人類に、森林の役割を良く考えろとの意味合いも、含まれているのかも知れない。 失われつつある、日本の伝統文化の「神籬」と「磐境」の価値観は、現在環境問題が盛んに叫ばれている世情で、世界に広めて良い、最大のテーマであると言う事に成る。縦書きの文章と、鶏の飼い方は、日本国内の問題であっても、地球の水の循環を護る事は、人類共通の問題である。其れを考えると、今朝の会議は「国際会議」であり、今回の大権は、地球全体に対してのモノであると言えるであろう。・・・
「神籬と磐境」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1228.html
2016/1/7・・其のうちに、同級生が十数名集まって来たので、記念写真を撮ろうと言う事になり、皆が土手の上に並び始めると、一巡り(12歳)上の故「藤山幸彦」が遣って来て、其の列に加わろうとするので、私は其の幸彦に「貴方は何しに来たのか」と質問して居た。そして、二人で少し離れた場所で話を始めると、其の横に棚が有って、其の棚の上には埃を被った「メジャー・巻尺・スケール」や「コンパス・方位磁針(ほういじしん)」などが、20個程置かれていた。そして、最後に「そうぞうしん・創造神」との言葉が告げられて来た。・・・
「創造神」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3718.html
2010/1/28・・其れを、どの様にしたら、人間サイドが見える様に成るかが、「三うら純」との言葉ではないだろうか。「三うら」とは、此の現象世界と言うか、色・シキの世界には「三の裏」が有るとの理・ことだろう。
其れは、密教の「三密」の世界に関係が有るのではないだろうか。密教の三密とは、「身・口・意(仏語。動作を行う身と、言語表現を行う口と、精神作用をなす心。)」である。しかし、今朝は「三密」とは告げて来ないで、「三うら純」と告げて来たのだから、「純」なモノを、三つ考えなければ成らない。私に取って、「純」で有らなければ成らない三つの裏・浦とは、「純粋な魂」「純粋な情報」「純粋な物・肉体」である。其れ等の、純粋なモノが裏に三つ揃えば、此の表である現象世界は、レベルの高い神の世界と成るのではないだろうか。 しかし、其の磁気情報の土台には、138億年前に始まった「ビッグバン・阿弥陀」の情報が有り、其の情報は全宇宙に充満しているのである。そして、其の情報から籠目の目である「トカゲ」の目が、人間の意識の中に映されて来るのである。しかし、其の蜥蜴・トカゲの目は、宇宙意識が見せて来るのではなく、我々の肉体の中に在る、古皮質のトカゲ脳が、自分を思い出しているに過ぎないのだ。だからこそ、宇宙意識と合体して「悟る・差を取る・解脱」事を、「覚醒・覚者・ブッダ」と言うのである。其れは、此の我々が住む三次元世界は、現実と成る前に、宇宙の情報に前に組み込まれていると言う事である。其れが、人間の無意識に読み込まれて、意識に浮かび上がり、予言と成るのである。其の宇宙のシステムを考えると、未来世界は、現在を生きる我々が、原因を創っている事に成るのである。 今朝は、明け方に、此処のところ全国放送のニュースに報道されていた、屋久島の会社社長である「藤山幸彦氏」がメッセージに現れて来た。藤山幸彦氏は、私の実家近くの人間で、私より一巡り上の74歳であり、私が数年住んでいた平内の別荘の持ち主である。其の、藤山幸彦氏が殺害されたのは、本人の強引な手法に原因が有るので、或る面自業自得であるが、私は一昨年問題が発生した時に、「幸彦さん 神が最後に反省のチャンスを与えてくれているのだから 反省したらどうか」と注意したが、其の時には耳を貸さなかったのである。 其れが、葬式が終わって丁度一週間目の今朝現れて、安房弁で「わぁ(あなた)の為だった」云うのである。其れは、生前に何度も私に迷惑を掛けて来たので、其の言い訳をしに来たのであろう。しかし、確かに藤山幸彦氏は、私の反面教師を努めてくれた事は確かである。其れと反対に、私の精神レベルを上げくれた日吉眞夫氏は、一昨年の11月20日が葬式だったが、やはり一週間目に私の夢に現れて、未来の文化を頼むと告げて来た。・・・
「天津霊継ぎの文章」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1419.html
2013/12/19・・次の場面は、屋久島の私が育った村の風景であり、北(山の方)から、南(海の方)を見ている場面で、其処には縦3m、横6mくらいの黒い岩が立っており、其の岩は、同じ村に住んで居た、私より12歳上の藤山氏が立てた物である事が、左半分に彫刻されていた。そして、右半分は、少し角度が付いているので、右側に回り込んで見ると、何故か、右半分には私の名前である「礒邉自適」の名が有り、私の事や、私の言葉である四文字言葉などが刻まれていた。 今朝のメッセージの映像は、其れだけである。其の映像の意味は、私にも良くは判らないが、最初の場面は、南側・日の当たる側から見た世界「昼間・天照界」であり、後の場面は、北側・逆光で見る場面なので、「調読界・冥界」を意味している様な気がする。・・ 最初の映像は、血液の流の中の赤血球の様な物だったので、西洋の概念に有る「生命樹」の様なモノ・世界を意味し、「いのち・魂しい」の流と言うか、人類の歴史の様な意味が有るのではないだろうか。そして、其の球が部分的に集結するのは、「時代・とき」の節目と言うか、人間の精神が進化する時の「仏陀フィールド」を示唆しているのかも知れない。
次の男性二人の場面は、旧約聖書にある「アベル」と「カイン」の物語や、私と弟の関係性の様なモノを意味しており、同じ両親から生まれた兄弟であっても、性格や性質が異なる理・ことを示している様な気がする。其れに、今朝の兄弟の雰囲気(モチベーション)からすると、動と静の働きを対象として現している様に想える。 最後の岩の場面は、岩に刻まれている情報なので、アカシックレコードか冥界の情報を意味しているのではないだろうか。其れに、其の岩が、正面側に角度が有って、左右にずれていたのは、霊界にも、左右の局面が有る理・ことを示唆しているのであろう。其の石碑が、藤山氏が建立した事が記されていたのは、藤山氏が屋久島で事業を興し、一代で財を築いている事が、霊界でも認知済みである理・ことを示唆しているのであろう。そして、其の建て主である藤山氏が、右半分の方に私の事を刻んでいたのは、三次元世界・此の世で、事業で成功するよりも、精神世界で成功(自分の意識を完成する)方が、神の世界・冥界・絶対界では上位である理・ことを、示唆しているのであろう。・・・「相対的対象性」
http://green.ap.teacup.com/20060818/2906.html
2009/4/26・・其の理・ことを考えると、今朝現れた「生命認識バロメーター」の映像は、人間の生命だけではなく、40億年前±2億年に「ミネラルの海(粘土水)」から誕生した、微生物から「枝分かれ(スサの尾・穂)」している、地球生命全体から齎された、危険シグナルだったのではないだろうか。其の様に考えると、4月24日から始まった「道場」のイメージは、人間だけのものではなく、地球生命全体の「タオ-ステージ」であると言う事になって来る。其の様に考えると、老子の謂う「タオ・道」や、釈迦牟尼佛の謂う「ダルマ・法」や、イエスキリストの謂う「永遠のいのち」の世界が、三日前から本格的に始動している事に成る。
しかし、今朝のメッセージの映像に現れた「生命認識メーター ?」は、簡単な内容のモノではないだろう。何故なら、25年もの歳月を掛けて、神霊が此処まで持ち込んで来た、私の意識に告げられて来たモノである。 其れは、中国の老子の存在から始まった、陰陽を表わす二元論の「タオ・道」のマークの様に、単純なモノではない。其れは、シュメール文化のマークである、16菊花紋の理よりも、更に意味深いモノであり、しかも固定している物ではなく、メーターが付いて「トキ・事象」の動きが伴っているモノである。・・・
「道場(タオ-ステージ)3」
http://green.ap.teacup.com/20060818/1121.html
2005/5/3・・私は、現在平内に住んでいる。その家は、屋久島の「まつばんだ交通」の社長の持ち家で、朝日が昇る景色と、夕陽が沈む景色を眺められる、海岸の高台に有る。 私が、その家を始めて見たのは2003年1月3日である。其の日、安房の自宅に居ると、まつばんだ交通社長「藤山幸彦氏」が遣って来て、話をしている間に、「平内に別荘を買ったので 見に行こう」と言うので、一緒に社長の車で見に行く事に成った。そして、別荘に着いて部屋に入り、備えられていた台の上に有る蝋燭に火を灯し、線香を焚いて手を合わすと、いきなり【此処から佛が出る】と、言葉が告げられて来た。私は、その事を、藤山氏に告げずに黙っていた。其れは、私自身にも何の事か、その時点では判らなかったからである。それが今年になって、2月27日に、久し振りに安房の自宅に帰っていると、藤山氏が遣って来て、話をしている間に「平内の家に住んでも良い」と言ってくださり、直ぐに車から鍵を持って来て渡してくれた。そして、私は3月1日から、其の家を正式に借りる事に成ったのである。・・・「新しきすまい」
http://moon.ap.teacup.com/20061108/410.html
此の文章の「此処から佛が出る」との事が、是から本番に成ると言う事であり、其れは新次元の「ブッダ・仏陀・ほとけ」が登場するとの事であり、其の新次元の「政・まつりごと」に此の私の存在が、関わりを持っている事に成るのであろう。
其れに、此の文章を書いた日が2005年5月3日である事を考えると、其の5月3日は「憲法記念日」であり、私の息子「嵩靖・しゅうせい(高き所に立ち 国をやすらかにするの意)」の16歳の誕生日でもあるので、国家の行く末にも関係が有るのだろう。
其れに、今朝のメッセージの映像で藤山幸彦が七割の下準備の為に、田畑を耕して居たのは、「耕・コウ」英語が「カルチ・cultivator」の意味であるので、「文化・カルチャー(culture)」と関係があるのだろう。
2012/7/4・・今朝のテーマを、英語に言い換えると「カルチ(cultivator )・イベント(event)」と成るであろう。其れは、新しい文化・カルチャーを興すイベントを、企画する必要が有る理・ことを、示して来ているのではないだろうか。其れも、漏れなく、深く、隅々まで、丁寧に行う事である。そして、古い根株を粉々に砕き、新しい苗を植える事である。 其の意味は、是までの社会文化の有り様を、根本の所から粉砕して、深く耕したグランドに、新しい苗を植えて、新芽・ニューカルチャーを、育てなければ成らない理・ことを意味している。・・・
「耕耘と祭り」
http://green.ap.teacup.com/20060818/
そして、仕上げの三割に関して喜劇役者の「伴 淳三郎」が登場したので、調べると次の様に載っている。
伴 淳三郎(ばん じゅんざぶろう、本名:鈴木 寛定(すずき ひろさだ)、1908年1月10日 - 1981年10月26日)は、昭和期のコメディアン、俳優。息子はスタイリストの山本康一郎。ウィキペディアフリー百科辞典2016/6/24現在
本名「寛定・ひろさだ」の漢字を調べると次の様に載っている。
「寛・カン」【解字】形声。「宀+莧」音符の莧・カンは、角と目とを強調した、やぎの象形。小屋の中にゆったりとしているやぎのさまから、ひろいの意味を表す。
【字義】@ひろい。㋐家などが広い。㋑心がゆったりしてゆとりがある。度量がゆたか。㋒ゆるい。ゆるやか。また、また、のびやか。おだやか。Aゆるやかにする。ゆるめる。ゆるす。Bくつろぐ。のんびりする。
「定・テイ・ジョウ」【解字】形声。「宀+正」音符の正は、まっすぐの意味。のちに、少し変形した。家屋がまっすぐに建つ、さだまるの意味を表す。
【字義】@さだまる。㋐安らかになる。静まる。落ち着く。「安定」㋑止まる。
㋒成る。できあがる。㋓まとまる。帰着する。Aさだめる。㋐安らかにする。治める。㋑整える。正す。また、きめる。㋒平らげる。「平定」㋓やめる。Bさだめ。㋐きまり。規則。㋑運命。Cさだめて。必ず。
D仏教。雑念を去って無念夢想の境地に入る。「禅定」
国語。@さだめ。㋐決定。 ㋑約束。Aさだか。たしかである。はっきり。
漢語林より
此の「寛・定」の漢字の意味からすると、私が其の「寛定」の漢字の意味の様に、在らなければ成らないと言う事なのであろう。
昨日と今朝のメッセージに、嫌われ者であった故藤山幸彦が登場した事を考えると、「日月神示・天津日嗣神事」に、日本から今回登場する「148の救世主」の存在は「善悪併せ呑む」働きをするとの理・ことが記されている事と関係が有り、新時代の仏陀とは、善悪の世界を統合する能力を、有している存在であると言う事に成るのであろう。
「天津霊継ぎの文章」2010年1月28日の、1月28日の数字は、昨日未明に私が起こされた時間とも同じであり、其の日のメッセージの「純で有らなければ成らない三つの裏・浦」は、21日の三つの「タルト・トルクウェーレ torquēre (捩る、丸める)」と関係が有りそうである。
其れに、其の文章には、・・藤山幸彦が葬式が終わって、丁度一週間目の今朝現れて、安房弁で「わぁ(あなた)の為だった」と私に告げた。・・との事が書いて有る。
其れは、「Tri・tarte・fur・トライ タルト ファー」の世界の真実が示されて来ており、悪い人間(ばか者)の行いは「死んでも直らない」との諺を、変える必要があるとの事になる。
其の事を考えると、今朝告げられて来た「新規雑学」との言葉は、私が是から「寛定・カンジョウ」の精神にて、様々な物事を処して行かなければ成らないと言う事であり、是までの様に、神霊のメッセージに頼るのではなく、自分の考えで、事に当たって行く必要があると言う事ではないだろうか。
其れは「新しい寛定奉行」に成らなければ成らないと、言う事に成るのではないだろうか。 「アジャパー」
平成28年6月24日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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