自分のたましいの故郷を訪ねる旅

私が 全国を旅した神社の記録と 神霊の系図等を紹介。

 
 人には 皆 魂しいの故郷が有る。  其処に辿り着けば 安らぎがある。  其れは 何故か。 其れは 人は皆 神の子だから。

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投稿者:折口サツ子
トバシラと言えば、阿久根市の高松川の河口にトバシラ公園があり、小さな神社(祠)があります。昔は波打ち際の光瀬という岩礁の上にあったとのこと。戸柱と表記されるようですが、枕崎、串良辺りの海岸にもあるようです。物部十柱のことでしょうか?
国道3号線を南下して大字西目に飛松集落の地名。
飛松真美子さんのご両親の出身地はそこだと思いますが、真美子さんはどんな経緯で舞を奉納されるようになったのでしょうか?興味を覚えます。
国道をさらに南下して、出水山地がストンと東シナ海に落ち込む薩摩大川の地。沖合いに甑島が望めます。甑島は鹿の子百合で有名らしいのです。大川の崖のあちこちに鹿の子百合や紫色のつつじ(正式名?)が咲いてるのが電車やバスから目にする度に不思議に思ってました。
私の生まれた折口の低い丘では朱色の低木のつつじや朱色の鬼百合が自生してるだけ。植物相が違い過ぎるのです。
3号線を北上すると、折多小から米ノ津まではほぼ平坦な道、昭和39年のオリンピック聖火リレー用に舗装されるまでは、松並木の残る道でした。
国道沿いの田んぼ(耕作放置や転用)大昔は海だったようで、丹後の国から戦いに敗れ、落ちてきた人たちが折口浜で座礁、船は岩舟になり、船から鍋や餅が漂流して流れ着いて鍋石や餅飯という地名になったと。
江戸時代から昭和30年代までの干拓事業で今は陸地の様相を呈してますが、日本を縦断する中央構造
線の南端のまっただ中が私の生まれ育った地です。
1992年10月、上京するまで、30年近く、海抜1〜2Mの大昔の海の辺りで生きてた訳で、真水の井戸のある家、塩水の井戸の家とがあったことを、最近になって、中央構造線と結びつけて考えるのです。中央構造線よ!動かないで!!祈りたいです。

台風や梅雨の集中豪雨だけでも大変なのに、川内原発の存在は新たな恐怖。故郷は無事であって欲しい
昭和20年代の自給自足の農家の生活が懐かしく、川口氏の自然農の生き方に日本人は救われる。と、感じてます。アジサイ村のこと、初めて知りましたが、これからの老いの日々の生き方を探してる私、何処を目指すか、いろいろと学ばせて貰いたいです



http://ori-guchi.5.5@lemon.plala.or.jp
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