自適随筆
私の思考だけで書いた文集
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北斗の谷 »
2000/7/25
「一寸・ちょっと」
生命に付いて
一寸・ちょっと
12・7・25
皆さんは、「ちょっと黙って」と云われたら、どのくらい無口で居られますか。
只「黙って」と云われても、我々人間は、直ぐには無口には成れません。
口は、動かさなくても、頭の中で色々な言葉が通り過ぎて行きます。
ですから、昔の人は、或る方法を考えました。
其れは、自分の躰とのコミュニケーションを採る事で、自分の意識を安定させようとしたのです。
「ちょっと」は、「ちょこっと」との音の、日本語の副詞です。
其の「ちょっと」に、漢字の「一寸」を充ててあり、一寸とは長さの単位であり、親指の長さです。
「寸」とは、十が右手の象形で、自分が計る場合は「、」が左手の親指です。
昔の人は、自分を良く見詰めながら、生活していたのでしょう。
「寸・スン」【解字】指事。右手の手首に親指をあて、脈をはかるさまから、はかるの意味を表す。また、其の親指の長さ、一尺の十分の一の単位も表す。
【字義】(一)@長さの単位。尺の十分の一(三・三p)A長さ・寸法。Bすこし。わずか。「寸陰」 漢語林
自分との漢字は、「自からを 刀で八(両方)に切分ける」の意味ですから、自分の存在意義を確かめると言う事です。
其れには、先ず、心臓の動きを確かめました。
命の源は、心臓に有ると考えたのです。
其の証拠に、「心」とは、心臓の形の象形です。
日本語の「こころ」の意味は、意識が「ころころ変わる」の意味です。
我々人間の、感情の揺れは、一番心臓に現れます。
ですから、昔の人は「心に こころが有る」と、思ったのでしょう。
そして、脈を計るには「数」が必要ですし、「時間」の範囲が必要になります。
其れで、心臓の鼓動60回を「一分」としました。
其の対象として、肺の動きである呼吸を数えると、12回です。
肺の動きは、心臓の動き・回数の五分の一です。
12×5=60ですので、其れで時計を造りました。
12時間と、60分・60秒です。
西洋の概念には、60と12の数が多く使われています。
1ダース。12カ月。イエスキリストの弟子も12名。ユダヤの12氏族の「12×12000人=14万4000人。」
神の名は72ですが、是も12×60=72です。
フランス人達の、歳の数え方が、60歳に成ると、後は「60歳と何歳」と数えると聞いた事が有ります。
其の考えが、中国での60年を基準とした、歴史の枠組みの易の考え方です。
干支の12支(えと)も、此の数字が使われています。
10干×12支=120歳が一還暦で、其の半分が「半還暦」
現在は、10進法が世界の基準と成っていますが、昔は12進法で、其の5倍が、60と共に、数の基準と成っていた様です。
加えますと、12と60の数は、人間の躰の動きを捉えて使われたと想われ、10は、手足の指の数・形が使われたと想われます。
「指折り数える」との言葉は、確かにその事を現しています。
話しを、元に返すと、昔の指導者とは「守」の文字の如く、寸を中心に考えていたのでしょう。
指導者の言葉も、「指で導く者」ですから、指し示す監督も、其の延長にあります。
現在では、「寺・ジ・てら」は、仏教の建物の呼び名に成っていますが、本来は指導者が創った「法・のり」を保管する建物の意味で、役所の意味でした。
其れを意味する単語が、政府の「府・フ」の漢字であり、府の元字は「腐」の漢字の様に「府+貝」の組み合わせで、「广(建物)+付+貝(貨幣)」の組み合わせであり、「寸が出来る人間が居る建物で 国の財産を管理する」の意味になるのである。
寺の漢字は、「土(止)+寸」の組み合わせで、出発する前・行動を起す前に、立ち止まって自分の脈を計り、コンディションを確かめるとの意味も有ります。
詰まり、自分の管理が出来る者が、全体の管理や、法規にも関わる事が出来るのです。
寺とは、其の意味から、計るの意味も有り、日を計る意味から「日+寺」の組み合わせで、「時・ジ・とき」の漢字を創ったのでしょう。
「時計」を、「ジケイ」と漢字(音)読みしていないのは、時刻を計るのに、地面に棒を立て、太陽光の影の位置を、地面で計ったので「土計り」から、「とけい」の日本語(訓)読みに成ったと、物の本には書かれています。
太陽暦のカレンダーは、地球の365回の自転を、無理に12カ月に分けて有りますが、明治時代までは、月の満ち欠けの28日を使っていたので、四年に一回13カ月が有りました。
海の民は、農業には関係ありませんので、海の干満に関係有る「月」を目安にしていたのですが、農業が始まると、春夏秋冬が判らないと、種蒔きの時期が判断出来ませんので、温度に関係ある太陽を目安にしました。
処が、赤道直下のマヤの人達は、海も無く、四季が無いので、金星を目安として暦・カレンダーを創りました。
金星を観測していると、地球自体も動いていますので、観測対象の金星と、観測者が居る地球が元の位置まで戻るまで584日掛かるので、異なった暦が使われていた様です。
ですが、やはり人体の動きは同じ様に捉え、太陽の神に捧げる物は、生きている人間の躰から摘出したばかりの、脈打つ心臓だったそうです。
良く調べれば、宇宙の仕組みと、人間の躰と心を、一番良く理解した文明だった事に気付きます。
「息子・むすこ」と「蒸す・むす」の言葉が有りますが、「むす」とは、古代語の出雲に「神魂神社」と書いて「かもすじんじゃ」と読みますが、「むす・もす」とかは、物質の変化を表します。
火を燃す、米を蒸すなどの言葉です。
「むすこ・むすめ」とは、生み出される物の表現でしょう。
漢字の「息子」を充てたのは、息とは「自+心」の組み合わせで、「自からのこころ」ですから、息は呼吸の事ですので、息子とは自分の呼吸・生活のリズムから生まれて来るの意味なのでしょう。
モーゼの決めた「安息日」の意味や、仏教の瞑想や座禅などの、宗教の根源には「息・いき」があります。
そして、神通力や神技などは、逆に息の使い方が問題とされます。
現在では、宗教の世界よりも、スポーツの世界の方が、人間の持ち時間を澤山取っていますが、スポーツの世界も、イメージトレーニングが重要視され始めている。
其れは、スポーツが、宗教の世界に近い世界に成って来ていると、考えられます。
スポーツは、体力と、時間と、距離の競い合いです。
肺呼吸12回と、心臓の脈60回は、静かに休んで居る時のリズムですが、動き始めると16回=72回と成り、走り始めると段々両方が早く成ります。
そして、其れが日常化すると、「落着きの無い」状況に成り「長い息・ながいき・長生き・長寿」の世界から遠く成って行くのです。
何処かに、静かなる沈黙の世界を、表現する競技場が、必要なのかも知れません。
平成12年7月25日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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