2004/11/13
漢字の始まり
16・11・13
中国の漢の時代に、世界に拡がり始めた文字は、一体いつ出来始めたのだろうか。
最初の漢字は象形文字で、一番古い文字は甲骨文で、亀の甲や動物の骨に刻まれていた文字であろう。
次の時代が金文で、次に篆文が出来、現在使用されている現代文(今文)へと続いて来ている。
私が気付いた点は、「命」の文字が「口+令」の組み合わせで、「令」の漢字は「A+卩」の組み合わせであり、アルファベットの始まりである「A(牛の神)」と漢字の象形「卩(跽いて祈る人の姿)」で出来ている事に成る。
それが本当なら、アルファベットも漢字も、同じ文化の流れを組んでいる事に成る。
因みに、アルファベット「B」は「ベッド・家」の意味であるので、日本の天皇の寝所が「天御臥間・ あめのおふすま」と呼ばれる事とも関係が有りそうである。
その文化の流れの源を探ると、牛が神とされたのは、シュメール文化である。
其れに中国の「物」の漢字は、「天地間にある一切のもの。目に見えるすべてのもの。」を意味し、其れは、清められた生贄の牛の意味から「物」の意味となっている。
旧約聖書の物語に出て来る、エジプトからモーゼと一緒に脱出した人々の中に、牛を、神とする民が居た事が記されており、その人々はモーゼに因って、自分達の信仰を止めさせられている。
其れで、中東やエジプトにまで、シュメールの人達が移動していた事が分かるし、中国の漢字を考えた人の中にも、シュメールの民が居た事に成る。
其れに、日本の天皇・大君の事を昔「スメラのミコト」と言っていたのも、シュメール語の「葦の生える地を治める者」の意「スメル」から来ているのも、日本の地に、シュメール文化が流れ着いている事の証明である。
日本の事を「豊葦原の霊稲(ちい)穂秋の瑞穂の国」と言うのも、シュメール文化の名残ではないだろうか。
その文化が「食国のまつりごと」と成って、日本の伝統文化となり、現在、「神嘗祭・新嘗祭」の名で、天皇家で毎年続けられている。
日本の天皇家の神は、「御饌殿・みけどの」と言って、台所の神である。
天皇は、君(神に仕える者)として禊祓いをして、先祖の霊と共に「稲(い=飯)の霊(ち)」を通して、神の世界(大自然の法則)と、合意しなければならないのである。
其れ等の儀式の意味する処は、「謂う」の漢字として残っている。
「謂」は「言+胃」で、「胃」は「胃袋の中の穀物」を表しており、「月」は「肉」で、「田」は「口の中に米の字(殻の実がついた姿)」が入って出来ている。
この文字でも理解出来る様に、人間の意識は、穀物の霊を飯する事で、生じると考えられていたのである。
「私」の漢字は、「禾(イネ科の穀物)+厶」の組み合わせで、「厶」は「腕で抱え込む形」を示しており「自分の物だと、腕で稲穂や麦穂を抱え込む」事から、私有心を表現するものである。
この様に、文字を調べる事で、文化の流れが見えて来る。
漢字は、漢の時代に使用された、隷書の今文(現代文)で、その前は篆文で、秦の時代(前771年)、その前は殷の時代(前2100〜1600年)に、甲骨文字が使用されている。
その間、前1100年〜256年の周の時代に、鉄や石に刻まれた文字が、金文、石文として残っている。
「稲」の文字は、「穀物を手で臼から取り出している象形」で、3100年位前に、穀物を臼で突いていた事が分かる。
「爵」は「すずめの形をした盃に手を伸ばした象形」なので、「部下に酒を与える」の意味の甲骨文なので、4100年前には、穀物から酒が造られていたのだろう。
「各」は「夂+口」の組み合わせで、「夂」が天から地に向かう足の形で、「神霊が降って来る」意味で、「神霊が降る様に祈る(口)」の意味らしい。
古代では、各々が、神が降りる様に、祈っていたのだろう。
私達は、神に祈る事を、神主や坊主に頼んでいるが、神に通じていない神主や坊主に頼むよりも、自分で神に祈る事を、取り戻さなくては成らない。
その手掛かりは、文字や言葉に残されている。
一人一人が他人に頼ったり、他人に任せたりするのではなく、各自が、自分の責任に於いて、「リリジョン・religion(神と再び結ばれるの意味)」する時節を迎えているのではないだろうか。
平成16年11月13日
礒邉自適
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