自分のたましいの故郷を訪ねる旅
私が 全国を旅した神社の記録と 神霊の系図等を紹介。
人には 皆 魂しいの故郷が有る。 其処に辿り着けば 安らぎがある。 其れは 何故か。 其れは 人は皆 神の子だから。
カレンダー
2021年
January
Sun
Mon
Tue
Wed
Thu
Fri
Sat
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
最近の記事
剣山龍光寺
熊野道祖神社
村山浅間神社
妻垣神社
金富八幡神社
記事カテゴリ
ノンジャンル (14)
神社案内 (230)
神々の歴史 (4)
お祭り (4)
神社の説明 (1)
過去ログ
2020年7月 (1)
2018年3月 (1)
2017年10月 (1)
2017年6月 (1)
2017年1月 (1)
2014年6月 (2)
2013年12月 (2)
2013年10月 (2)
2013年8月 (6)
2013年7月 (3)
2013年6月 (1)
2013年5月 (2)
2013年3月 (3)
2013年1月 (2)
2012年12月 (12)
2012年11月 (27)
2012年10月 (6)
2012年9月 (3)
2012年8月 (1)
2012年5月 (28)
2012年4月 (5)
2012年3月 (7)
2011年7月 (1)
2011年6月 (5)
2011年4月 (1)
2011年3月 (2)
2011年2月 (1)
2011年1月 (2)
2010年12月 (3)
2010年11月 (7)
2010年10月 (4)
2010年9月 (3)
2010年8月 (5)
2010年7月 (6)
2010年6月 (8)
2010年5月 (2)
2010年4月 (6)
2010年3月 (1)
2010年2月 (8)
2008年12月 (1)
2008年11月 (3)
2008年2月 (4)
2007年12月 (1)
2007年10月 (3)
2007年9月 (1)
2007年8月 (4)
2007年7月 (5)
2007年5月 (1)
2006年12月 (1)
2006年11月 (1)
2006年10月 (2)
2006年6月 (1)
2006年5月 (7)
2006年4月 (4)
2006年3月 (10)
2006年2月 (2)
2006年1月 (5)
2005年12月 (8)
2005年11月 (6)
リンク集
御陵威ライン
みいつ〜君のひかり〜 自適塾
生命
→
リンク集のページへ
検索
このブログを検索
カウンター
本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数
最近の投稿画像
剣山龍光寺
熊野道祖神社
村山浅間神社
QRコード
このブログを
ブログサービス
Powered by
「案内板 目次」
神社案内
案内板 目次
全国神社案内 NO1 1〜50
http://moon.ap.teacup.com/20051112/334.html
全国神社案内 NO2 51〜100
http://moon.ap.teacup.com/20051112/352.html
全国神社案内 NO3 101〜200
http://moon.ap.teacup.com/20051112/428.html
全国神社案内 NO4 201〜
http://moon.ap.teacup.com/20051112/533.html
屋久島の神社案内
http://moon.ap.teacup.com/20070607/
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2020/7/19
「剣山龍光寺」
剣山龍光寺
祭神「藤之池 八大龍神王」
剣山金剛院藤之池本坊 修験道根本道場
2010年8月2日撮影
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2018/3/3
「熊野道祖神社」
神社案内
熊野道祖神社
鎮座地 福岡市南区塩原4丁目11番1号
御祭神 伊邪那岐命・いざなぎのみこと
久那斗神・くなどのかみ
八衢比古神・やちまたひこのかみ
八衢比売神・やちまたひめのかみ
2
3
4
5
6
7
8
9
由緒
熊野神社は古より塩原の射場「塩原中央部」に伊邪那岐命を祭祀せられ、道祖神社は塩原イトリサヤ「塩原四丁目芸工大前」に久那斗神、八衢比古神、八衢比売神を奉斎しておりましたが、昭和十二年両者が合祀せられ現在の熊野道祖神社となったのであります。
文献では「古事記」上巻伊邪那岐命が黄泉国より帰られる段に「亦塞其黄泉坂之石者號道反大神、亦謂塞其黄泉大神」(そのよみどのさがにさやりまししいしはちがえしのおおかみ、またのなをさやりますよみどのおおかみ)とあるのが最初で即「道反大神(ちがへしのおおかみ)、またの名塞坐黄戸大神(さやりますよみどのおおかみ)」とも呼ばれ、巨石を以て象徴し衢路(みち)に坐して悪霊を防ぐ神でありまた一方古典に見ゆる岐神(ふなどのかみ)(久那斗神、船戸神)とも申し上げます。何れも王朝の昔より悪疫を塞ります神並に旅行の幸福を守護し給ふ神とも信仰せられ、総括的にはサイノ神と申し奉ったものであります。
道祖神社の神域は、昼尚暗き樹木に覆われ周囲は水田地帯でありましたが、昭和二年四月七日福岡県立筑紫中学校が道祖神社の境内を含む塩原に開校せられ、同校建設の際、社地の樹木を漫りに伐り忽ち病等其他不慮の災害に罹った者が多く、斯る御神威に鑑み強いて移轉せしむる事は神罰の恐れ尠からずとして遂に此儘据置かれる事になったのであります。
この霊験あらたかなる神明照覧加護の下、交通安全、商売繁昌、学業成就、夫婦和合、旅行安全、開運、厄除、各種祈願成就の為県内はもとより、遠隔地から多くの参拝者が訪れて居ります。明治以前から塞神又は道祖権現或は葛権現と稱して崇敬され、今日に及んで居りますが其名も著き神秘なる一例を挙げると、明治二十一年の大暴風の際、倒れたる神木が一夜の間に自ら起き直り今尚森々として繁茂し榎の大木が自然の造形其のままに四季折々の変化を遂げ、参拝者の心を慰め鬱蒼たりし千古の森も依然として尊厳を保持せられて居るのであります。
先の、福岡市計画事業塩原地区区画整理事業の実施に伴い、新大橋駅前一号線「新大橋駅より北方三〇〇米先の下辻堂井尻線に交叉する」幅員二十二米道路が境内地中央部を縦断することとなった為、神殿を新築移転、諸設備の改装の止むなきに至った次第であります。昭和五十三年境内地模様替報告祭を奉仕して、諸工事に順次着工、その間御神霊御加護のもとに関係者各位のご協力に依りまして、昭和五十七年十一月八日本殿遷座祭、同年十一月二十日本殿遷座奉祝祭の重儀を滞りなく斎行致し、昭和五十九年三月を以ちまして境内整備事業の一切を完了致した次第でございます。
道路を挟んで 道祖神社
10
11
12
13
14
15
16 伊豆能売大神
17
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2017/10/2
「村山浅間神社」
神社案内
村山浅間神社
所在地 静岡県富士宮市村山字水神1151
位置 北緯35度15分41.18秒
東経138度39分58.12秒
主祭神 木花開耶姫
配神
木花開耶姫(中座)
大山祗命(左座)
彦火火出見命(左座)
瓊々杵命(左座)
天照大神(右座)
伊弉諾尊(右座)
伊弉冉尊(右座)
村山浅間神社(むらやませんげんじんじゃ)は、静岡県富士宮市村山にある、神社。旧社格は県社。富士根本宮と号する。全国にある浅間神社の一社。「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されている。
歴史
鎮座地は富士山村山口登山道の要所を占める。社伝によると孝昭天皇2年に富士山中腹の水精ケ岳に創建され、崇神天皇朝に神領地や神戸を賜り、応神天皇朝に社殿修造、大宝元年(701年)に現在地へ遷座したという。中世になると末代上人が富士山を修験の霊山として開くが、その末代が現境内地に堂舎を構え、以後富士山に対する神仏習合の地として発展したという。元は富士山興法寺を構成する1つであり、付属する7坊を有して多くの修験者の信仰の中心として仰がれた。
大日如来坐像(金剛界)
木造・一軀。像高は85.5センチメートル(宝冠を含めると98.7センチメートル)。室町時代・文明10年(1478年)の造立銘と江戸時代の天保15年(1844年)の修理銘を有する。仏師・渡邊行忠とその子息による作。
水垢離場
山伏修行(修験者)や富士登拝の道者(どうじゃ、どうしゃ)が垢離をとって身を浄めた所。境内の中段に、間口約6.5m・奥行き約4mの長方形、深さ約0.6mに掘り込み、底に石を敷きつめ、周囲は石積みとなっている。水の落ち口には山伏修行のときの主尊とされる不動明王の石像が安置されている。
水源は、古絵図や発掘調査の成果から、「龍頭の池」の水を引いていたと推定される。
http://www.city.fujinomiya.lg.jp/fujisan/llti2b0000001lrf.html
知られざる富士山修験 ― 自然へ畏敬の祈り捧げる
日本山岳修験学会会員 高井恭子氏
「山開き」は、7月1日に村山浅間社(富士宮市)で行われた。儀礼は、中学生の水垢離(みずごり)―神前での祓会―道開き―大日堂採灯護摩供―直会の順にすすめられた。
水垢離は、白褌の中学生が、沢から引いた水で身を浄める。氏子に伺ったところ、水垢離の参加は、中学2年生になった男子で、一生一度きりしか参加できないというから、氏子の立志式に相当するものであろう。祓会のあとの道開きは、興法寺脇の山道入り口で、荒縄をはった結界を真剣で一刀両断に断ちきり、山伏が行列で登山するものである。
「登拝行」、すなわち抖藪の内容については次の通りである。
ルートは、第1日、田子の浦(鈴川海岸)―浅間富士塚―吉原商店街(旧、吉原宿東西木戸)―日吉浅間神社(旧、富士山興法寺東泉院)―八大金剛童子―東見付跡―富士山興法寺大日堂。第2日、富士山興法寺大日堂―観世音菩薩―札打ち場―中宮八幡堂跡(太郎坊権現石塔、首なし地蔵、八大龍王、水神祠)―女人堂跡―大樅―岩屋不動跡(首なし不動明王、首なし菩薩)―一ノ木戸跡(中宮祠)―新六合目(旧、四合目)。第3日、新六合目―旧七合五勺小屋跡―石仏の寄せ墓地(護摩厳修)である。
http://www.chugainippoh.co.jp/ronbun/2013/0928rondan.html
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
2017/6/15
「妻垣神社」
神社案内
妻垣神社
妻垣神社(足一騰宮、参考)
ともかきじんじゃ・あしひとつあがりのみや
所在地: 〒872-0506 大分県宇佐市安心院町妻垣203
主祭神 比口羊大神(ひめおおかみ)
ひめ大神こと玉依姫命は、海神豊玉彦命を父にもち、姉は豊玉姫命とされる。
豊玉姫命の子、鵜葺草葺不合命を育て、後に妻となり、のちの初代天皇となる神武天皇を産み育てられた神である。
投稿者: 礒邉自適
詳細ページ
-
コメント(0)
|
トラックバック(0)
1
2
3
4
5
| 《前のページ |
次のページ》
/51
記事
画像
新着順
投稿順
teacup.ブログ “AutoPage”