自適随筆
私の思考だけで書いた文集
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2004/12/24
「6120」
霊界に付いて
6120
16・12・24
本日12月24日は「クリスマス・イヴ」で、イエス・キリストに縁ある日である。
今朝のメッセージは、「6120」の数字と、私が、一番苦しめられた相手が、私に対する役目が無事に果せて、楽な顔に成るのが映されて来た。
其れは、私の人生の苦しみが、私の個人的な業(カーマ)ではなく、人類全般の業を整理解消する為の、現象であった事が理解されて来た。
ナザレの村に誕生したイエスは、「キリスト、メシヤ」として、人間の罪の償いをさせられたと伝えられている。
十字架上のイエスは、その証明とされ、其の姿が2000年間も、晒し者にされている。それは、イエスの望む処ではない。
イエスの望みは、唯一つ、人類全体が業から解き放たれて自由に成り、神(天の父)と人類が、世界を共有する事にある。
今朝のメッセージは、其の事の一つが、解決された事を伝えて来たのだろう。
私が、神の世界に入る為に、善悪の概念を超えて、多くの人々が協力し、また努力を続けて来たのだ。
「6120」を私なりに解釈すると、「無為に生きることがマル」と受け取れる。私が、此の神の世界に入ったのは、1984年6月4日(旧暦5月5日)だったのだが、「日月神示」が「岡本天明氏」に始まったのは、昭和19年6月10日(時び記念日)で、日付的には6日違いである。
岡本天明氏の神示は、殆どが、数字で下されて来ているので、今日の数字のメッセージも、岡本天明氏に関わりが有った、同じ神霊系が、作用して来ていると考えてもよいだろう。
天明氏に掛かった神は、「天津日継神・あまつひつぎのかみ」とされている。
天津日継とは、天の意志を引き継いで行く、神仕組みの意味である。
その天の意志が働いている世界から、イエス・キリストの誕生を祝う日に「6120」と告げられて来たのは、イエスキリストも、今回の神仕組みに連座しているとの、お示しであろうか。
私の、修行が終わったのであれば、もう苦しみの世界は無くなり、神の喜びの世界が、これから現象化して来るのだろう。
私が、無為にして自然に生きるだけで、役目が果せるのであれば、老子の謂う「自然無為」の生き方、親鸞の云う「自然法爾・じねんほうに」、日本の古神道の「惟神道・かんながらのみち」等の世界が現実と成り、私の名前である悠悠自適の「自適」の意味が、私の生き方とおりと成って来る。
私が、私ではなく、本来の「吾」として、確立される事に成るのだと想われる。
漢字の「吾・ゴ・われ」とは、「神のお告げを 器具に入れて 汚れから護る者」との意味である。
私が「私(自分の稲束を抱え込む)」から「吾」へと転換できたのも、私の仕事や財産を取ってくれた人達の、お陰様である。
「吾・ゴ」は「口+五」の組み合わせで、口は神のお告げの意味。
音符の五は、棒を交差させて組み立てた器具の象形。神のお告げを汚れから守るための器具のさまから、ふせぐの意を表す。借りて、われの意味を表す。
【字義】@われ。じぶん。わが。じぶんの。A相手を親しんで呼ぶ時にそえる語。「吾子」Bふせぐ。とどめる。 漢語林より
私は、インドの釈迦の様に、自分から、全てを捨てて自由を得たのではなく、他人の働きに因って、自由に成れたのである。
その意味から、釈迦よりは求道心は薄い。
しかし、神霊界に釈迦牟尼仏を含め、4311体の霊界人が存在して、私の行動を支えているのであるから、釈迦やイエスの時よりは、物事がスムーズに行ったのではないだろうか。
この様な文章を、中学しか出ていない私が、書ける事自体が、奇跡の証明と言えるのではないだろうか。
その意味では、イエスキリストも、天上界で喜んでいるのではないかと考えられる。
私が、聖霊界に対して恩返しが出来る事といえば、この様に、彼等に代わり言葉を連ねる事くらいであろう。
平成16年12月24日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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