今日はMIMOCAの
「Neue Fotografie・ノイエ・フォトグラフィー」展に
関連したレクチャー
「ノイエ・フォトグラフィーとは何か?」を聴講してきました

RICOH GR DIGITAL2
1920年代から30年代にかけてのドイツと世界の情勢について
担当学芸員さんが詳しく解説してくれたのですが
そのような意識をもって展示作品を見るとまた違った面が見えてきて
大変に興味深いものがありました
・オリジナルプリントにアート作品として
値段が付くようになったのは
少なくともそのことが
広く認知されるようになったのは
アンセル・アダムスの「ヨセミテの月」
(1960)ぐらいからじゃないかな
と、
ぼんやりは思うのですが
この当時の写真は
そのような意識では撮られていなかっただろうなと
・1917年 ニューヨーク・アンデパンダン展に
既製の便器を「泉」として出品しようとした
マルセル・デュシャンの行為は大事件になりました
そして、これが後の
コンセプチュアル・アートの源流だ
と言われたりもしていますが
・その後デュシャンがオリジナルでなくとも
価値は同じとして後に8個の複製が作成された
「泉」は
ネガから複数のプリントが可能な写真に似ているな
と、
ぼんやりは感じました
・そういう目で改めてノイエ・フォトグラフィーの
作品達を見てみると
アルベルト・レンガー=パッチュは
「世界は美しい」などと言いながら
寂れつつある農家の向こうや
ボロボロの有刺鉄線が絡んだ柵の向こうに
そびえ立つ工場の煙突を写し撮っていたり
整然と立ち並ぶ労働者の家の裏に
無造作にゴミが捨てられている様子を撮っていたり
マルティン・ムンカッチに至っては
「楽しいバケーション」と題された作品の構図は
業火に焼かれ、神に助けを求める衆勢を描いた
宗教画のようにも見え
「サマー・キャンプ」を撮影した2つの作品は
兵隊の行進と
累々とした屍を連想させる
とまで言ってしまうと言い過ぎなのでしょうか?
・それが意思をもたない機械の目を通して
「客観的」に記録されたものですよ・・・
と、いう事実を突きつけることで
作者の意図が浮かび上がってくるという
逆説的なことが大変興味深く
だからこそ学芸員さんも最後に
ユダヤ系のアルフレッド・アイゼンスタットが撮影した
ヒトラーとムッソリーニが
握手する写真を1枚だけ持ってきたのかなと
・ともあれ、鑑賞者を巻き込み、試す
コンセプチュアル・アートの毒のようなものが
これらの作品達に
内包されているのかもしれないと感じたりもして
・「表現」には非常に慎重にならざるを得ない時代の
隠語のようなメッセージが興味深かったのです
そして、「隠語」を使うことなく表現しようとした
(あるいは「隠語」の使い方がうまくなかった)
アウグスト・ザンダーの作品群が
完全な形で世に出なかったのは
ある意味必然だったのかなとも思ったのでした
・そう考えていくと
アンドレアス・グルスキーやウォルガング・ティルマンス
ロレッタ・ラックスといった現代ドイツ写真の作品に
込められているものは、
この時代の作品に通じるものがあるなと思ったり
(グルスキーの牧場の写真は真っ先に思い出されました)
・
以前のエントリーでドイツ現代写真には
アメリカ現代写真に見られるリリカルだったり
ファンタジックだったりする部分が
殆ど見られないと書きましたが
ドイツ現代写真はアメリカ現代写真にたいして
どこか曖昧だという印象をうけた理由が
わかったような気になったのでした

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