自適随筆
私の思考だけで書いた文集
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2015/6/1
「自分の完成は宇宙の完成」
意識とは
自分の完成は宇宙の完成
27・6・1
本日から6月に入り、残り三日で、私が此の神の世界に入ってから、丸31年が経過する事に成る。
今日は、本日の文章と、日記のアップを済ませると、脳裏に「自分の完成は 宇宙の完成」の言葉のフレーズが、浮かんで来た。
其れは、「宇宙(かみ)神霊」からのメッセージと言うよりも、自分の内側からの声の様なものであり、自分の潜在意識が納得した、確認の様な雰囲気である。
其の言葉は、外側からのモノではなく、自分の意識・こころが、其れを認識した為に、脳裏に発生したモノの様であるので、自分の潜在意識が、宇宙(かみ)と合体したと言うか、響き合っている様なモノ・状態であるから、確かに「自分の完成は宇宙(かみ)の完成」との言葉は、事象・ときの最先端に位置する人類の、新しい認識なのではないだろうか。
其れは、昨日のビジョンに現れた宇宙のソレと、私の意識とが、儕(ともがら)に成った証しであり、私が此の神の世界に入ってから丸3年目の1987年(S62)6月29日(旧暦6月4日)に、言葉で「天上を娶り 天下を治らす」と告げられて来た事が、確かに、其の言葉通りに成ったと言う事ではないだろうか。
其れは、漢字の「自分」との言葉が意味する処や、日本語の「みなもと」や「みずから」の言葉が示す「み・己・おのれ」が、其の所(ところ)に還ったとの事に成るのであろう。
其れは、私が此の世界に、1984年6月4日(旧暦5月5日)に飛び込んでから起きた様々な現象が、治まり所に鎮まりて、其の効果を為すと言う事なのかも知れない。
私は、土肥無庵に捜し出される迄は、此の様な理は何も分らずに居たと言うか、気にする事も無かったのである。
其れが、土肥無庵に83年3月18日に捜し出されてから、其れまでとは違う世界に足を踏み入れる事になり、32年が経過して、今日の自分がある。
其の間に、自分に起きた事は、出来るだけ記す事にして来たが、此の世界に入ってから数年間は、余りにも現象の在り様が、劇的に変化したので、全てを記録することは甚だ困難であったので、其の記録は無い。
其れに、初期の旅の間に記した物は、土肥無庵に送って手元には無く、其の記録は、写真とネガを含めて、焼却を依頼したので、証拠としても残ってはいない。
残っているのは、手元に残っている僅かな証拠と、私の記憶だけである。
だが、其れ等の物は、此の段階まで至った現況からすると、最早必要な物ではなく、「オールド ブラッシュ」するべき物事なのであろう。
寧ろ、私の修行中の物事や、物品が残されていれば、其れは後世の禍の元と成り、人心を惑わす原因と成る恐れがある。
其れこそが、日本の伝統である「惟神道・かんながらのみち」に、穢れを齎す事に成る要因とも成るものであろう。
何故なら、私が此の様に成れたのは、現世的な神仏の概念が一切無く、既存の宗教にも関わりが無く、自由の身であったからこそ、禊ぎ祓いの儀式が巧く行き、4311体の「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きたのである。
そして、其れ等の4311体の人格霊と共に、天神(てんのはたらき)が在って、事が此処まで進んで来たのである。
此の事が、是からどの様に進展して行くのかは、当の私にも予測が出来ないのである。
三日後に、31年目を迎えてから、私の意識や行動(生き方)がどの様なモノに成るのかは、私自身にも明確なところは判らない。
其れは、自分の頭で考えて行動する事は「自我意識」に陥り易いし、人間社会の在り様に意識を向ければ、道を大きく外れてしまう危険性が高いからである。
其れを考えても、数日間は様子を見る必要があるだろう。
何故なら、其れは、私だけの考えや気持ちで決まるモノではなく、儕(ともがら)である森羅万象の存在が、どの様な動きをするかを、見極める必要があるからである。
平成27年6月1日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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