2004/6/21
概念
16・6・21
「概念」とは、(1)事物の本質をとらえる思考の形式。(2)大まか意味の内容。と、広辞苑には載っている。
「概念」とは、西洋の哲学用語で、日本では漢字の「概念」を訳として当てているが、我われ東洋人には、あまり合わないのかもしれない。
インドの釈迦や、中国の老子の思考には、其れはどの様に映されているのだろうか。
人間の認識は、大脳が、自然物を自分の都合に合わせて、解釈する処から始まっている。
人類の目に映される事物は、自分の生活に取って、都合が良いか・悪いかの、二者選択の対象であったのだ。
其れは、生物が生きる手段として、進化に利用して来た、生き物のプログラムなのだ。
だから、生きる事を放棄してしまえば、二者選択も不必要となり、物事を判断する思考形式も、要らなく成る。そうすれば、概念も消滅してしまう。
呼吸を続けている内は、命が有るのだから、思考は動いている筈なのだが、瞑想中は、全ての思考が消え去っている。
しかし、脳は、全面的に思考を止めてはいない。生が続く間は、自動的に存在の確認を続けているのである。
生命エネルギーが消えて、脳死に至るまでは、そのシステムは持続されている。生命エネルギーが消え、心臓のリズムが一旦止まれば、其れ迄の概念が、取り祓われてしまうだろう。
其処から復活すれば、前とは違う、思考回路が生じるはずである。
とすれば、当然、概念も違って来るはずである。
精神世界で、「自我の死」が大事とされるのは、概念を切り替える為なのである。人間は、本質ではない事物を、本質であると、勘違いをして生活をしているのだ。
本質でない事物を、本質であると勘違いしている自分を、消してしまう事が「禊ぎ祓い」の儀式なのである。
今日は、夏至の日であるが、夏至の概念は、太陽が一番北に位置していることだが、実際には 太陽が動いているのではなく、太陽の背に有る地球が、回転しながら回っているだけで、太陽は全く動いていないのである。
夏至と、冬至の差は、腹を太陽に向けて回転していた地球が、背を太陽に向けて回転しているに過ぎない。
半年前は、地球は腹で太陽を見ていたのに、今は背で太陽を見ているのだ。
この様に概念を変えてしまえば、自分の意識の立場は、移動してしまうのである。
概念ほど、人間の思考を、狂わせてしまうものは無いのだ。
間違った概念が、社会に蔓延ってしまえば、不幸を生産する原因と成ってしまう。
地球の為に、太陽が、昇ったり沈んだりしているとの考えを止めて、地球が太陽の周りを、クルクル回っているのだと考えれば、人間の傲慢さも、少しは薄らぐのではないだろうか。
平成16年6月21日
礒邉自適
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