自適随筆
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藤山幸盛小父の思い出 »
2017/7/4
「完全に熟すと真実が残る」
生命に付いて
完全に熟すと真実が残る
29・7・4
一昨日、今年の初物である西瓜を収穫した。そして、包丁で切り割って見ると、熟れていたので、昨日も畑に出て西瓜を調べると、二日前に札を立てていた小玉西瓜から白い泡が噴出して、地面が濡れているので其の西瓜は熟れ過ぎて腐っている事が判った。
私は、其の西瓜は食べる事が出来ないで、惜しい気持ちの儘、道に投げ捨てて割って見ると、其の割れた西瓜の中身はドロドロに溶けているが、其の中には、完璧に成熟した真っ黒い種子が、澤山有るのが目に留まった。
私は、其の西瓜の様子を眺めながら、私の不注意で、一番初めに収穫しなければならない西瓜を、見過ごしてしまった事を自省して居ると、人間に取っては残念な出来事であっても、西瓜の方に取っては完璧な西瓜生を全うして、完全な種子を残す事に成功しているのだと想った。
私は、其の西瓜の存在を想う事で、自分の内側にも、是までに感じた事の無いモノを感じ出している。
「静かに暮らすと謂う事」
静かに暮らすと謂う事は
唯 孤独にて 一人で暮らすと謂う事だけではなく
側に人々の存在が在り 世間のざわめきが有っても
自分の心の内側が 静寂を守っている事を意味する様である
其の様に 想えるのは
私が 齢70歳と成ったからかも知れない
だが 私の意識の奥には
其れが 子供の頃から 有った様な気がする
其れが 子供の頃から 私の内側になければ
現在(いま)の私の心境は 無いのではないだろうか
其れを考えると 子供の頃から
自分の内側に有る 何か得たいの知れないモノが
事象(とき)の流転の中で 流される事無く
泳ぎ渡って来ているのであろう
其れが 私の生命の色合いであり
さが・性質・性格と呼ばれる モノなのであり
それが 己の血の中を流れる 魂魄なのではないだろうか
そして其れは 悠久の宇宙を 輪廻しているモノであり
其れが 永遠の命と呼ばれるモノなのであろう
其の 永遠の命と呼ばれるモノが
いま私の心身の中で 種子を結実しようとしているのだ
其の種子こそが いのちのプログラムの氣であり
其のタネを結ぶ為に 全ての事象が存在するのである
そして この私の躰も 其の為に
いま 此処に存在するのである
そして 其の私とは 其のプログラムの為に
永遠の命を得ているのである
いまは存在しない 以前の私に
感謝の念を 送らなければ成らない 」
完熟して、腐敗臭と泡を吹き出している赤い西瓜の存在は、果肉を動物に食べさす事で、自分の子孫と成る種子を、遠くに運んで貰う事に成功せず、無残に土手の草叢に捨てられている。
其れは、原産地であるアフリカの草原で、野生動物に種子を運ばせていた先祖の姿とは違い、人間と共生する様に成ってから、西瓜の身の上に起き始めた事である。
其れを考えると、私が毎日、習慣性の中で無意識に行なっている行為に、数々の罪が重なっている事に成り、私も罪業の中に身を置いて居る事に成る。
其れを考えると、偉そうに大口を叩く事は出来ないと言う事に成るだろう。
昨日の、赤い西瓜の果肉の中に存在する真っ黒な種子の映像から、私は以前に能く考えて居た『真実・しんじつ』との言葉の意味を、改めて考え始める事に成ってしまった。
2014/9/26・・此れは、先日感じた、自分の安らぎの状態とは異なり、しっかりとした何かが、自分の精神の中に立ち戻って来ている感覚である。
其れは、私が男性としての67歳の年齢・年輪を重ねて来た結果と言うか、成果なのではないだろうか。
其の様に考えると、49歳で亡く成った父親や、60歳で亡く成った無庵師匠などの御魂の状態よりも、私の今の精神状態が「真実・シンジツ」との言葉・単語に近付いて居る事に成り、二人の意識を高みに導いた事に成るのではないだろうか。
其れは、自分の父親や無庵師匠だけではなく、釈迦や老子の笑顔を見る事であり、「イエスキリスト」や「一休宗純禅師」の苛立ちも、消化した事に成るのかも知れない。
「真・眞・シン」は「ヒ+鼎」の組み合わせで、「ヒ」は、さじの象形。鼎は、かなえの象形。かなえにさじで物をつめるさまから、つめるの意味を表す。なか身がいっぱいにつまっていてほんもの、まことの意味を表す。
【字義】@まこと。㋐いつわりでないこと。㋑かりものでないもの。㋒正しい。正しいもの。Aまことに。本当に。B自然のまま。「天真爛漫」Cうまれつき。天性。Dもと。本質。Eみち。自然の道。自然の妙理。F道家で、奥義をきわめた人。
「実・實・ジツ」は、「宀+貝+周」の組み合わせで、周は、いきわたるの意味。屋内に財貨がいきわたるの意味から、みちるの意味を表す。
【字義】@みちる。㋐一杯になる。充実する。㋑さかえる。また、さかん。㋒そなわる。足りる。富む。㋓伸びる。育つ。Aみたす。㋐一杯にする。㋑もる。(盛)。㋒実行する。Bみのる。また、みのり。Cみ。㋐くだもの。また、穀物。「果実」㋑たね。種子。さね。㋒なかみ。内室。実質。㋓たち。素質。本質。Dとみ。たから。Dまこと。㋐まごころ。「誠実」㋑真なるもの。ほんとう。真実。 漢語林
此の「真・眞」の、「ヒ」は、さじの象形の説明からすると、私の9月19日のメッセージに現れた、極小と極大の匙・スプーンの存在は、真実を鼎に詰める匙を意味しており、私が真実を統合しなければ成らないとの事を、示して来ていた様である。
其れは、私が「屋久島自適塾」を始めるに当たり、一番重要なテーマと考え、其の「真実」との言葉を英語にてHPを創ろうと考えた事が、宇宙意志と言うか、神界の統合意識で目標と言うか、目的とされていたと言う事なのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝の私の精神状態を計ると、其の「鼎・かなえ」が私自身の「躰・空蝉」に実・みちている事に成るのかも知れない。
だとすれば、私は真実の「霊留・ひと」として「完成・実った」事に成るのだ。・・・
「真実」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/556.html?rev=1
2013/9/3・・現在、「まこと」と打つと「真」の漢字が表記され、「まちがい」と打つと「間違い」との漢字が表記される。
其れは、日本語では「マ違い」と「マ事・マ言」であり、区別の本体は「マ・ま」である。
其れは、中国の漢字の「悪魔・あくま」の「魔・マ」と関係が有り、悪魔の反対語には「善魔」がなければ成らない事に成るが、善魔との単語は使用されていない。
「真・シン」の漢字は「真実・シンジツ」との単語に使われ、字義は「なかみがいっぱいつまっていてほんもの・まことの意味をあらわす」である。
「違・イ」の漢字は、「辶+韋」の組み合わせで、音符の「韋・イ」は敷物の上から、足が違う方に歩き出すの象形から、そむくの意味。そむき離れるの意味を表す。と有る。 漢語林より
此の漢字の意味からすると、「真・まこと」は「中身が詰まっている」意味で、「間違い」は「間が違う方に歩き出す」との意味である。
其れは、日本語の「まこと」と「まちがい」の意味とは、違う・異なるモノであろう。
其れを考えると、やはり漢字から「日本語・大和言葉」を一度切り離して、日本語の言霊をもう一度再生しなければ成らない。
そうしなければ、本来の「まこと・ま言(真言・マントラ)」が蘇らないので、スメラミコトの孤立無援・四面楚歌は止まらないのであろう。
「マクロ‐ホログラフィー」
2015/9/5「神を助ける」
http://wave.ap.teacup.com/20060106/598.html?rev=1
2016/9/2「真実は一体しか無い」
http://green.ap.teacup.com/20060818/3974.html
2016/10/14・・が、今朝の映像には、黄金色に輝く熟した大きな胡瓜が、一本映し出されて来た。
其の、熟した大きな胡瓜の中には、澤山の種子が存在する。
其の意味を考えると、黄金色の生物体の中に存在する種子は、「真実」との言葉と関係が有り、今朝のメッセージの映像に映し出されて来た私の有り様は、其の黄金色の胡瓜の存在と関係が有り、私の存在は其の胡瓜と同じ物であり、太陽のエネルギーに因って育成された、一個の生物体であると言う理・ことに、成るのではないだろうか。
其の様に考えると、今朝のメッセージは、私の意識の総括と言うか、考えた方の締結、人生の締めくくりの様なモノであり、「自分」との言葉・単語の答えを、今朝、出したと言う事に成るのではないだろうか。・・・
「帰命と禱り」
http://green.ap.teacup.com/20060818/4019.html
幾度と繰り替えされて来る、此の「真実」との言葉の世界は、「自分」との言葉に直結するモノであり、「人生」や「生命」との言葉の概念に深く結び付いている。
其れは、人間が人間として生きて行く為には、どうしても取り組まなければ成らない世界であり、其の事を避けて通ってしまっては、完成した人間と謂うか、人格者には決して成れないのである。
今朝のメッセージの映像には、私の左胸のポケットに、新品のペンが二本入った黒い皮ケースが差さっていた。
其の二本のペンの存在は、私が是から新しい事を書き始めなければ成らない事が、示されて来ているのであろう。
其れが、どう言う物であるのかは判らないが、今日はメッセージの文章の他に、三筆の文章を書く事に成った。
此の私の行動・行為は、既に、天神の術中に嵌ってしまっていると言う事なのかも知れない。
平成29年7月4日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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