2006/6/24
「坊主の本は鼠の餌」
坊主の本は鼠の餌
18・6・24
今朝のメッセージは、文字と言葉の大事さに付いてが テーマの様である。
始めの映像は、私が厚い紙か皮の様な物に書かれた文字を、金束子の様な物を使い、水を書けながら次次に擦って消していた。すると其処に、70歳くらいの歌仙風の男性が遣って来て、私に「貴方は 其処に書かれている 文字の意味が 解っているのか。」と云う。私が「読んでいない。」と云うと、其の男性が文字の意味を説き始めた。すると、其の文字の意味する内容が、有名な人達の傑作ばかりなのであることが判明した。
私は其の人に聞きながら、自分が消してしまった文字の跡を辿り筆で墨を着け始めた。其の作業を続けていると、全部が復元出来ない内に、其の男性は「食事の時間に成ったので帰る。」と云って、其の場から立ち去って行った。
私は其処に1人残され、回りの景色を見るとサツマイモの畑の真ん中である。
目の前には、サツマイモの蔓が繁り、畑の土の中ではもう芋が大きく成り、土を押し割って顔を出そうとしている。
其の芋が顔を出す場面の映像の処で、私が墨を着けていた言葉が「此処の寺の 坊主の本は 鼠の餌」と、言うものであった。
其の映像の意味は、サツマイモの芋は土の中に埋もれている時は野鼠の被害が無いが、地面に顔を出すと鼠の餌と成ってしまうとのことであろう。
其れが、寺の坊主の本と何等かの関係が有るらしい。
どうやら現在の寺に有る書物は、ブッダの言葉の力は既に消え失せ、鼠の巣造りの材料にしか成らないとの意味を含んでいる様である。
其れとは違い、私が復元しようとしている言葉の意味は、宇宙の森羅万象の「唯今」の現象が詩に詠み込まれたモノであり、其の言葉に拠って事象が安定をしていることが知らされて来ている。
人間の言葉は人間だけのモノではなく、正しき真言に拠るところの言葉は宇宙に意味を与え、此の森羅万象の事象の変化に影響を与えているのである。
私は、其の古代の人達が積み上げて来た叡智の言葉を、総てコソギ落としてしまおうとしていたのである。
人間の言葉とは、人間だけの物ではなく、宇宙の進化の流れと共に進化して来た物であり、物凄く大事な物であったのだ。
其の大事な言葉は、文章と言うよりは和歌に似た様なものである。
本当に森羅万象の在り様を読み込んだ詩は、其のまま宇宙の安定と進化をもたらすことに成るのだ。
だからこそ、日本の天皇家の役割りは、和歌を詠む事に在るのだ。
しかし今朝霊夢に現れた歌仙は、天皇とかの身分の有る者ではなく、高貴な御仁の様なのだが自由な身の上の様であった。
其の様な御仁が存在して、言葉(人の魂)を繋いで来たからこそ、人類の存続が護られて来たのである。
しかし、現在の多くの寺の実状は、森羅万象を自分の目で観て詩を詠むのではなく、過去の人達の言葉が文章として残されている書物を読んでいるだけである。
だから、寺に有る本は只の鼠の餌にしか成らないと知らせて来たのだろう。
今朝は其の後、更に映像が映されて来た。今日も、昨日に続きマイクロバス1台分の女性が現れ、其の女性が乗り込んだバスを私が運転して、何処かに向かう事に成った。
昨日の女性群は妊娠可能な人達であったが、今朝の女性群は子供がいる母親のグループで、私はその人達の子育ての勉強に付き合わされているのである。
其のバスを私が運転して、着いた所は何処かの大学の構内であった。
私は大学に着くと、其の大学の図書館に向かい、本が沢山並んでいる棚から世界中の正しい暮らしが行われている参考文件を選んで、講義をする教授に渡していた。其の大学教授は、私が渡した本の名前を図書室の借受伝票に書き込んで、女性達が待つ教室に向かって行った。
私は其処で、自分の役割が済んでホッとした処で、今朝の映像は終わった。
昨日のメッセージは、妊娠可能な女性の食物の件と法律の整備に付いてだったが、今朝は子育て中の女性達の生活様式に付いての用件で、其の講義内容も私が選定しなけれ成らない様子が示されて来た。
そして一番大事なコトは、女性は子供を産み育てる事に使命があるが、男性の究極の仕事は宇宙を安定させる程のエネルギーを有した言葉を残す事に有ると言うことである。
其れが、本当の言葉の世界なのだ。女性は子供を残し、男性は言葉を残すのが役割なのである。
其処の処をシッカリと認識出来れば、自ずから男女の役割の違いが見えて来る。
男性が、お寺で本ばかり読んで居ては、鼠の行動と余り変わりが無いのである。
畑に行って、作物の生き様を見れば、自然の存在の意味が理解でき、人間はどう生きたら良いかの答えが見つかるのである。もう、今までの様な坊主の生き方は流行らないのである。
現代の世の中は、インチキ坊主や偽神官や偽神父が多いので、男の子の目標が定まらずまともに育つ事が出来ないのだ。
母親の子育ての責任は、子供が物心が付くまでである。その後の生き方の在り様は、男性側の責任と成るのだ。
其処の処の自覚がなければ、人類の未来は決して明るいものとは成らないのである。
神社の祝詞や、お寺のお経や、其れに教会での聖書の説明など、唱えられる言葉は昔の偉人が残した言葉である。
其の言葉も時代が進めば、時代に合う物と合わない物が出て来るのは当然の事である。
男が自分の立場を自覚し、正しい言葉を確立しなければ、女性の苦労も報われないのである。今朝のメッセージは、其の事を私に告げて来たのだろう。
是から私が向かう方向は、どうやら教育の立て直しに有るようである。
平成18年6月24日
礒 邉 自 適
投稿者: jitekiisobe
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