2012/1/29
今日見た映画:ボルベール 映画鑑賞
ペドロ・アルモドバル監督『ボルベール〈帰郷〉』(2006) スペイン
マドリッドの空港で調理や掃除、洗濯などの作業員をしているライムンダ(ペネロペ・クルス)は、娘のパウラ(ヨアナ・コボ)、姉のソレ(ロラ・ドゥエニャス)と一緒に火事で焼死した両親の墓参りに帰郷する。これがラ・マンチャの町らしい。故郷に帰る場面で、平原に風力発電の風車が林立している光景があって、それでラ・マンチャと分かるのだろうか?実は我輩はスペインに行ったことがない。
故郷の町に住むパウラ叔母さんは痴呆が進んでいて、体も思うように動かない。ライムンダは叔母さんをマドリッドに連れて行こうとするのだが、叔母さんは頑なにそれを拒む。それに妙なことがある。すっかりぼけているはずの叔母さんなのに、なぜかライムンダたちにお土産にもたせるためのビン詰めの食料などが用意されている。家の中にエアロバイクがおいてあったりする。叔母さんがバイクをこぐとはとても思えないのだが。
マドリッドに帰ったライムンダは、夫のパコが職場を解雇されたことを知る。不機嫌になった彼女は、夜のベッドで夫に体を求められても「明日仕事だから」と拒否してしまう。夫はライムンダの横で、自分で自分の性欲を処理したりする。
翌日、ライムンダが仕事場からバスで帰宅すると、パウラがバス停で雨にぬれながら彼女の帰りを待っていた。ただならぬ気配を察して家に入るライムンダは、脇腹に包丁を突き刺されて絶命しているパコの遺体を見つける。パコは娘であるパウラを犯そうとして、パウラが包丁で父を刺し殺したのだった。
ライムンダはパコの遺体を毛布に包み、娘のパウラと二人でなんとか運び出しそうとする。そこへソレから電話がある。パウラ叔母さんが死んだというのだ。ライムンダは「自分は葬儀には行けない、あなた一人で行って」とソレに告げる。ソレは驚きながらも一人で故郷の町に戻り、葬儀に出席。ところが、信じられないことに火事で父とともに死んだはずの母親イレーネの姿を見かける。幽霊か?町の人たちもそのような噂はしていた。パウラ叔母さんの面倒を見ているのは、死んだはずのイレーネだと。
一方、ライムンダとパウラは、パコの遺体を閉店中のレストランに運び、大型の冷蔵庫に隠す。そして、なんとライムンダは夫の遺体が隠されているそのレストランで、持ち主に無断で営業を始めてしまう。
ソレは叔母のパウラの葬儀から帰ってくるが、なんと、さっきまで運転していた車の中から亡き母の声が聞こえてくる...
さて、我輩の感想。採点は50点。アルモドバルの映画は『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ライブ・フレッシュ』を見たが、イマイチわかりにくいとの印象を持っていた。ハリウッド的な善が悪をやっつける分かりやすい映画が大好きなわが輩は、ヨーロッパの映画って苦手なんだ。しかし、この『ボルベール〈帰郷〉』はだいぶ分かった。最初は『ゴースト/ニューヨークの幻』みたいな幽霊映画かと思っていたが、そうではなかった。父親による性的虐待に傷ついた女性がそれでも強く健気に生きてゆく姿、母親と娘の確執、そして歳月を経ての和解が描かれている、のだと思う。
話としては驚くべき展開である。非現実的にも見える。にもかかわらず、こういうこともあるのだろうと思える話なのだ。我々はテレビドラマに出てくる理想的な家族を標準的な家族の姿だと思い込む傾向がある。他人の家庭がどうなっているのかは知りようもないが、自分が人生で経験したこと、見聞きしたことからすれば、この映画に出てくる崩壊した家族、他人に言えない秘密をもったまま外見的には取り繕っている家族のほうが、夫婦睦まじく親子も固い絆で結ばれた家族よりもよほど現実的だ。
現実的でないのは、ライムンダ、ソレ、パウラ(娘)が全然似ていないこと。あれでは姉妹や親子には見えない。ペネロペ・クルスは顔立ちがくっきりしているのに、それをさらに際だたせるようなメークをしていて、それとくらべると姉のソレ役のロラ・ドゥエニャスは癒し系というのだろうか、対称的である。それは性格の対称性を際だたせる描き方なのだろう。
それで、ライムンダとパウラは、パコの遺体を上手く隠し通せるのだろうか?さらに、映画の中では過去に起きたもう一つの殺人が明らかになる。事故に見せかけた殺人が露見せず、またパコが殺されて姿か見えなくなった後も、パコの親族が探しに来るでもないところに、現代スペインの崩壊した家族の姿が示唆されている。
ペネロペ・クルスが膝までパンツを下げて便器に座り排泄をするシーンもけっこう驚きだったが、サスペンス・ミステリーとしてもそこそこ楽しめる作品である。
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マドリッドの空港で調理や掃除、洗濯などの作業員をしているライムンダ(ペネロペ・クルス)は、娘のパウラ(ヨアナ・コボ)、姉のソレ(ロラ・ドゥエニャス)と一緒に火事で焼死した両親の墓参りに帰郷する。これがラ・マンチャの町らしい。故郷に帰る場面で、平原に風力発電の風車が林立している光景があって、それでラ・マンチャと分かるのだろうか?実は我輩はスペインに行ったことがない。
故郷の町に住むパウラ叔母さんは痴呆が進んでいて、体も思うように動かない。ライムンダは叔母さんをマドリッドに連れて行こうとするのだが、叔母さんは頑なにそれを拒む。それに妙なことがある。すっかりぼけているはずの叔母さんなのに、なぜかライムンダたちにお土産にもたせるためのビン詰めの食料などが用意されている。家の中にエアロバイクがおいてあったりする。叔母さんがバイクをこぐとはとても思えないのだが。
マドリッドに帰ったライムンダは、夫のパコが職場を解雇されたことを知る。不機嫌になった彼女は、夜のベッドで夫に体を求められても「明日仕事だから」と拒否してしまう。夫はライムンダの横で、自分で自分の性欲を処理したりする。
翌日、ライムンダが仕事場からバスで帰宅すると、パウラがバス停で雨にぬれながら彼女の帰りを待っていた。ただならぬ気配を察して家に入るライムンダは、脇腹に包丁を突き刺されて絶命しているパコの遺体を見つける。パコは娘であるパウラを犯そうとして、パウラが包丁で父を刺し殺したのだった。
ライムンダはパコの遺体を毛布に包み、娘のパウラと二人でなんとか運び出しそうとする。そこへソレから電話がある。パウラ叔母さんが死んだというのだ。ライムンダは「自分は葬儀には行けない、あなた一人で行って」とソレに告げる。ソレは驚きながらも一人で故郷の町に戻り、葬儀に出席。ところが、信じられないことに火事で父とともに死んだはずの母親イレーネの姿を見かける。幽霊か?町の人たちもそのような噂はしていた。パウラ叔母さんの面倒を見ているのは、死んだはずのイレーネだと。
一方、ライムンダとパウラは、パコの遺体を閉店中のレストランに運び、大型の冷蔵庫に隠す。そして、なんとライムンダは夫の遺体が隠されているそのレストランで、持ち主に無断で営業を始めてしまう。
ソレは叔母のパウラの葬儀から帰ってくるが、なんと、さっきまで運転していた車の中から亡き母の声が聞こえてくる...
さて、我輩の感想。採点は50点。アルモドバルの映画は『オール・アバウト・マイ・マザー』や『ライブ・フレッシュ』を見たが、イマイチわかりにくいとの印象を持っていた。ハリウッド的な善が悪をやっつける分かりやすい映画が大好きなわが輩は、ヨーロッパの映画って苦手なんだ。しかし、この『ボルベール〈帰郷〉』はだいぶ分かった。最初は『ゴースト/ニューヨークの幻』みたいな幽霊映画かと思っていたが、そうではなかった。父親による性的虐待に傷ついた女性がそれでも強く健気に生きてゆく姿、母親と娘の確執、そして歳月を経ての和解が描かれている、のだと思う。
話としては驚くべき展開である。非現実的にも見える。にもかかわらず、こういうこともあるのだろうと思える話なのだ。我々はテレビドラマに出てくる理想的な家族を標準的な家族の姿だと思い込む傾向がある。他人の家庭がどうなっているのかは知りようもないが、自分が人生で経験したこと、見聞きしたことからすれば、この映画に出てくる崩壊した家族、他人に言えない秘密をもったまま外見的には取り繕っている家族のほうが、夫婦睦まじく親子も固い絆で結ばれた家族よりもよほど現実的だ。
現実的でないのは、ライムンダ、ソレ、パウラ(娘)が全然似ていないこと。あれでは姉妹や親子には見えない。ペネロペ・クルスは顔立ちがくっきりしているのに、それをさらに際だたせるようなメークをしていて、それとくらべると姉のソレ役のロラ・ドゥエニャスは癒し系というのだろうか、対称的である。それは性格の対称性を際だたせる描き方なのだろう。
それで、ライムンダとパウラは、パコの遺体を上手く隠し通せるのだろうか?さらに、映画の中では過去に起きたもう一つの殺人が明らかになる。事故に見せかけた殺人が露見せず、またパコが殺されて姿か見えなくなった後も、パコの親族が探しに来るでもないところに、現代スペインの崩壊した家族の姿が示唆されている。
ペネロペ・クルスが膝までパンツを下げて便器に座り排泄をするシーンもけっこう驚きだったが、サスペンス・ミステリーとしてもそこそこ楽しめる作品である。
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