2000/5/19
垣
12・5・19
日本の住居には、周囲に垣根を廻らせる事が一般的である。
其の垣根について、最も古いと思われる伝説が、出雲に残っている。
その伝説が残っているのは、島根県雲南市須賀の地にある「須賀神社・すがじんじゃ」で、其の須賀神社は日本の「和歌発祥の地」であると傳われている。
須賀神社の祭神は、「須佐之男命・櫛御氣命」と「櫛稲田姫」で、其れに二人の長男である「清之湯山主三名狭漏彦(すがの ゆやまぬし みなさる ひこ)」が祭祀されている。
此の地で、須佐之男命が「櫛稲田姫・奇稲田比売」の為に歌った有名な和歌が、次のようなものである。
「八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣造る その八重垣を」
此の歌は、新居の周りを垣根で囲ったと言う意味である。
須賀神社から、車で30分ほどの所に「八重垣神社」が存在し、其処でもこの歌が紹介されている。
ただ、八重垣神社では「八雲立つ」が「夜久毛たつ」と成っていた。
「八雲立つ」と言うのは、現在定説となっている書き方で、須佐之男命と奇稲田比売の新居である須賀の地に、雲が八重に立ち上っているところがイメージされている。
しかし、私が調べたところでは「ヤクモ」は、昔垣根に使った草の茎の事である様なのだ。
「ヤクモ」は「益母」であり、漢方薬としても用いられ、人間の背丈ほどにも伸びる多年草だと言うことである。
「益母」の和名は「メハジキ」であり、毎年、春に芽を出し、夏には花をつけて、秋になると枯れてしまう。
其の、益母草の茎が、人間の顔の高さまで伸びるので、前を歩く人が掻き分けた茎が挑ね返り、後に続いて行く人の目に当たった事から「メハジキ」の名が付いたのではないだろうか。(別の説明も有る)
また、その名を付けることで、「ヤクモ=メハジキ」の生えている所は、目をはじかれるので注意しなさいと言う、心構えも促したと思われる。
文字の意味が、よく理解されていない時代に、表音のために「夜久毛」が使われ、その後に続く「八重垣」の「八」と混同して「八雲」となり、「益母」の意味は見えなくなって、幾重にも雲の立ち上った様子が、定着したのであろう。
この歌の詠まれた須賀神社の近くに、私は二年間住んでいたが、八重に雲が立っている状況には出会った事が無い。
須佐之男命が、歌を詠んだ当時の心境を想ってみれば、新妻を得て「おまえのために 新居の周りに 幾重にも垣根を立てて 大事に守ろう」と言う意志が感じられる。
刃物が発達していない古代、垣根にするには、秋に枯れて、根本から手で折り取れるヤクモ草は、都合が良かったものと思われる。
「益母立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣造る その八重垣を」と言う歌を、何度も口にしていると、この意識は、「愛人を囲う」という意識に通じるものがあるように思えてきた。
「囲う」と言う意識が、2000年も3000年も前から有るのであれば、男性が、愛する女性を大事に思い、他の男に見せない為に、目線が隠れる程の高さの垣根を造る事は当然のことであり、男性の本能と言ってもよいだろう。
天皇家の、重要な儀式である「大嘗祭」が行われる「悠紀殿、主基殿」の周囲には、柴垣が立てられる。
神社の周囲にも、「瑞垣・みづがき」と言って、石垣が造られている。
これは、外からの邪念が入らない様にする為とか、悪霊を防ぐ為とか云われている。
古来より「垣」と言う物は、重要な意味を持つものであったのだ。
数千年に亘って、続いてきた垣根の文化は、当分無く成りはしない様だ。
「目弾・めはじき」シソ科の越年草。茎は四角形で直立して分枝し、高さ0.5〜1.5メートル。冬にある根出葉は卵心形で浅い切れ込みがあり、長い葉柄があるが、茎葉は3裂して、裂片はさらに羽状に分裂する。7〜9月、葉腋(ようえき)に紅紫色で長さ6〜7ミリメートルの唇形花を開く。萼(がく)は5裂し、裂片は先が針状にとがる。道端に生え、日本、およびアジア中南部に広く分布する。名は、子供たちが茎を短く切ってまぶたにくっつけて遊んだことにちなむ。また、全草を乾かし、打撲症や腹痛、月経不順、産後の出血などに煎(せん)じて用いられたことから、ヤクモソウ(益母草)の名もある。なお、このエキスは益母膏(やくもこう)と称し、市販されたこともある。
小学館 百科辞典
追記 其の後調べた処では、「萑・スイ・カン」が(一)@草の多いさま。A薬草の名。めはじき。やくも。(二)@おぎ。萩のじゅうぶんに成長したもの。若いものを菼・タンという。A萑蘭はなみだの流れるさま。と有った。
漢語林
平成12年5月19日
礒邉自適

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