2006/6/15
屋久島の神の働きが見えて来た
18・6・15
今日、前の文章を整理していて、屋久島安房出身の「泊如竹翁」に関するものが出て来た。
其れを手直しして居て、此の一連の流れは、全て泊如竹の策略なのが見えて来た。
私が神掛りに成った時、一番に始めた事が、近くに有る泊如竹の廟の掃除や、縁の本仏寺との関わりだった。
今回の大山祇神の祭りも、大山邦博氏に、三年前に泊如竹の霊が憑依して始まったものである。
今回の流れは、既に三年前に始まっていたのだ。
泊如竹の誕生日が1月17日で、阪神大震災も、ロサンゼルスの地震も、湾岸戦争も1月17日である。自適塾の電話が着いたのも1月17日である。
どうやら、屋久島の山の神を動かしているのは 泊如竹の霊魂の様である。
平成18年6月15日
礒邉自適
「頼む」 15・2・17
昨夜は一晩中、小さな文字が全面に書かれている物が、続けて出て来た。
文字が小さ過ぎて、量が無限なので、読む気にも成れなかった。
最初の内は、興味が有ったので、一部分だけ目を近付けて見てみた。
すると、其の部分は女性の個人情報で、誕生日や、それ迄の人生の事が全て記されている。
其の内容は、現在、病院で看護婦として働いているが、大型ダンプカーの運転手に成りたい夢を持っている事まで、載っており、未来で何月何日に免許を取得したとまで、載っているのである。
其れは、現在、生きて働いている人が、未来に転生して、夢を叶える事までが、記されているのである。
私は、其の文字の記されている物が、人類の「三世(過去・現在・未来)」のデータベースである事が分かった。
そして、疲れた頭で朝起きたら、男性の声で「たのむ」と一言有った。
其の声の主が、誰だろうかと考えて見たら、本日2月17日は、旧暦の1月17日で、屋久島安房生れの「泊 如竹聖人」の誕生日であり、午後5時半より「泊如竹廟」で、生誕祭が催される事を思い出した。
泊 如竹は元亀元年(1570)1月17日 船大工「泊 太次右衛門」と「初亀」の長男として安房に生れ、5歳で本仏寺に入寺、「日章」の名で法華の京都本能寺に上京して仏教を学び、後に薩摩藩に招かれ、老後は屋久島に帰り郷土の為に尽して、1655年5月25日に85歳で亡くなっている。
だから、今日は、433回目の記念すべき日という事に成る。
今朝「頼む」と言って来たのが、其の「泊 如竹翁」であれば、私に、何を頼みたいのかは、理解できる様な気がする。
今朝の夢は、アカシックレコードと言われている、宇宙の記憶盤のデータベースが映って来たのだろう。
人間一人の個人データでも、三世に渡れば、莫大な量であろうし、現在は60億人居る人類全部のデータとなれば、想像を絶する量となる。
しかし、現在のコンピューターの発達を見れば、どの様なものかは、想像出来ない事ではない。
其の泊如竹は、琉球王に招かれて沖縄に渡り、王の図書館に案内されて蔵書を見せられた時、外に出てから「私の図書は 皆頭の中に有る」と、云ったとの逸話がある。
泊如竹は、人間の脳が、どれだけの知識を蓄えられるかを、知っていたらしい。
そして、如竹は、自分の文章は、あまり残してはいないらしい。
若しかしたら、如竹はアカシックレコードの存在に気付いていて、書物が無くても、知識は宇宙に蓄えられる事を知っており、自分が、何かの文章を残す事は、無意味であると考えていたのかも知れない。
其れに、余計な情報を残す事は 後世の人達に、無駄なエネルギーを使わせる事に成ると、考えていたのではないだろうか。
如竹は、猛烈に学問をして、釈迦仏陀の法華教だけでは物足りなくなり、本能寺を出て「儒学」の道に進んでいる。
若しかしたら、老子の学問に迄で進んだのかも知れない。そうであれば、自分の考え等を残す事は、余計な事であり、自分の念いは永遠だから、霊界から、未来に影響を与えようと、考えたのではないだろうか。
私に、18年前起きた事と、私の執らされた行動から判断すれば、如竹の関与の可能性は高い。
昨日は、日蓮聖人の誕生祭でもあった。法華宗は、日蓮が立宗した宗派である。
法華経は、釈迦仏陀が弟子の「舎利弗(しゃりほつ)」に、説法した内容を伝えるものである。だから法華経は、釈迦の言葉が文字に成って、伝えられた物である事に成る。
言葉が文字に変った時、人間の意識は文字に囚われて、もう意識は自由ではなくなり、釈迦の教えから外れてしまう。だからこそ、偉大な釈迦は、その欠点を補う為に、弟子の「摩訶迦葉」に無言の教えを渡したのである。
泊 如竹は、其の事の意味まで理解したので、自分の文字を、残さなかったのではないだろうか。
五歳で出家する事に成った如竹は、小さい時から、私と同じ体験をしていたのではないだろうか。
それを見抜いた行者も凄いが、釈迦や老子の心境にまで達した如竹も、偉大な存在と言えるだろう。
泊如竹の、産湯を汲んだであろう、安房川の川岸に、私の両親が上陸した時に、一番喜んだのは如竹かも知れない。
そうであれば、私の子供の時からの行動にも、納得いくものがある。
そして、今日「頼む」と言って来たのが、当の如竹であれば、三世に繋がる情報の整理を、委託して来たのではないだろうか。
私が20歳代の時に、数年間居候していた家は、如竹の母親である「初亀さん」の実家であり、如竹の産湯を使った跡の、石碑が有った屋敷でもある。
私が、自分で買う事に成り、現在住んでいる家も、其の居候をしていた家の女主人が、お世話してくれた物件である。
私の、自宅前の安房川の岸辺には、昔の桟橋跡が残っている。
其の桟橋は、56年前の夏に、私の両親が上陸した場所であり、多分、如竹も五歳で此の場所から出発し、数十年後、また此の場所に、帰って来たのではないだろうか。
私の自宅の裏山には、現在でも、如竹が五歳で、頭髪に剃刀を入れた「本佛寺」が建っている。
私の日常は、泊 如竹の一生を写した、鏡の舞台で、繰り返されているのかも知れない。
自分の一生が、自分だけの一生ではなく、永遠に繰り返されている、ブッダの業(カーマ)として、存在しているのではないだろうか。
インドの釈迦は、自分の念い・波動は死後500年残り、教えはその後1000年残り、言葉だけは其の後1000年残ると言ったと伝えられている。
そして、合計2500年経過すれば、衆生は皆、無明に陥ると言ったとの事である。
現在社会は、正に、其の2500年後の、無明の時代と言えるだろう。
その無明の時代に、人類のデータベースを見せられ、「頼む」と云われれば、私も、何らかの対策を採る必要があるだろう。
私は18年前、1984年6月4日(旧暦5月5日)自宅前の川岸にて禊を行い、4311体もの「神霊の思頼(みたまのふゆ)」が起きて、人類の未来を頼まれる事に成った。
その禊の場所が、56年前の昭和21年8月3日、母親が上陸し、荷物が陸上げされるのを待って、座っていた砂場である。
其の母親の胎内では、私は三ヶ月目の細胞分裂を繰り返していたのである。
三ヶ月目の細胞に、安房川の水神アナコンダは、どの様な影響を与えたのであろうか。
安房川の清い水の流れは、私や泊如竹に、何のエネルギーを与えたのであろうか。
インドの「ガンジス川(ガンガー)」の流れと、同じ記憶が、秘められているのであろうか。
今朝、夢に現れた小さな文字は、日本語の文字盤ばかりであった。
他のページを捲って見れば、世界中の文字が記されている事だろう。
記憶をしている材料や、場所が、何処に存在するのか分からない。
水なのか岩なのか、又は樹木なのかも私には分からない。
若しかしたら、生物の体内の遺伝子のゲノム其のものが、アカシックレコードのマイクロチップなのかも知れない。
仏教でも、神道でも、精進が基本の処にある。
自分の体内細胞こそ、永遠のインターネットであれば、自分の身こそ大事にしなければならないだろう。
一人の人間の肉体は、60兆の細胞で組み上がっており、一個の細胞の中に30億個の遺伝子情報が有るとの事。其の、臣大コンピューターと、大自然の働きの間には、境界が無いのだろう。其の関係性を、釈迦は 「法・ダルマ」と名付けたのではないだろうか。
私の意識も、自分のゲノムを通して、成佛しているのかも知れない。
※ゲノム{Genom ドイツ語}【配偶子または生物体を構成する細胞に含まれる染色体の一組。または其の中のDNAの総体。其の構成は生物の種に固有。】
平成15年2月17日
礒邉自適
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