先日のエントリー
「日本は重税国家なのか?」の末尾で、あまり目立たないと思うが私は次のように述べた。
「消費税の増税」を狙う与党と論戦する際に「増税反対」で臨んでも勝ち目はない。
増税反対と消費税増税反対は異なる。
今日はこれを少し敷衍して思うところを述べたい。
【1】消費税増税論の強み
消費税増税は個別的で具体的な政策である。「増税反対」というのはどんなバカでもできる。何も知らなくても言うだけは言える。
仮に現時点でプライマリーバランスが黒字だとしても、これまでの累積した赤字を後の世代の負担にしないために、債務は受益した世代が生きているうちに処理するために増税する、とでも言おうと思えばいえるわけだ。その意味で、「消費税増税論」には、具体的な政策であるという強みがある。
【2】増税反対論、特に「無駄な歳出をなくせ」論の弱み
これに対して、「増税反対」はそうではない。
「じゃあ財源はどうするんだ?」と言われたら終わりである。ここでちょっと立ち止まって考えてほしい。
あなたはこの問い(財源はどうすればいいのか?)に内容と数字を具体的に示して、明確に答えられるだろうか?
人々は
「無駄をなくせ」と口々に言う。この言葉を言葉の額面どおり
(財政の民主的統制の問題として)受け取る限りは、それは正論である。しかし、この言葉が発せられる多くの場合において、
「無駄」という言葉は「空虚な記号」でしかない。つまり、
具体的な指示対象を欠いているということだ。
もし、具体的な対象を指示する言葉として言われているなら、その指示対象を明示した上で、
その対象が「無駄である」ことを示し、さらに
その対象によって財源が十分に確保できるという、二つのことを示さなければならない。
私が知る限りでは、それは(財務省の役人でもない限り)かなり難しいし、言えても、それを理解できる人は少なく、検証できる人となるとさらに少ない。その意味で、仮に説明できたとしても、全く世論の理解は得られないだろう。
もちろん、私としては、
十分に説得的なデータを出すことすら無理だろうと考えている(★注1)。なぜならば、「無駄」を指摘できても、数億円や数十億円程度のものでは全然足りないし、それが継続的に発生するものでないとしたら、全くお話にもならないからである。継続的に数兆円規模の財源を提示しなければならないのだ。
より原理的な理由としては、ここでは詳述はしないが、
「家計」や「企業」のような経済主体と「財政」という経済主体では、「無駄」と判断する基準が大きく異なるのに、大抵の人はそれを混同しているようだからである。
(家計や企業と同様に考えれば、一見、「無駄」な歳出に見えても、財政の歳出としては無駄とはいえないものは多いのだが、そのことに気づいている者は一部の財政の専門家を除けば、ほとんどいない。)
(★注1)「歳出の無駄をなくせ」という議論は、私としては、財政再建と結びつけるのではなく、純粋に「財政の民主的統制」の議論として行うなら理解できる。この目的のための「無駄をなくせ」という議論には私は反対しない。問題があるならば、それを解明すべきだし、無駄があるならそれが生じないシステムを考えるべきだからだ。
しかし、世の中の「財政の無駄をなくせ」という大合唱は、それによって「増税を避けたい」という願望がありありとにじみ出ている。つまり、「財政の民主的統制」の話ではなく「財政再建」の話になってしまっているのだ。これには私は説得力を感じない。90年代以降の財政赤字の原因は「無駄づかい」にあるのではないからだ。(このことについては、数年前に書いたレポートを近々ウェブ上に復活させようと思っている。)
【3】消費税増税論を累進課税論で覆す
ここまで
【1】消費税増税論はひとつの具体的な政策論であること
【2】増税反対論としての「無駄をなくせ」という主張には具体性がないこと
を述べてきた。
議論として消費税増税論を倒すには、具体的な政策論としての「具体的な歳出削減案」か「具体的な増税案」か、これらを組み合わせた独創的な政策案が必要になる。
しかし、単純な歳出削減案では社会保障を大幅に削らない限り無理があるだろう。選別主義的な社会保障制度、失業者が高い水準で存在し、ワーキングプアが増えている状況などから考えて、社会保障を中心とする社会的セーフティネットは削減よりも充実させることが必要であって、そうした財政の目的に照らせば、歳出削減中心の案は採用できないと考える。
基本的には増税が必要なのだ。自民党や経済財政諮問会議が出している理由は胡散臭いが、それは新自由主義の立場から増税を主張しようとするから無理があるだけであって、そうした主張が否定されても増税の必要性が否定されるわけではない。なぜならば、好景気とされている時期でさえプライマリーバランスは数兆円規模の赤字が続いていたからであり(なお、PBの赤字は07年度補正後の予算で
約5兆円である)、その間に社会の所得格差はどんどん広がり、多くの人の所得が下がる中で富裕層も増えているという事実があるからである。そして、財政の役割の一つは、そうした
偏在した所得や資産を強制的に再分配することにあり、その重要な手段が
租税だからである。
消費税増税という政策の弱みは既に指摘されている。逆進的であることだ。それでは低所得層の生活を改善することにつながらないし、国内の消費水準を上げることにも貢献しない。
むしろ、累進課税を強化する方向で増税を行なえば、上記の問題は解決する方向に向かうのである。その際の最大の障害は財界だけである。つまり、法人税の増税に反対する財界だけである。もともと、
財界は法人税を増税されないために消費税を増税しようとしているのだから。(
実際、89年に消費税が施行されてから、同じだけの金額の法人税が減税されている。)
財界に対する反論さえ十分できれば累進性を高めることはできる。そもそも法人税を払っている企業というのは、それなりに儲けがあるところであり(確か、90年代末頃は3割程度の法人しか法人税を払っていなかったはずだ)、累進性を高めるだけの増税であれば、儲けの小さい中小企業は現状維持なのだ。
これに対する私の答え(落とし所)は、
企業に対しては社会保障負担の半額の負担を止める、というアメを与える、というものだ。(もし、私が交渉に関係する立場の人間だったら、政治過程としては「アメ」なしで押し切ろうと試み、それが無理ならアメを出すという形にするだろう。)そうすれば、単なる累進性強化だけではなく、法人税をさらに重課する余地が生じる。(なにせ労働者一人当たり年間数十万円の経費が浮くのだ。1000人雇用しているなら数億円の経費が恒常的に浮く形になる。その分、税を払う余力は増えるわけだ。)
社会保障費は労働者の負担になるから労働者の負担は重くなるが、正規雇用と非正規雇用などの垣根が一つ低くなり、企業の側からすると
非正規を正規化するインセンティブになるなどのメリットもある。その上で、賦課される保険料も「高度に累進的」にしてやればいいのだ。年収250〜300万以下の低所得者は従来どおり半分の負担のままを維持できればいい(★注2)。
(★注2)これは実質的に所得税の累進性を高めることと同じであるから、所得税の増税として実施することも可能である。その分、社会保障負担の半額は公費負担(税金)でまかなうという制度もありうるだろう。さらに足りなければ累進消費税の導入もありうる選択肢だ。要するに、バリエーションはいくらでもありうる。
このエントリーの後半は時間がなくて、かなりはしょって書いているが、これを精緻化した議論もいつか書きたいと思っている。
このように、
累進的な課税の必要性の主張は、現在の財政状況と社会情勢に合致する上、消費税の逆進性を真正面から否定・批判することができ、かつ、様々な組み合わせで具体的に政策を形成できる、優れた政策論なのである。
だから、
今の日本では、「増税自体に反対する」のではなく、「消費税増税に反対」し、「累進課税」を主張すべきなのだ。

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