2007/3/16
龍の鳴き声
19・3・16
今日は、龍の鳴き声は「引き声」である事が理解出来た。
其れは、昨夜ホテル「縄文の郷・まんてん」に、前田氏と宿泊し、露天風呂で、湯圧のマッサージ器から発生する、渦巻きの引き音を耳にしたからであろう。
私が、23年前に悟ったのも、やはり無庵師匠の家の風呂場で、排水管に、お湯が吸い込まれる時の音を耳にした時である。
其の共通点は、水が渦巻きに吸い込まれる時に、発生する音である事だ。
聖書に有る様に、此の地球で、神の意識に目覚める時に、必要なのは、水の存在である。
聖書には、水でパプテスマを施す事が載っているが、此の世界は「水と霊」の力に拠って、存在しているとも書いてある。
其れは、科学的にも立証出来る理である。
水の無き所には、いのち有る生命は存在しない。
始めに、アダムが誕生したのも、粘土の海である。
粘土は、アルミと珪素の化合物である。
其の、アルミと「珪素・シリコン」が溶け合っている水溜まりに、雷が落ちて、其の電圧に拠り、最初のDNA・蛋白質の鎖が、合成された理・ことに成っている。
そして、其の分子構造が、緻密に成った処で、「イブ(カルシウムを持つ物)」が発生したとされている。
私は、23年前に、無庵師匠の力で安房川の川原で禊ぎをし、全てのカルマ・業(全ての背景)から自由に成り、覚醒する事が出来たので、宇宙の始まりを見る事が出来たのである。
其の宇宙の始まりも、世界中の遺跡で見られる、二重の螺旋構造である。
其れは、無重力の宇宙空間で、水素原子の渦巻きに因る、光エネルギーへの転換の様子を、自分の根源として観る事である。
水の元である、水素原子の粒子が質量を増し、黄泉と名付けられているある濃度に達すると、揺らぎを起こし、其れが渦巻きと成って、朝顔の花の形の様に中心が窪んで行く。
そして、これ以上小さく成れない限界点・特異点に達すると、光のエネルギーに転換し、真闇の宇宙空間に飛んで行くのである。
しかし、其の光も、エネルギーを消耗すると、元の粒子と成って、再び宇宙空間に飛散して行くのである。
其の、粒子が渦巻きと成って、深い穴に吸い込まれて行く時の音が、龍の鳴き声なのである。
だから、其の龍の鳴き声が、此の宇宙を創造しているとも言えるのである。
其れを、人間が目にする為に、描かれた絵が「時空・トキ」の球を、手に鷲掴みして居る龍神の姿なのである。
だから、其れを、簡単に言葉にすれば、時間を司る龍王が、此の宇宙を手に抱えて、旅をしていると言う事に成るのだ。
だからこそ、龍と水の存在は、切っても切れない間柄なのである。
今朝、私が、其の理を認識したのは、屋久島の真東の地である。
中国の、四方神の、東の神は水であり、青龍であり、智慧を司る働きである。
今朝、目覚めたホテルの温泉水は、其の地下から、直接汲み上げているものである。
其の、水の掘削の時、水の霊の祟りも発生している。
其れは、現代人が余りにも、宇宙の原理原則に無頓着であるからなのであろう。
しかし、其の祟りも、私がこうして認識した事で、消滅したのかも知れない。
私達人類の本当の役割は、宇宙の創造神の存在を、認識する事である。
我々の存在は、宇宙の意識が、自分自身を認識する為に、現象化している物である。
其の人間が、其の役割を忘れて、自己の欲望ばかりに暴走すれば、人間に与えられた役割は、果たされない事に成り、人間の存在は宇宙意識にとって、不必要な物と成ってしまうのだ。
龍神が、苦しい想いをしながら、水素原子の粒子を吸い込み、光エネルギーに転換して、此の宇宙の存在・トキを生産しているのに、其の働きに感謝する人間が一人も居なく成れば、龍神はやる気を失って、力尽きるのではないだろうか。
其の、龍神の想いを一身に受けて、動いて来たのが、私の24年間の月日である。
其の結末として、今回、阿蘇の日宮幣立神宮で「九代龍王水神」の幟を掲げた事は、大きな意味が有ったのではないだろうか。
是で、宇宙のバランスが少しでは調和する事に成れば、私も、肩の荷が軽く成ると言うものである。
平成19年3月16日
礒邉自適
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