達磨さんが笑った
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2008/10/20
「三世の繋ぎ「うつほ」」
悟り
三世の繋ぎ「うつほ」
20・10・20
今朝のメッセージは「12月4日」の日付が告げられ「うつほ」との言葉が告げられて来た。
そして、「うつほ」の単語が18日のメッセージに有った、三章の文章の下段と中段の間を繋ぐ、単語である事が知らされた。
昨日、ジャガーの登場に関して、昨年の12月3日のメッセージ「美智子柱が崩れる」をリンクしたが、12月4日は其の次の日である。
「蜥蜴頭の指揮者」
http://green.ap.teacup.com/20060818/563.html
其の日のメッセージには、山から、大きな木が運び出される事が書いて有る。
其の日の文章の内容と、今朝のメッセージの内容を、合わせて考えると、「仏陀・ブッダ」の本当の姿が見えて来る。
其れは、仏陀に成る為には、自分の意識を「空・うつほ」にして、木に寄り掛かる必要があると言う事である。
釈迦は、六年間に亘る厳しい修行を止めて、池で水浴びをしてから、スジャータが差し出したミルクを飲み、菩提樹の木の根元に寄りかかって、休息した時に大悟している。
其れは、「悟りたい」との考えを捨てて、水の禊ぎをして、ひもじさからも抜けて、木に寄り掛かり、自分の心が「空・うつほ」に成った時に、悟りの瞬間が訪れた事を意味している。
其の悟りとは、私も体験したので良く解かるが、全ての行為を止めて、大脳の働きを止めてしまえば、古皮質である蛇の脳と同じ、脳幹の働きが表に現れ、自律神経と繋がっている脳の「松果体(シリコン結晶体)」の「チャンネル(第三の目)」が開き、「珪素・シリコン」の周波数で「アカシック-レコード(宇宙の記憶盤)」の情報を、全てダビング出来るのである。
そして、其の映像の情報を、自分の知っている言語に、七昼夜掛かって置き換えて、海馬を通して、自分の記憶の貯蔵庫に納めてしまい、其れが済んでから、自然に立ち上がって三足歩き、「アレ 私は何処に向かおうとして居るのだろう。此の理・ことは 私一人しか理解した者は無い。」と、釈迦が自覚した心境が、「天上天下唯我独尊」の言葉である。
其の、大悟した釈迦牟尼佛の言葉が「三世に亘る自分の意識」である。
其れは、過去の世界の集結として、現在の自分が存在し、其の、今の自分の在り様で、未来世界が開かれるとの自覚である。
其れが「三世因果」の法則であり、其の現世に座る自分の意識が、遍く宇宙に満ち亘るとの意味が「三千大世界」である。
其の「三世因果」の意味が、18日のメッセージに「三章」として映り出されて来たのであろう。
そして、其の三章と二章の間に、「うつほ」の意識が介入する必要があるとの理・ことである。
其の「うつほ・空」が、人間の役割である「仏陀・ブッダ・すめみま」なのだ。
そして、其れが、上下の関係で示されて来たのは、座って足を止めて居る姿が、三段目を示しており、胴体が二段目であり、一段目が頭であろう。
其の様に考えれば、胴体と頭の繋ぎとして、もう一つ「うつほ」に代る言葉が必要に成って来る。
其れは、咽仏の位置に存在する働きであろう。其処には、人間が人間らしく存在する為の「声帯」が有る。
人間が、文字を使用しているのは、言葉が有るからである。
其の言葉は、声帯が発達して、色々な音色を出せる様に成ったからである。
其の事を考えると、人間の意識は、声帯の所に、意識が集中していると考えても、外れてはいないのではないだろうか。
だとすれば、「一章・一段目」と「二章・二段目」の間には、「声・音色」が繋ぎとして存在するのかもしれない。
其の様に考えると、声の音色に、決った漢字を当て嵌める事は、間違いと言うか、真実から物ごとを外してしまう恐れが、有ると言う事に成る。
日本語の世界は「言霊・ことたま」と言って、「いろは48音色」に、其々の霊が宿っていると考えられており、全てを漢字に置き換える事を、良しとはしていない。
其の事を考えると、「うつほ」も「空」の漢字を当てる事を、躊躇しなければ成らないのではないだろうか。
辞典には「うつほ」は、「うつほ・うつお・うつぼ」「空・虚・洞」と有り、
@ 中がからであること。からっぽのもの。
A 岩・幹などの内部がからになっている所。空洞 と 載っている。
其の意味からすると、人間は悟る為に、自分の意識を「虚しい・空しい」むなしき状態に、追い込む必要があると言う理・ことに成る。
だから、偉大なお釈迦さんでも、悟りたいとの気持ちが有る間は、六年間も悟る事が出来なかったのである。
其の点に於いては、日本には、水に拠る「禊ぎ祓い」の伝統が伝えられているので、簡単であり六年間も、苦しい修行をする必要は無い。
現に、私は24年前に、3月5日から6月4日までの丸3ヶ月間で、其れに成功している。
其れは、物部に伝わる「食国の政(まつりごと)の司(つかさ)」に成る為に、「御饌殿(みけどの)の神」の修行をする事である。
それは、「食べ物」と「水」を自然の物に替えて、一切の、人間社会の情報を忘れ去る事である。
そして、山中や海岸の洞穴に籠り、自分の波動を隔離して、生体電気を高め、長波の電圧パワーを溜めて、電離層を抜けて外宇宙に飛び出し、先ず、金星の波動とチャンネルする事である。
其れが、弘法大師空海が成功した「虚空蔵菩薩求聞持法・こくうぞうぼさつ ぐもんじほう」の世界である。
弘法大師空海は、其れを、四国の室戸岬の洞窟で行って、金星が口に飛び込んで来る世界を体験している。
其の洞穴に籠る姿こそ、海に住む「うつぼ・ウツボ」の姿である。
ウツボ(鱓)は、ウナギ目・ウツボ亜目・ウツボ科で、爬虫類有鱗目の蜥蜴や蛇とは種類が違う生き物である。
だから、「選択・チョイス」の意味の「選ぶ・えらぶ・エラブ(古代語の蛇の意味)」や、善悪を判断する、旧約聖書の智慧の実を食べる事を勧める蛇とは、違うのである。
其れを考えると、「エラブ・選択」の働きより、「うつほ・ウツボ・鱓・鰻」の方が、神の原点に近いと言う理・ことに成り、「祷り・帰命・ナーム・リリジョン・religion」に成功する為には、「蛇・エラブ」より「鱓・ウツボ」と、仲良くした方が良いことに成る。
其の様に考えると、人間がお堂に籠ったり、仏像を厨子の中に納めたりする、人間の深層心理も見えて来ると言うものである。
そして、其の姿を現しているのが「智拳印・ちけんいん」を組んで、八体の菩薩の真ん中に座っている「大日如来」の像なのであろう。
其の様に考えると、昨日のメッセージの、四方神の働きの中心に存在する意識体は、自分の行為を全て休んで、「空虚・うつほ」を護っている「ビルシャナ・大日如来」と言う事に成って来る。
今朝は、私の土地や、お金やアイデアを全部盗んで、大成功を収めている「池田富子」が現れて、会場で皆に、得意気に話をして居る場面が現れた。
其処に、私の意識が参加して「貴方は あの土地には 1円も出していないではないか。」と云うと、池田富子は顔を真っ赤にして、俯いて泣き出しそうに成り、部屋から外に出て行った。
其の姿を見て、私は、人間は罪を犯したら、もう後戻りが出来ないのだと感じて居た。
其れが、釈迦牟尼佛の謂う「三世因果」を意味しているのだろう。
悪い事をして、財産を残しても、釈迦牟尼佛の弟子であった「提婆達多・ダイバダッタ」の様に、恩知らずな行為をすれば、何千年も、其の行為と名前は伝えられ続けて行くのである。
そう成れば、財産を残された子供は、自分の血筋に呪いが掛かってしまい、代々に亘って救われる事は無いのである。
其の意味では、財産を取られて、一家離散を余儀なくされた私の方が、何も無いけれども、幸せであると言う事に成るのである。
私に「神霊の思頼・みたまのふゆ」が起きて、この様に「イエス-キリスト」や「釈迦牟尼佛」の憶いを、繋いでいるのは、宇宙全体の働きに拠るモノ・現象である。
私が、此処までの意識に達する為には、両親や、無庵師匠や、友人の善の働きが有る事が、重要であった事は事実であるが、私から、全てを盗んでくれる悪の働きがなければ、此処までの意識に、私が到達する事は出来なかったのも、また事実である。
其の理・ことを考えると、旧約聖書の物語に有る様に、人間が善悪を判断出来る智慧の実を、食べては成らないとの訓えは、正しい理に成る。
其れを実行するには、やはり「うつほ」の精神でなければ成らないのだ。
其れが、「般若波羅蜜・はんにやはらみつ」の意識であり、「色即是空・空即是色」の教えを、理解する事であろう。
是から、始まる新しい村造りには、其の事が、最大のテーマと成るのではないだろうか。
またそうでなければ、世界の人達の意識を、集める事等出来ないであろう。
其の為には、出来るだけ、自然を壊さずに設備を整えて、皆が「ビルシャナ・大日如来・うつほ」の意識を、体験出来る様にしなければ成らないのである。
屋久島は、世界自然遺産に登録された自然豊かな島であり、海抜1936mの宮之浦岳を中心に、海抜1000mを越える山々が、回りを円く取り囲んでいる。
其れは、曼荼羅の様でもあり、ブッダの台座の蓮の華の様でもある。
其れに、島の80%を占める中心部分は国有林であり、民間の手に拠る開発は出来ないので、自然が破壊される事は無いのである。
だからこそ、神々も、最後の地として、此の島を、三千世界の中心である須弥山としたのではないだろうか。
其れに、屋久島の山岳には、昔の行者が、修行の為に寝泊りした「行者の岩屋」も、彼方此方に存在するのである。
其の岩屋は、何人もの「うつほ」を、過去に生み出しているのだろう。
そして、其の人達の憶いが、今日も私を、此の様に動かしているのだろう。
明日21日は、弘法大師空海の月命日であるので、山岳密教の達人である空海が、三章の文章に付いての続きを、知らせて来るかもしれない。
「宇津穂」
http://star.ap.teacup.com/170606/784.html
「ウツホ」
http://star.ap.teacup.com/170606/786.html
平成20年10月20日
礒邉自適
投稿者: 礒邉自適
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