どこの現場に行ったって
結局自分以上のことはできないんだけど、
(というか自分の演奏とか勝手に出てしまう物であって、
それを隠そうとしても良い方向に進んだ記憶がない)
自分の持ってるモノをできるだけそこの色に合わせられるように演奏したい。
と思うのはおかしなことじゃないと思う。
つーか、
おめーらおれに合わせろよ。
みたいなやり方を否定するつもりもないけれど、
自分の場合はその現場の色を知りたいし、
多分、良い演奏をするためにはその現場を好きになることが大事だと思う。
結果そこで良いモノが残ると思っているし、
きっと得たモノはまた新たな自分を形成する。
毎年なんだかんだで他の現場で演奏する機会はある。
その度にそこの現場に求められた物をイメージしてそこに自分を持って行くんだけど、
結果出来上がった物は全然別の自分にはならない。
別人のように...はあってもね。
どんなに日本の音楽がビジネスとしてファストフードみたいな音ばかりになっても、
歌さえも機械に支配されるような時代が来たとしても、
多分、使い手、作り手の「その人」は出るんだろうな。
なぜならマジで手を抜いて誰が作っても演奏しても同じになるやつはきっと淘汰されていくはずだから。
効率を求めているけど人間味も求めている世の中の矛盾。
あのハンバーガー屋も牛丼屋もバイトの人達はきっと...。
全員ではないけど仕事に責任を感じていないマシーンのような人が多い印象を受ける。
けどその後ろにいる人達は全力で商品を研いている結果があるから生き残ってる。
じゃないかのな?
まぁ、ビジネスの話になると宣伝がとか色々事情は出てくるだろうけど。
どんなに良い物を作ってるとしても良い物だと理解してもらえないとね。

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