2017/5/7

今日読んだ本『健康診断は受けてはいけない』  読書感想文

近藤誠(2017)『健康診断は受けてはいけない』文春新書

「がんは治療するな!」というセンセーショナルな主張で、週刊誌などにもよく取り上げられる近藤誠の新刊が出た。さっそく、仕事帰りに新宿の紀伊國屋まで行って購入する。

がんは、転移する悪性のがんと、転移せずに放置しても問題が無い「がんもどき」に分類される。前者は、発見される頃には、すでにがん細胞が体中にまわっているので、やがて転移する。手術をして、がんを活性化させてしまうこともある。抗がん剤も、体力を奪うだけで、免疫力の低下とがんの進行を早めるだけだという。一方、がんもどきは放置しても悪さをしない。結局、いずれにせよ、手術や治療をする必要は無い、効果も無いというのが近藤大先生の従来からの主張である。

今度の著書は、健康診断について。

自覚症状がないのに健康診断を受けるのは、百害あって一利なし。たとえば、チェコで行なわれたヘビースモーカー男性6000人の追跡調査の結果、胸部X線による健康診断を行なった検診群と放置群では、がん発見数108対82で、当然のことながら、検診群のほうががんが発見される人が多い(6000人を3000人ずつに分けたと思われるが、はっきりとは書かれていない)。ところが、肺がん死数は、検診群対放置群が、64対47で、検診群がかえって多くなる。総死亡数でも、341対293で検診群のほうが多い(pp.34-35)。ただ、何年間の追跡調査の結果かは書かれていない。

つまり、早く発見して、早く治療した方が短命になる。それには、大量に処方される薬の副作用、X線やCTスキャンによる被爆、検査結果を心配するストレスが関係していると推測されるという。この点は、実証的なデータがあるわけではない。

我輩の親類にも、非常に健康に気を遣って検診を受けたり、人間ドックに行ったりしていた人がいたが、定年前に心筋梗塞で亡くなった。医療業界が健康診断を勧めるのは、不要な治療や不要な手術で患者からお金を巻き上げるためであり、挙げ句の果てには命まで奪ってしまうのだという。

次の一節がとてもブラックでドキリとさせられる。宋美玄という女性の産婦人科医が「今日から私も検診女子」というイベントで紹介したデータは、子宮がんの「発見数」を示したものであり、「発症数」を表したものではない(p.82)。検診によって、発見される件数が増えただけなのだ。そして、それまでは発見もされず、放置されていた子宮がんが、発見され手術などの治療が施されるようになった結果どうなったか。35-39才の10万人あたりの子宮がんの死亡率は、戦後下がり続けていたにもかかわらず(1958年約3.0人から1980年代に1.0人前後)、検診が広く行なわれるようになった1980年代から増加している(2008-2014年に、2.5人前後、pp.83-84)。にもかかわらず、このデータが「子宮がんにかかる人が増えているから気をつけよう、ちゃんと検診を受けましょう」という宣伝に使われているという。

もっとも、「ケンシン女子」とは言い得て妙だなぁとも思います。実質良性病変なのに、子宮の一部や全部をとられ、運が悪いと命まで捧げ、産婦人科業界の繁栄に"献身"させられているからです(p.179)。

おそろしい...

さて、近藤大先生の主張が正しいのかどうか、重要なのはエビデンスだ。これを検証するには、もとのデータまで遡ることが必要である。この点、本書の引用の仕方はやや不親切である。たとえば、「(J Occup Med 1986; 28: 746)」というふうに書かれている。ネットで検索してみて、これが"Journal of Occupational and Environmental Medicine"だということが分かった。ネットでは、abstractまではたどり着くことができるが、本文はお金を出さないと読めない。その気になれば、時間とお金と労力をかけて、もとの論文を読むことも可能だが、英語の専門論文は読みにくいだろうし、時間が...

近藤氏に反論している人たちは、どんどん本を出して欲しい。それらと近藤氏の著作を読み比べて判断することにしよう。
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2017/4/30

今日読んだ本『カエルの楽園が地獄と化す日』  読書感想文

今日読んだ本。百田尚樹、石平(2016)『カエルの楽園が地獄と化す日』飛鳥新社。

百田尚樹氏は、『永遠のゼロ』をはじめとする数々のベストセラーを生み出した作家である。2016年2月に出版された百田氏の寓話小説『カエルの楽園』は、ツチガエルたちが平和に暮らす楽園のような国ナパージュが、おそろしく獰猛なウシガエルによって乗っ取られ、地獄と化すという寓話小説である。ツチガエルたちは「三戒」というものを至高の価値ある行動原理として守っており、それは「カエルを信じる、カエルはカエルと争わない、カエルは争うための力を持たない」というものだ。もちろん、ナパージュのツチガエルは日本人、「三戒」は憲法第9条と平和主義、そしてウシガエルは中国人を暗に、いやあからさまに表している。三戒を固守した結果、ツチガエルたちは、自らを守ってくれているスティームボート(黒船?=アメリカ軍)を追い出してしまい、ハンニバル兄弟(=自衛隊)を自らの手で無力化してしまう。ウシガエルは、まるでサラミを薄く切るように、少しずつナパージュを占領してゆき、そのたびにツチガエルたちの間では「戦うべきか、和平か」の議論が巻き起こるのであるが、ここでツチガエルたちの世論を誘導するのがデイブレイク(=夜明け、朝日新聞)であり、「いたずらに事を荒立ててはいけない、状況を見極め、ウシガエルたちの真意を分析することが必要だ、話し合えば平和的な解決法があるはず」と主張し続け、ついにナパージュは戦わずしてウシガエルたちに占領されてしまう。その後どういうことが起こるか、酸鼻を極める状況が描写される。小説の最後では、メスのツチガエルのローラがウシガエルたちにもてあそばれ、しまいには手足をちぎられてばらばらにされてしまうのだが、それでも瀕死の状態の彼女は「だいじょうぶよ、そんなにひどいことにはならないから」とそれまでずっと言い続けていたお花畑なセリフを口ずさむ。「馬鹿は死ななきゃ治らない、いや死んでも治らない」、百田氏の痛烈な皮肉である。ちなみに、百田氏自身をモデルにしたハンドレッドという正論ばかり言い続ける頑固オヤジも、ウシガエルたちによって虐殺される。

さて、以上はあくまで『カエルの楽園』という小説の要約であり、本書はこの小説を読んだ石平氏と著者の百田氏の対談本だ。

孫子の兵法による戦の極意は「戦わずして勝つこと」。戦争においては、敵国を保全した状態で傷つけずに攻略するのが上策であり、敵国を撃ち破って勝つのは次善の策である。中国人というのは、目先の利益のために汚染物質を垂れ流して環境を破壊し、自らの生活基盤である国土を荒廃させてしまう近視眼的なところがあり、一方で、日本人は孫の世代のことまで考えて木を植え、森を育てる。ところが、政治外交的に見ると、長期的な展望をもってアジアにおける覇権確立のために着実に布石を打っているのは中国のほうであり、日本は目先の課題に対処するだけで汲々としているという感がある。

百田氏と石平氏がこの本で述べるのは、中国が領土的野心を実現して日本を領有するためにどのような行動に出るか、そして日本はそれにどのように対処するかのシミュレーションである。彼らの考える最悪のシナリオは以下の通りだ。

・中国の漁民(実際は海上民兵)が緊急避難等の口実で尖閣諸島に上陸。続いて中国海軍が「漁民」保護のために上陸。日本政府は、「あんな小さな島のために戦争をするくらいなら、中国に譲ったら良いのでは」「なんの価値もない島のために、中国との関係を悪化させて貿易が停滞し、経済的な損失を被るのはごめんだ」という世論に押されて、ついに自衛隊に防衛出動命令を出すことができない。
・中国は、尖閣に軍事基地を建設する。沖縄本島が日中の軍事的対立の最前線となるのだが、ここで、2016年に起きたアメリカ軍属による日本人女性の殺人事件のような犯罪が起こったり、あるいはオスプレイなどアメリカ軍の航空機が事故を起こして人的な被害でも出れば、いっきに米軍基地は沖縄から撤収せよという県民の世論が高まる。もちろん、中国は「アメリカ軍さえいなくなれば、中国との争いは回避できる」という情報操作で世論戦を仕掛けてくる。そして、沖縄(琉球)独立運動が巻き起こり、ついにアメリカ軍は沖縄の基地を放棄して、グァム、ハワイまで撤収。沖縄独立論者が琉球国独立を宣言、日本政府はこれを一蹴するが、中国が「琉球国からの要請があった」として人民解放軍を派遣。
・ここでも日本政府は中国との戦争を避けて、戦わず。独立したというものの、琉球国は経済的な援助をてこに、中国の影響下に入れられ、やがては属国となる。
・さすがにここまで来ると、日本にも危機意識が広がり、衆議院議員選挙では保守政党が圧勝して、中国に対して強硬な政権が誕生する。
・しかし、中国による尖閣奪取、沖縄の独立により、日本は広大な領海、排他的な経済水域を失い、さらに西太平洋は中国の支配下に入る。日本は、この海域を通じた石油の輸入に支障をきたすようになり、経済は危機的な状況に。
・中国は、日本の保守政権を打倒すべくさまざまな形で圧力をかけてくる。日本製品の不買運動、日本の外交・商業施設へのデモや焼き討ち、第二次大戦時の賠償で日本企業を訴え、巨額の賠償金の支払いを命じる、日本人の駐在員を逮捕して拘束する。
・沖縄が中国の支配下に入ったことにより、日中対立の最前線は九州になる。中国は、ここでも辺野古の海上滑走路建設反対運動、高江のヘリパッド建設反対運動のような基地反対運動が組織される。その運動を率いる運動家の言い分は「九州に基地があるから中国との間に緊張が高まる。基地が戦争の危機を高めているのであり、どうせ中国に勝てないのだから基地をなくそう」である。その結果、鹿屋の航空基地や佐世保の海上自衛隊基地の周りで大規模な反基地運動が起こり、基地の機能が低下する。
・こうして、軍事バランスが圧倒的に自国有利に傾いたところで、中国は「詰めの一手」を打ってくる。九州近海での海上自衛隊と中国海軍の武力衝突である。中国は海上自衛隊が挑発を行なったという口実で全面戦争を準備し、日本海と太平洋の両方に海軍を展開させ、東京湾をうかがう海域に中国空母が遊弋する。さらに、核攻撃の脅しもかけてくる。
・20XX12月13日、中国空軍が成田と羽田を奇襲して制圧。その後、大型輸送機で人民解放軍の部隊が次々と着陸する...

そんなことは起こらないだろう、とは思うのだが。もしかしたら、我輩もローラのような「お花畑」なのかもしれない。そして、最悪のシナリオを想定して、それに備えることは必要である。このシナリオは細かいところでは穴もあるのだろうが、大筋では当たっているのかもしれない。

1993年、オーストラリアのポール・キーティング首相が訪中した時に、李鵬首相は「日本は取るに足るほどの国ではない。20年後には地上から消えていく国となろう」あるいは「30年もしたら日本は大体つぶれるだろう」といった内容の発言をしたとされている。彼の予言によれば、日本は2013年から2023年までの間には中国の一部となるだろうと言うことか。

民主党政権のような中国迎合政権がつづいていたら、すでに李鵬の予言は実現していたかもしれない。この中国の野望に対して、必死の抗戦をして世界中を飛び回り、中国包囲網の構築に汗を流しているのが安倍首相である。思い返してみれば、安倍晋三が自民党総裁に選出され、2012年12月に政権の座に返り咲いたのはまるで針の穴に糸を通すような奇跡的な出来事だった。これがどんなに僥倖であり、重要なことだったのか、我々は実感できない。もしかしたら、日本は頸の皮一枚でつながったと言えるのかもしれない。

百田氏にせよ、石平氏にせよ、安倍首相にせよ、その危機感たるやたいへんなものである。それに対して、ひたすら「安倍政治に反対!」を叫び、特定機密保護法や安保法制に反対している人たちは、「このままでは戦争になる」と口では言いながら、心の中では、どうせ戦争になどならないと安心しきっている。

2015年9月19日未明、平和安全法制が参議院本会議で可決され成立した。その日の昼頃、家の近くの蕎麦屋に行った。60代と思われる男性の客が、そばを食べて酒を飲みながら、店主を相手に、「安保法制反対のために国会前の座り込みに参加してきたのだ」と自慢げに話していた。しかし、彼の様子からは法案が可決成立したことに対する危機感はまったく感じられなかった。「さあ、座り込みも終わったから、明日からは大相撲の秋場所でも見に行こうかな」とその客は店主に言って、勘定を済ませて店を出て行った。「このままでは戦争になる、安倍政権を倒せ!」と叫びながら、彼は戦争になるなどとはこれっぽっちも思っていないのだ。彼にとって、国会前の座り込みは、単なるレクリエーション、日米安保反対を叫んで盛り上がった、あの学生時代の若き日を思い起こさせてくれるイベントに過ぎなかったのだろう。

百田氏と石平氏が危惧する最悪のシナリオが現実となり、日本は中華人民共和国日本族自治区となって、ウイグルやチベットと同じ運命をたどるのか、それとも、独立を守りとおすことができるか。中国の軍拡のすさまじさに対して、日本の防衛予算の伸びはあまりにも少ない。このまま年を追うごとに軍事的なバランスが中国優位に傾いてゆけば、やがては李鵬の予言は実現するのか。未来は闇だ。時間がたつほど、日本は不利になるかもしれない。ただ、我輩は、希望的観測かもしれないが、時間が日本に味方するかもしれないと思っている。1.長年一人っ子政策を採り続けていた影響で、中国では少子高齢化が日本以上の速さで進み、国力が衰退する。2.経済成長が鈍化する中国に代わって、経済成長めざましいインドがもう一つのアジアの超大国となり、日本とは反対側で中国の脅威となる。3.あと20年もすれば、「9条を守る会」などに巣くっている老人たち、地上波のテレビばかり見てマスコミに洗脳されている老人たちが死に絶え、インターネットからさまざまな情報を得てまともな政治的感覚を持った世代が、我が国の人口比率において割合を増してくる。

その前に、もしかしたら今回の危機的状況を乗り切った北朝鮮が核大国になり、日本を脅かすかもしれない。常に最悪のシナリオを想定して備えるべきときに、テレビからは訳の分からないコメントが聞こえてくる。「たしかに、危機の瀬戸際にあることは間違いないと思いますけど、ただ開戦前夜ではないですよね」「これは絶対開戦前夜ではなくて、持久戦になるであろうと」「やはりミサイルと核を凍結して、そして米韓も軍事演習をいちおうは一時的に中止すると...そして6カ国協議を再開する」「もしもいま戦争が起これば、日本も韓国も耐えられないと思います。ですから...余裕を持って、こういう時だからこそ、いわば妄動しないで、しっかりと事態を見ていかなければならない...」(「サンデー・モーニング」のカンサンジュ)だってさ。
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2015/12/28

今日の気になるニュース:日韓外相会談  

今日は仕事納めという会社も多いだろうが、我輩はもう冬休みである。しかし、外務省の人たちはたいへんだろうなあ。この年末も押し迫った時期に日韓外相会談である。

引用開始

慰安婦問題、日韓が合意=日本政府「責任を痛感」―人道支援へ10億円財団
 時事通信 12月28日(月)15時39分配信

 【ソウル時事】日韓両国間の大きな懸案となってきた、いわゆる従軍慰安婦問題をめぐる両政府の協議が28日、合意に達した。
 日韓外相会談後の共同記者発表によると、日本政府は同問題への旧日本軍の関与を認め、「責任を痛感」するとともに、安倍晋三首相が「心からおわびと反省の気持ち」を表明。元慰安婦支援のため、韓国政府が財団を設立し、日本政府の予算で10億円程度の資金を一括拠出する。合意に基づく解決策が「最終的かつ不可逆的」であることも確認した。
 首相は28日、韓国の朴槿恵大統領と電話で会談し、慰安婦に対する謝罪と反省を伝達するとともに、「慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを歓迎したい」と表明。朴大統領は「両国の最終合意がなされて良かった」とした上で、「首相が直々におわびと反省の気持ちを表明したことは、被害者の名誉と尊厳の回復、心の傷を癒やすことにつながる」と評価した。
 また、国交正常化50年を迎えた日韓関係の今後について、首相は「未来志向の新時代に入ることを確信している」と述べ、朴大統領の訪日を招請。大統領は「互いに信頼関係を強化し、新しい韓日関係を築くべく、互いに努力していきたい」と語り、訪日を検討することを約束した。
 焦点となっていた元慰安婦の請求権を含む法的問題について、首相は電話会談で「1965年の日韓請求権協定で最終的かつ完全に解決済みとのわが国の立場に変わりはない」と伝えた。
 これに先立ち、岸田文雄外相と尹炳世韓国外相はソウルの韓国外務省で会談した。岸田氏は共同記者発表で、慰安婦問題について「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。今後、国連など国際社会で、本問題について互いに非難、批判することを控える」と表明。尹氏も合意事項の履行を前提に、「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と述べた。
 また、ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦問題を象徴する少女像について、尹氏は元慰安婦支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」を念頭に、「関連団体との協議などを通じて適切に解決されるよう努力する」と語った。日本政府は少女像の撤去を求めている。 

引用終わり

日韓基本条約が「完全かつ最終的に解決した」という「合意」だったのである。それを覆して慰安婦問題の解決を求める韓国に対しては、「今回が最後だ」といくら言っても、文書を取り交わしても無駄なように思える。

そもそも、なぜ合意する必要があったのかよく分からないが、何か事情があるのだろう。加えて、今年が日韓基本条約50周年で、安倍首相には「何とか今年中に」という思いもあったのだろうか。首相自身が、岸田外務大臣に訪韓を指示したそうだ。ネット上では、批判的な意見が大勢を占めているように見える。もっとも、Yahooニュースのコメント欄くらいしか見ていないのだが...

それでは我輩はこの合意をどう評価するかというと、これは難しいところだ。感情的には、「またしても、しなくてもよい譲歩をして、韓国にやられたな」という気がする。ただ、安倍首相の真意が奈辺にあるのかが ...読めない。

12月17日、朴槿恵大統領に対する名誉毀損で訴追されていた産経新聞の元ソウル支局長加藤氏に対し、ソウル地裁は無罪判決を言い渡した。12月22日、ソウル地検が控訴を断念し、加藤元支局長の無罪が確定した。

12月24日、韓国の憲法裁判所が1965年の日韓請求権協定が憲法違反であるという訴えを棄却した。戦時中動員された韓国人の遺族が日韓協定は財産権を侵しているとして訴えていたもの。

もしも、安倍首相がこの流れを見て、いまが関係改善の好機とみているとしたら、ちょっと甘いんじゃないかと思う(そもそも、これらの司法判断が韓国政府の意図したところだとしたら、韓国で司法が独立していないことになり問題なのだが)。安倍首相には、韓国政府が無言のうちに「仲良くしよう」というサインを送ってきたと思えたのだろうか。あうんの呼吸でこの問題を終結できると見たのだろうか。

だとしたら、それは1993年の河野官房長官談話と同じだろう。

引用開始

当時の経緯を調べると、河野談話は、韓国政府側からの要望で出された感が否めない。要望というのは「経済的補償を求めないので、韓国の慰安婦だった女性の名誉のために認めて欲しい。そうすればこの問題には今後触れない」というものだ。当時の日本政府は日韓友好のためにこの要望を受け入れ、政治的判断により河野談話を発表した。つまり慰安婦の募集に関して政府の関与や強制連行について何の証拠も無かったのにもかかわらず、韓国政府とのいわば阿吽の呼吸で河野談話を発表し、事実でないことを認めてしまったのだ。
(2014年11月15日、自民党武藤貴也衆議院議員のブログhttp://ameblo.jp/mutou-takaya/entry-11948455539.html

引用終わり

そして、岸田外務大臣が会談後の記者会見で述べた内容は、河野談話の一節とほとんど同じなのである。

引用開始

いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
(平成5年[1993年]8月4日「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」)

引用終わり

周知の通り、河野談話は慰安婦問題を終わりにするどころか、国際社会で日本軍の慰安婦「強制連行」と「性奴隷」制度を糾弾する際の論拠となって、我が国の国益を損ない続けるという計り知れない禍根を残した。日本的な、非常に日本的な、言葉にしなくても無言のうちに相手の意向や感情を忖度して個人的な友好関係を築くというゲームのルールと、外交交渉の場で自国の国益を最大化するという全く違うゲームのルールを混同したが故の大失策だった。またしても同じ轍を踏むのか、いままでの経緯から何も学習していないのかという気もする。

もう一つの可能性としては、安倍首相は全てを熟考したうえでの冷徹な判断としてこの合意を行ったというものだ。自民党内には、親韓派議員が、それこそうじゃうじゃいる。連立パートナーの公明党も基本的に親韓だ。いかに安倍政権が強固に見えても、彼らに一定の配慮をしなければならないところに追い込まれているのかもしれない。

さらに、来年は、参議院議員選挙がある。消費税の10%への税率引き上げを凍結して、信を問うために衆議院も解散してダブル選挙があるのではないかという推測もある。安倍政権は中国韓国との外交関係の停滞を招いているという批判を封じる必要を感じているのかもしれない。

今回の合意の背景も、外務大臣や首相が用いる言い回しも、河野談話に酷似しているのだが、それでも「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」との言質を取ったことは、河野談話に比べて一歩前進している。もしも10億円で、本当にこの問題が解決するのならば、そんなに高い買い物ではないと思う(たぶん解決しないだろうけどなあ...)。日韓基本条約によって解決済みである以上、びた一文払う義務はないというのはまさにその通りだが、この問題に関しては原則論で押し通せる状況ではないと思う。

多くの日本人には、慰安婦問題で「終わったはずの問題を蒸し返してくる韓国には辟易する」という思いがある。しかし、よく考えてみれば、慰安婦問題は日本人が作り出したものなのである。吉田清治というホラ吹きが『私の戦争犯罪−朝鮮人強制連行』(1983)という本を書いて、彼が朝鮮人女性を強制的に連行して慰安所に送ったという言い分を朝日新聞が何本もの記事にして煽った(朝日新聞がそれらの記事を誤りと認めて取り消したのはやっと昨年になってのことだ)。当時の宮沢喜一首相も河野官房長官も、謝って済むものならばと、ペコペコ謝罪してしまった。レールは敷かれた。安倍首相が個人的にどのような信念を持っていようとも、そこから踏み出して、「日本は悪くない」と主張することは非常に困難である。即座に「修正主義者」というレッテルを貼られる。いくら「事実を見てくれ」と言っても、河野談話がある以上国際社会は耳を傾けることはないだろう。そもそも、「性奴隷(Sex Slave)」という用語を国連まで行って売り込んだのも日本人の弁護士なのだから。

もしも、現在の首相が安倍ちゃんではなくて、石原伸晃や石破茂や谷垣禎一だったら、どんな合意をしていただろうか。安倍首相だからまだこんなもんで済んでいるという考え方もできると思う。こと慰安婦問題については、日本は絶望的な状況を何とか抜け出すべくもがいている状況だということを認識しなければならない。

繰り返しになるが、韓国の外相から「この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」との言質を取ったことは、一歩前進なのである。約束が守られるという保証はない。おそらく守られないだろう。たぶん韓国の政権が変わったとたんに反故になるのだろうが、それでも言質を取ったぶん、河野談話の時よりはマシなのだ。

今回の合意で、安倍首相を非難するべきではない。

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2015/4/8

左翼学生とオッサンの会話  

我が輩が授業をしている大学には、今どき珍しく左翼学生が出没する。授業の後に校舎の前で知人と待ち合わせをしていたら、数人の左翼学生がビラを配っていた。見ていると一般学生やその他の通行人は、彼らのビラを受け取ることなく、無視して通り過ぎてゆく。しばらくして、ようやく一人のオッサンが彼らの差し出すビラを受け取った。

オッサンは、年の頃は我が輩と同じくらい、40代後半か。ジーパンにポロシャツ、ジャケットとかなりカジュアルな格好をしていた。

物好きな人だなあ、あんなビラを受け取るなんて。案の定、左翼学生がそのオッサンにまとわりついて、「集団的自衛権容認の署名集めに協力してくれ」などといっている。ヒマだったので、我が輩もその近くで彼らの会話に聞き耳を立てていた。以下、その左翼学生とオッサンの会話。

オッサン:集団的自衛権行使賛成だけど。
左翼学生:えっ、ナンセーンス!なんでですか?
オッサン:そうでもしないと日本を守れないから。そうでもしないと、日本は中国に対抗しえないから。
左翼学生:でも、首相の靖国参拝などで日中関係を悪化させているのは日本のほうですよ。
オッサン:いやあ、靖国神社に参拝するのが悪いとも思わないけど。自国のために戦って死んだ人たちに尊崇の念を表すのは当然のことで、それはどこの国でもやっていることだから。
左翼学生:(激高して)何を言っているんですか!あんなに侵略をしておいて。
オッサン:どこを侵略したの?
左翼学生:侵略しましたよ、中国も韓国も。
オッサン:いやあ、そんなこと言っても、どこの国でも戦争はやるものだから、侵略かどうかということはおいといて、国のために戦死した人たちをあがめるのは当然のことだと思うよ。それに中国こそ、今もチベットやウイグルを侵略しているじゃないか。
左翼学生:分かっていますよ。ぼくらも反対していますよ。
オッサン:それに日本は朝鮮を併合したのであって、侵略したのではないと思う。その当時は、国際的にもどの国からも非難を受けることはなかった。朝鮮の人たちだって、併合を望む人がたくさんいたんだよ。
左翼学生:何を言っているんですか!伊藤博文を暗殺した安重根が朝鮮人民の怒りを表しているではないですか。
オッサン:安重根は頭がおかしかったんだよ。伊藤博文は朝鮮併合に反対していたのに、その伊藤を暗殺するなんて...
左翼学生:そのあとも、朝鮮の民衆はずっと日本に対して抵抗運動を続けてきたんですよ。
オッサン:そんなことはないと思う。だって、朝鮮の独立運動って、三一運動があっただけで、その後はシュンとしぼんでしまって。結局、たいした独立運動も無いまま、1945年8月15日の日本の敗戦まで行ったじゃないか。もしも、朝鮮の人々がほんとうに独立したかったのなら、どうして日本が敗戦する前に、昭和19年とか昭和20年とか、日本の敗北がほぼ明らかになった時期に独立運動が起こらなかったんだ?
左翼学生:起こってたよ、抗日パルチザンとかが日本の支配と戦っていたんだよ!日本がそれを徹底的に武力弾圧したんだ!
オッサン:そんなことはないと思うよ。その頃日本の軍隊は太平洋でアメリカと戦争をしていて、朝鮮には少数しかいなかったんだ。朝鮮の治安を守っていたのは警察で、朝鮮の警察というのはほとんど朝鮮人だったというじゃないか。
左翼学生:日本の傀儡だろうが。
オッサン:まあ、そうとも言えるが。だけど、日本が降伏して戦争が終わるまで、その傀儡すら倒せなかったのだから、朝鮮の独立運動はたいしたことなかったんじゃないの。
左翼学生:そんなことはない。戦争中には、日本で在日朝鮮人すらも反乱を起こしていたんだ。
オッサン:日本で在日朝鮮人が反乱を起こすぐらいなら、なぜ朝鮮半島で朝鮮人が反乱を起こして日本人を追い出さなかったんだ?
左翼学生:それは、だから...
オッサン:....
左翼学生:だから...
オッサン:だから?
左翼学生:だから、それは前と同じ論理です。とにかく、絶対に許さない。あんたの修正主義的なそういう考え方は絶対に許さない!
オッサン:そう言われても。うーん、たとえばね、私は、あなたがあなたなりの考え方を持つのは認める。そのあなたの意見に私は賛成できないとしても。だけどねえ、「その考え方は絶対に許さない」というのは、それは内心の自由、思想信条の自由を否定することであって...
左翼学生:あんた、教員なの?
オッサン:学生に見えるかね?
左翼学生:あんた、そういう授業やってるんだな。そうなんだな。
オッサン:あっ、いや。授業では政治の話なんてしないよ。
左翼学生:やればいいだろうが!堂々とやればいいだろう!
オッサン:いや、ここではあなたが聞いてきたから、少し踏み込んで自分の考えを話しているんであって。授業の時は、やっぱり教員はなるべく政治的に中立な立場をとらないと。
左翼学生:やればいいだろうが!できないんだろう!そうだろう!学生の反乱が怖くて。
オッサン:あのね、私はじつはあなたみたいな人が嫌いじゃないんだよ。今の学生たちって、みんな自分の身の周りのことやるだけで精一杯で、あなたみたいにある意味広く世の中を見られるというか、政治に関心を持てる人はなかなかいないと思うし、自分も昔はあなたと同じような思想を持っていたから。
左翼学生:あなたここの教員?
オッサン:あー、いや。パートタイムの教員で、月曜日だけここに来て教えている。あなたはここの学生なの。
左翼学生:いえ、ちがう大学です。
オッサン:ああ、そうなの。あのね、私は今46歳で、あなたはまだ20歳そこそこだろうから私はあなたの倍以上は生きているの。その間にそれなりにいろいろなことを見聞してきたから、人生の先輩としての話をあなたに聞いてほしい。私が学生だった頃、私のクラスメートにもあなたと同じような運動をやっている女性がいたの。そのころ、ちょうどフィリピンのアメリカ軍の基地が撤退して、スービックという海軍の基地とクラーク空軍基地なんだけどね。まあ、クラーク空軍基地のほうは火山灰に埋まってしまって、滑走路が使えなくなったというのもあったらしいんだけど。それで、私はそのクラスメート、フィリピン・沖縄の民衆と連帯する運動をしている彼女の話を聞いて、日本人もフィリピンの民衆を見習わなければならない。我々もアメリカ軍を追い出して、安保条約を破棄するべきだとか思っていたの。でも、フィリピンでアメリカ軍が撤退してから、どうなったか知ってる?
左翼学生:...。
オッサン:アメリカ軍が撤退して、軍事力の空白ができると、中国軍がそこにやってきて、パラセル諸島とかスプラトリー諸島を占領して、基地まで造ってしまったの。彼らの言う、西沙諸島とか南沙諸島だけどね。だから、平和というのは、軍事力の空白を作らずに、軍隊と軍隊が相対してパワーバランスを保ちながら、戦争が起こらないようにすることだと...
左翼学生:いつあったんですか?そんな(平和な)時代がいつあったんだよ?
オッサン:だから、いまそのパワーバランスが崩れているんだよ。中国の軍拡というのはものすごいんだよ。このまま中国が強くなっていくと、パワーバランスという歯止めがなくなって、だから日本は何とかアメリカ軍の袖を引っ張って、ここにいてくれ、と言っているんだよ。オバマ大統領になってから、アメリカはまた孤立主義的になって、海兵隊とかグァムまで撤退して、アジアを放置しようというような感じだったの、だから...
左翼学生:我々だって、集団的自衛権が、日本がアメリカの戦争に巻き込まれるというようなことではないと思ってるよ。
オッサン:そう、そうなんだよ。日本がアメリカに巻き込まれるというよりも、日本がアメリカを巻き込もうとしていると私は思う。
左翼学生:とにかく、あなたのその修正主義的な考え方、歴史の見方は絶対に許さない。あなたの考え方は許さない、絶対に!
オッサン:私はこれでも学者なんだけど。といっても近現代史の専門の学者じゃなくて、もっと違う時代のことを研究しているんだけど、少なくとも学問は修正主義的でなければならないと思っている。新しい学術資料がでてきたら、そのデータと矛盾しないようにこれまでの学説を修正して、新しい学説を展開させる、そうでないといけないと思っている。だから、私は修正主義者だ。
左翼学生:それはそうでしょう。
オッサン:とにかく、君はまだ若くて、こう、その運動にすごく熱心に打ち込んでいると思うんだけど、ものの見方が一方的で、視界が狭くなっているんじゃないかと思う。だから、「その考え方は絶対に許さない」とかいう前に、世の中にはいろんな考え方があって、自分の考えが絶対ではなくて、そのうちに変わるかもしれないということを意識しておくべきだと思う。
左翼学生:その言葉、そっくりあなたに返しますよ。
オッサン:そうだね。
左翼学生:そのビラを読んでみてください。
オッサン:ああ、わかったよ。
左翼学生:それじゃ。
オッサン:さようなら。

二人はそこで別れて、左翼学生は校舎の前でビラをまいている仲間の法へ、オッサンは駅の方へと歩いて行った。
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2015/2/27

今日観た映画:『アメリカンスナイパー』  映画鑑賞

クリント・イーストウッド監督『アメリカンスナイパー』(2014)アメリカ

ネタバレ注意!これから観に行く人は読まないで。

クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)はテキサスで信心深いキリスト教徒の父のもとで育った。父はクリスに射撃を教え、また「世の中には、羊とオオカミと番犬がいる。おまえは番犬になれ」と諭される。世の中には弱者と、それを力づくで食い物にする悪と、そして弱者を悪から守る者がいる。世の中に悪というのは存在する。つまり悪いやつはどうしようもなく悪いのであって、それは育った環境がどうだとか、いろいろな偶然や不運が重なってを悪を為す人たちがいるというのではなく、いわば先天的に悪人は悪人と言うがごとくの決めつけかたなのだ。

大人になって、カウボーイ、といえば聞こえがいいが、牧場の労働者になったクリス。ロデオ大会に出るなどして、賞金稼ぎをしていた。そんななか、1998年のケニアとタンザニアのアメリカ大使館爆破事件に衝撃を受けて、クリスは弟とともに軍隊に志願する。「弱い者を守り悪を倒せ」という父の教えが心の中によみがえったのだ。海軍特殊部隊ネイビー・シールズの猛訓練にクリスは耐え抜く。もともと射撃は父親に仕込まれていて、狙撃手としては申し分ない。

訓練中に、クリスはバーでタヤ(シエナ・ミラー)という女性と知り合う。タヤはバーで飲みすぎてゲロを吐いてしまうような女なのだが、超美人でなかなかガードも堅い。クリスはなんとかかんとかタヤを口説き落とすことに成功、二人はめでたく結婚する。実はこの間、2001年9月11日の同時多発テロがあり、そしてアメリカはアフガン攻撃からイラク戦争(2003-2011年)へと戦争を拡大させていた。奇しくもタヤとの結婚式の日、クリスたちの隊にも出動命令が下り、これがイラクへの一度目の派遣となる。

クリスの任務は、建物の屋上などで身を潜めて敵の接近を監視・狙撃して、市街地で掃討作戦を行う海兵隊の安全を守るものだった。最初の狙撃は気が重いものだった。海兵隊員たちに近寄ってゆく母とまだ幼い男の子。母は着衣の下に何かを隠し持っており、それを男の子に渡す。クリスはそれが対戦車用の手榴弾であることを見逃さなかった。母親から離れて戦車へと進んでゆき手榴弾を投げようとした男の子をクリスは射殺する。つづいて男の子に駆け寄って手榴弾を拾い上げ、それを持ってアメリカ軍に向かってゆく母親も一撃で射殺する。

やがて、クリスの狙撃の腕はイラクに派遣されたアメリカ軍の間で広く知られるようになり、彼は「伝説の男(Leyend)」と呼ばれるようになった。イラクとアメリカを行き来すること4度。タヤとクリスの間には長男が生まれ、やがて長女も生まれる。

この間、シールズと海兵隊の喫緊の課題は、あのイスラム原理主義武装勢力のリーダー、ザルカウィを捕獲または殺害することだった。クリスらは、ザルカウィの片腕である「虐殺者(the Butcher)」に関する情報提供を受け、追跡に動く。しかし、敵の思わぬ待ち伏せ攻撃を受けて、そのあおりで情報提供者の現地の長老(シャイフ)とその幼い子供が殺されてしまったり、同僚のビクルズが撃たれて負傷、その敵をとろうと出撃して、逆にやはり仲間のマークが戦死してしまったり。

そして、過酷で凄惨な戦場の体験は、確実にクリスの心を蝕んでいた。イラク派遣の合間にアメリカに帰って家族と過ごす日々にも、クリスはなにか心ここにあらずといった感じで、ほんとうに打ち解けて心を開いているようではない。静かに自宅の居間でくつろいでいるときにも、クリスの頭の中では、常に銃声と悲鳴が響いているのだ。それでもイラク行きを止めないクリスは、妻のタヤとの間に徐々に溝を深めてゆく。

4度目のイラク派遣。戦場はファルージャからサドル・シティへと移っている。クリスたちは、それまで手を焼いていたイスラム武装集団の狙撃手、シリア人でオリンピックのライフル射撃金メダリストでもあるムスタファをおびき出す作戦に出る。凄腕のスナイパーどうしであるクリスとムスタファの対決。まず、ムスタファがアメリカ軍の兵士を狙撃。その射撃により、クリスが、1900メートルという射程外とも言える距離にいたムスタファを発見し、スコープに捉えた。

クリスが満を持して放った一発がみごとにムスタファを倒す。血飛沫を吹き上げて倒れ込むムスタファだったが、これでクリスたちの位置も敵に知られることになり、武装勢力の兵が殺到する。激しい銃撃戦の末、味方のヘリコプターのミサイル攻撃と、折しも到来した砂嵐に紛れてクリスたちはようやくのことで脱出して生還することができた。

ようやくクリスは除隊を決心して家族の元へと帰り、やがて妻のタヤや子供たちにとっても、優しい夫、父親になっていった。しかし、戦争の後遺症は簡単には癒えず、クリスはある出来事がきっかけで精神科(?)を受診する。そしてその病院でクリスが出会ったのは、体にも障害を負い、心身ともに戦争で傷ついた元軍人たちであった。

クリスは一緒に射撃をすることで、彼らを癒やすという試みをはじめる。銃とは縁遠い日本人には思いもよらない「射撃セラピー」。撃つ対象は紙の標的であり、うまく命中させることができたときの満足感・達成感と射撃の合間のなにげない会話を通した心理療法であるらしい。

ある日、クリスは、やはり戦争で精神を病んだ患者と射撃セラピーに出かける。その患者の母親に頼まれたのだ。しかし、そこで悲劇は起こる。

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クリント・イーストウッドの戦争映画といえば、なんといっても『父親たちの星条旗』『硫黄島からの手紙』の二部作だ。あれはいい映画だった。今回も期待できるだろうと思って観に行った。今回の作品の評価は....70点。

戦闘シーンがド迫力。スナイパー・ライフルのズキューーーーンという腹に響くような銃声のリアルさは、やはり映画館ならではかも。平地で撃っていてもなぜかこだまのように後に尾をひいて響く。我が輩はもちろんほんとうの戦場など知らないのであるが、単なる憶測で言うと、たぶんこの映画は、本物の戦闘と『ランボー』みたいな荒唐無稽な戦争映画のちょうど中間ぐらいか。戦争映画として、とてもよい出来だと思う。

この映画はアメリカでは大ヒットしていて、興行収入が3億ドル(360億円)を超えたのだという。よい出来ではあるが「単なる戦争映画」というだけではここまで多くの観客を集めることはない。

それは、この映画の製作直前(?)にクリス・カイルが殺されるという事件が起きてしまったことにある。日本でも有名な歌手が死ぬと一時的にCDがバカ売れし、有名な俳優が死ぬとDVDが売れたり、いくつかの映画館がその俳優の作品をリバイバル上映して観客が殺到したりする。

戦争や軍人というものをほとんど実感できなくなっている日本人には理解しがたいことだが、クリス・カイルは真にアメリカ人にとってのヒーローであって、いわば日露戦争の広瀬中佐、支那事変の爆弾三勇士、真珠湾攻撃における特殊潜航艇の九軍神、みたいなものなのかもしれない。

戦争映画としての完成度の高さと、クリス・カイルが殺人事件の犠牲者になってしまったという偶然の出来事によって、3億ドルという興行収入をたたき出した大ヒットの要因はほぼ説明できると思う。しかし、もしかしたらプラスアルファの何かがあるのかもしれない。

多くのイラクの軍人と多くのイラクの市民が殺されて、傷つき、そして多くのアメリカの軍人も殺されて傷ついたイラク戦争とはいったい何だったのか。結局はイラクには大量破壊兵器はなかった。今になってみれば、イラク戦争は大義なき戦争だったと、多くのアメリカ人もうすうす感じているのではないだろうか。イラクをはじめ、中東の石油資源だって、アメリカで膨大なシェールガスの産出が可能になり、世界のエネルギー需給の構図が一変してしまった今では、たいした重要性を持たなくなってしまった(すくなくともアメリカにとっては)。

そして、アメリカ軍がフセイン大統領を倒し、ザルカウィを殺し、その結果イラクは平和で民主的な国になったかと言えば、いままたフセイン政権の残党(スンニ派過激集団)やアルカイーダの残存勢力がISISいわゆる「イスラム国」という怪物になって復活している。

ISIS「イスラム国」は、恐怖による統治を行い、アメリカやイギリスや日本のジャーナリストや国際援助関係者を誘拐して、拘束して、身代金を要求して、あげくのはてに殺害して、その様子を動画でインターネットに投稿したりしている。

クリスたちは何のために戦ったのか、多くのアメリカ兵が命を落とし、あるいは体に障害を負って、心を病んでしまったあの戦争を、アメリカの人々がいま振り返ってみようという機運が、ひょっとしたらあるのかもしれない。

ちなみに、クリスは自分が多くの敵を狙撃して殺したこと(アメリカ軍の記録では160人)について、なんら良心の呵責を感じていない。精神科医の「こんな経験はしないほうがよかったと思いますか」という問いに対して、「自分はそんな人間じゃない」と答えている。クリスは戦争の是非について疑問を感じてはいない。ただ、壮絶な戦場での経験が心理的外傷となっているだけだ。彼は父親の教えの通り「番犬」となった。自分と家族と国を守るために「悪」と戦っただけなのだ。ちなみに映画の中では、クリスは、「蛮人(the savages)」という言い方をしている。

この映画のラストシーン。クリス・カイルの葬列とおもわれるパトカーや白バイのすごく大規模な車列、それに星条旗を振る沿道の人々、老いも若きも、男も女も、ほんとうに多くの人たちがこの英雄の死を悼んでいる。告別式は野球場で行われ、多くの軍人と民間人が参列して別れを惜しんだ。その実際の映像がラスト・シーンなのである。

イラク戦争が大義なき戦争だったのかどうか、そんなことは関係ない。国のために命を賭けて戦い、多くの敵を倒した英雄の死に際して哀悼の意を表する。アメリカ人には当たり前のことなのだ。首相の靖国神社参拝を巡って国論が二分する我が国とは、なんたる違いだろうか。

映画館では、我が輩の隣で老夫婦がこの映画を観ていた。映画が終わってエンドロールが流れはじめた瞬間、老人が「実話だったのか」とひとりごちた。知らずに見に来る人もいるのか!ちょっと笑えた。

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