ダルマさんが笑った
18・5・7
今朝は、菩提達磨が19年振りに現れ、座った侭、大きな口を開けて高笑いをした。
其れは、私の方を向いて口を大きく開いたので、喉の奥まで見える格好であった。そして、其の声は ハ-ハ-ハ-ハ-ハ・・・で、高くて大きく、今までに見たことも、聞いた事も無い程の高笑いの声である。
私は、その達磨さんの姿を視て、自分の悟りの旅が、完成した事を感じて居た。
以前に、一回だけビジョンで達磨さんが顔を見せた事が有った。其れは、1987年の8月1日である。其の時の様子は、頭は禿げ頭で、顔は笑顔であった。
そして、私に「おまえにしか解らん 動と静」と告げたのである。
「動・ドウ」とは、動く事であり、「静・セイ」とは動かない事である。其れが、私にしか理解出来ないと云うのである。
其れは、人間の悟りの世界には、「動の世界」と「静の世界」が二通り在るとの事で、両方の世界を悟らなければ、片手落ちになる理を告げて来ている。
其れから、早くも19年もの歳月が経過している。其れは、私が動の世界と、静の世界を両方マスターする為に、19年もの歳月が必要であった事を示している。しかし、今朝の達磨の高笑いには、別の面も秘められている様である。
それは、自分が興した振る舞いや、仕種・しぐさが、後の代に影響を与え、人間社会に新しいカルマ・業を創り出してしまった事の、自笑の念いも含まれているのだと想われる。そして、其のカルマ・業を、私が消してくれる事も期待しているのである。
其れは、レオナルド・ダ・ヴィンチが、自分の心象風景をモナリザの絵に込めて表現したのと同じく、達磨は其の高笑いの映像で、自分の心象風景を表して来たのだ。
是でようやく、私が禅定から立ち上がり、「三昧・サマデイ」の精神で、ブッダの「足なづち-手なずち」として、歩き出せるのだ。
達磨に付いては、本日「達磨さんが笑った」のブログを開設して、其方でジックリ考察して貰う様にしようと考えて居るので、此処で詳しくは説明しないが、「達磨さん」を検索すると、達磨(だるま、ボーディダルマ 382年? - 532年)。達磨は禅宗の開祖とされ、菩提達磨(ぼだいだるま、梵語: ピンイン Pútídámó)、達磨祖師、達磨大師ともいう。「ダルマ」というのは、サンスクリット語で「法」を表す言葉。達摩との表記もあるが、いわゆる中国禅の典籍には達磨、古い写本は達摩と表記する。「達(ダチ)」を「ダル」と読むのは、中古漢語の入声[t]が朝鮮語漢字音で流音[l]に変化したため、達[dat]は朝鮮半島で[dal]に変わり、その音が日本に伝わったためとされる。画像では、眼光鋭く髭を生やし耳輪を付けた姿で描かれているものが多い。
南インドの王国の第三王子として生まれ、中国で活躍した仏教の僧侶。5世紀後半から6世紀前半の人。中国禅の開祖。『景徳傳燈録』によれば釈迦から数えて28代目とされている。インドから中国南方へ渡海し、洛陽郊外の嵩山少林寺にて面壁を行う。確認されているだけで曇林、慧可の弟子がいる。彼の宗派は当初楞伽宗と呼ばれた。彼の事績、言行を記録した語録とされるものに『二入四行論』などがある。・・・と、 「ウィキペディア辞典」には載っている。
今朝は、其の菩提達磨の手土産の、思索の映像が有ったが、其れは別のページに載せる事にする。執り合えず、達磨さんが転ぶ姿ではなく、笑う姿だった事に「ホッ」とする自分が在る事をお知らせしておこう。
「達磨さんが笑ったHP」 http://moon.ap.teacup.com/20060507/
やはり、昨日書いた呼吸の事が非常に大事だったようである。
「アレ」 突然、右手の小指がビリビリ痛く成って来た。
サテは、昨日の映像や仕種も、達磨の仕業か。道理で昨日、中山博さんのメッセージにも、指に知らせが届くと書いて有った。
其れに、昨日も中山博さんからのパソコン電話は、私が文章を書き終わった時に掛かって来た。そして、電話が繋がったら途端に中山博さんが咳を始めた。そして、中山博さんの咳が終わったら、今度は私に咳が出始めた。
その現象は、達磨さんがインターネットの電子信号の中で、東京と屋久島間を行ったり来たりしている証拠である。
やはり、釈迦牟尼佛の真理は「摩訶迦葉尊者・まかかしょうそんじゃ」に、「一個半個」の精神で継続されて来ていたのである。
平成18年5月7日
礒邉自適
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