2009/2/2
政り事は音楽から
21・2・2
今朝のメッセージの映像は、一体の霊魂が、男性と女性の両方の肉体に転生しながら、「トキ・事象」を流れている姿が、シルエットで映されて来た。
そして、九州の熊本県と鹿児島県に、男性三名の御霊が存在する事が、地図上で示されて来て、其の男性三名は、政治家に成る役割を担っているのだが、政治家として立候補するのではなく、先ず、音楽に関したイベントを開催して、表に出る事が示されて来た。
次ぎに、私がイベント会場と成っている建物の中に居ると、右横にプロ野球の「鈴木一郎選手」が遣って来て、挨拶を交わす事に成った。
私は、其処に居たスタッフに、一郎選手との二ショットを撮って貰った。
其れから、一郎選手と一緒に来ていた男性が、「愛知県に来た時は 応援しますので 連絡をして下さい。」と云って、一郎選手と一緒に帰って行った。
其れは、是からの大きな動きには、一郎選手も応援してくれる事を、示唆しているのではないだろうか。
其れから、ドングリ眼の様に、大きく目を開いた男性の顔が、現れて消えた。
其の大きな男性の目は、「達磨禅師」の両目が開いたとの意味か、本物の官僚である「大臣」の目を意味しているのではないだろうか。
漢字の「臣・ジン」は、大きな目の象形で「物ごとの道理が 能く見えている人。」の意味である。
其れが、悟りを得た人物の意味であって、大臣の資格を示唆しているのであれば、今朝のメッセージも、此処数日続いている官僚政治の件に付いて、示唆して来ている事に成る。
「達磨さんが笑った」http://moon.ap.teacup.com/20060507/
達磨禅師(ボーディダルマ)の逸話には、次ぎの様に有る。
・西暦500年ごろ、インドから中国に禅を伝えた禅宗の初祖。武帝に招かれ、教えを説いたが、王は理解できなかった。側近の偉い武将が葦の舟に乗って、去って行こうとする達磨禅師をもう一度戻って欲しいと留めたが、「一期一会」の言の葉を残して去っていったという。その後、魏に行き、少林寺で修業をして禅宗を開いたという。日本には達磨禅師没後、約600年、栄西 (1141〜1215) が宋より伝えた。江戸時代には白隠 (1685〜1768) が出て、これを中興した。・・
ウィキペディアフリー辞典 現在記載
私は1月17日に、参議院議員の江田憲司氏の提示版に、書き込みを開始した。江田けんじ氏は、「脱藩官僚結集せよ」とのHPを、坂本龍馬の姿を使って開設している。其れに、江田けんじ氏は道州制実現の旗頭も努めている。
其の江田けんじ氏は、自民党を離党した「渡辺善美氏」とも行動を共にしているのである。
私は、其の渡辺善美氏の「温故知新の会」にも、16日に入会手続きをした。
其れ等の事から、私の意識は、政治の世界に霊的に介入を始めているのではないだろうか。
そして、其の意識が、ドイツ国の故「ビルマスク」にまで辿り着いて、官僚の在り様に触れているのかも知れない。
其れは、達磨禅師が、中国の武帝に理解されなかった世界を、現代社会の政治家に、訓える意味も有るのだろう。
其れは、現代の世の中で選挙に出場する人が、達磨の像を買って来て、当選したら両目を入れる行為を、当人の達磨禅師が、怒っているかも知れないのである。
考えて見れば、世間を出て、悟りを開く為に行っている座禅の姿が、一番の俗世界と呼ばれている、政治家の選挙に使用されているのは、真に変しな事である。
禅宗ではないが、屋久島の安房出身の「泊 如竹」翁もお坊さんで、政治に関わった人物であり、屋久島自適塾の発足も、何故か1月17日の泊如竹翁の誕生日と重なっている。
泊如竹翁は、本能寺の管長にも成れる可能性が有ったにも関わらず、本能寺を出て、孔子の儒教の学問の方に転向している。
其の孔子の教えの中には、新しい法を発布する時には、国で一番有名な音楽家を招いて演奏を行えば、澤山の国民が集まるので、法を発布する事が、国民に上手く認知されると有る。
其れを考える、新しい政(まつりごと)を行うのには、音楽のイベントが必要であるとの理・ことではないだろうか。
「泊如竹(1570〜1655)」は、1570年1月17日船大工泊太次右衛門・初亀夫婦の長男として安房(あんぼう)に生まれる。 1574年、日章と名乗って本能寺に入る。1605年薩摩正興寺にて文之玄昌に師事。 1614年以後、伊勢の藤堂高虎、琉球国王尚豊、19代藩主島津光久に侍読として仕えるなどし、屋久島へ戻る。屋久杉の伐採に尽力し、「屋久聖人」と称えられる。一生を僧形・独身で過ごす。晩年、村を災いより守るとしてこの地に葬られることを望み、明暦元年(1655)5月25日、85歳で寂す。
此処数日続いている、政(まつりごと)に関する流れではあるが、今朝は、其の政(まつりごと)が、政治家的に行動するのではなく、音楽のイベント的に行なわれる事を意味していた。
其れは、「ジョン-レノン」の御霊や「オノ-ヨーコさん」の行動にも、類するモノである。
今朝のメッセージは、若しかしたら、屋久島の山の神である太鼓岳の「ピーコドンドン」が、動き出す事を示して来ているのかも知れない。
屋久島の音楽の神「ピーコドンドン」http://moon.ap.teacup.com/20061108/402.html
今朝の映像で、九州に存在する三名の男性が、誰であるのかは明確ではないが、熊本県の二名には心当りが無いわけではない。
今朝感じた事は、18年3月19日に「紀・トキの祭り」を行えと告げて来た「大山祇神・おおやまつみかみ」の働きが、本格的に動き出しているのではないかと言うことである。
其の流れとして、今年の7月22日に、屋久島付近で起こる「皆既日食」のイベントが、関係有るのかも知れない。
其の件に付いては、正式に決っている分けではないが、屋久島に有る高等学校の校舎と、野外ステージの開放が考えられている。
其れが可能と成れば、100人ぐらいの宿泊は可能である。
今朝のメッセージは、其のイベントにも関係が有るのかも知れない。
オーナーに其の計画を話すと「自適さん 其の日が天候が悪く 太陽が出なかったらパーに成るではないか。」と云われたが、私が25年間参加したお祭りには、一度も雨が降って中止に成った事が無いので、其の旨を伝えると、オーナーは「自適さん らしいね」と云って、一応気にしてくれているのである。
後は、是から6ヶ月間、我々がどの様に、其の日を迎えるかに掛かっているのである。
何しろ、次ぎに日本国の陸地で、皆既日食が起きるのは46年後だから、一生に二度しか体験出来無いチャンスなのである。
其の日に、屋久島で、我々は何が出来て、其の後の動きにどう繋いで行けるかが、私に与えられた課題なのかも知れない。
今日は途中から、屋久島特産の「首折れ鯖」の冷凍試験作業に行ったので、文章の繋がりが無く成ってしまった。
だが、途中の文章を繋ぐ思考が動かないので、此の侭で終る事にする。
今朝、最初に現れた御霊の転生の事は、また示されて来るだろう。
平成21年2月2日
礒邉自適
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