2008/4/22 20:28
山口県光市の、母子殺害事件の判決が本日、あった。
最高裁の判決は、死刑。
「元」少年、現在27歳の犯人は、死刑宣告を受けたわけだ。
・・・・当たり前だと思う。当然だと思う。
これまでの、この事件にかかわるニュースなどはあちこちで報道されていたり議論されていたりするのだが、
大きく分けて
興味の対象・・んー「興味」というと語弊があるかもしれないが・・・は、
「死刑になるのかならないのか」ということだけでなく、弁護団によるあの荒唐無稽な弁護内容、
(おそらく)弁護団が「彼ら」に変わったことによっての
(たぶん)死刑を免れるための入れ知恵で二転三転する「元」少年の証言の真偽と、それに関する高等裁判所の見解であったと、私は思う。
(カッコ内は、あえて書きました。可能性がたとえ0.01%でも、絶対だと言いきれないので。)
しかしなぁ・・・。
今回の判決で言うと、ようはあの弁護団自体も断罪されてるわけですよ。
(-_-;)
『判決文・・
「死刑を回避するためだけの虚偽の弁解は更生の可能性を大きく減殺する事情といわなければならず、
死刑回避のために酌量すべき事情を見いだす術もなくなった』
・・・あの弁護団が、余計な入れ知恵しないで、「元」少年が
はじめから罪を認め、本当のことをきっちりしゃべっていれば、
それが世論に受け入れられるかどうかは別としても、
複雑な家庭環境だの精神的未熟だのってことをさしひかれての
「死刑回避」はできていたかも、ってことなんだよな。
弁護団のせいでの「死刑」と言っても過言ではないではないのか?
あの弁護団は結局なにがしたくてああしてしまったのだろう。
解任された弁護士は「被告に反省をうながす」ようにしたかったらしいが
弁護団は「強姦殺人でなく、傷害致死」のラインを崩さず、溝ができたらしい。
で、だから、解任された方が「正しかった」とかそういうシンプルなことでもないようにも思う。
そんなの今言っても仕方ないもんね、きっと。
少年犯罪って一言で言うけど「少年」らしさのみじんもない身勝手な、そして周到なむごたらしい犯行で、
殺された被害者の女性にしたら人権蹂躙どころではない事件だと思う。
そこへ「少年だから死刑にしちゃだめ」のほうがパーセンテージとして大きいってのはどうだ。
「少年だけど、やったことがあまりにもひどすぎるから死刑」というほうが大きくなって当たり前なんである。
何人殺したら死刑。とかそういう理屈でなく「事件の内容」。
もちろん弁護士の仕事、責務として「クライアント(被告人)の罪を軽くする」のは当然だ。
だからこそ、世間的に荒唐無稽ではあっても世論が逆風であったとしても
法廷では、ああいうやり方になったり素人の私たちが見ていて「はあ??」と思うような手を使うことは、弁護士としては「正しい」のだ。
それはよくわかる。
・・よくわかるが、この光市の事件のむごさや、あの少年のあの幼稚でムカつく手紙に現されるふざけた態度や、
それに立ち向かう本村さんの、冷静で真摯な態度を目にする一般ピープルにしたら「ふざけんじゃねぇ、弁護団」て事になるのだ。
当たり前だ、リアルに生きる一般ピーポーな人間なんだもん、こっちは。
そもそも「死刑廃止」についてもいろいろ議論や考え方はそれぞれあるんでしょうが
「死刑にはならない、何をしても」ってことになりそうで、私は基本反対。
しかし冤罪での死刑だってあるという事や、
冤罪でも犯人にしたてあげる構造が「ないとはいえない」警察のあり方にだって多いなる問題があり、恐ろしいことだ・・
だからとりあえず死刑はやめようよ?って考えは、よくわかるし、理解もできる。
「いい」「わるい」と簡単に言えないことだと、いつも思う。
だから、今そんな議論をしても仕方ない。
今回を、「いい判決」だとしながらも、やみくもに「悪いことしたんだから死刑」ということではないということを当の本村さん自身が今日の会見で言っておられ、とても納得した。
・・・納得というより感動かも。
(以下引用)
『死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。
ただ、それを論じても意味のない事で、
どうすればこういった犯行や非行を防げるかということを考える契機になると思う。
死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時
誰がこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。
死刑というものがあって、人の命をどうこの国が法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、
これだけの世論の反響を呼んだ。
当然いろんな議論があります。
いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。
両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。
常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。』
・・普通に生活していたのに、ある日急に、自分の奥さんと赤ちゃんを殺され、奥さんは暴行までされていた。
当時まだ若かった青年の強い語気での怒りの発言は、マスコミによってあれこれ書かれ、捕まった少年には、死んだ妻や、遺族である自分まで愚弄された。
これだけでも自分なら、あなたなら
冷静でいられるだろうか。
しかし本村さんは、犯人を憎み、死を望む発言を繰り返すだけの人ではなく、
思慮深く、冷静に、ある時は第三者的に「事件そのもの」を見つめ
本当のことを知りたがった。世間にそれだけの影響を与えたのだ。
賢い人だと思う。
9年間、本当に、本当によく頑張られたと思う。
なかなかできることではない。
今回の判決は、私は最初に書いたように「死刑で当然」だと思う。
そして、死刑になる前に本気で心から贖罪の気持ちをも、持つべきだ。
単に「悪いことしたから絞首刑」で終わり!ではない。
そして、バカな記者が
「被告の死刑判決で、本村さんは癒されるのですか」などと聞いていたが、癒されるわけがない。
奥さんも子供ももう帰ってはこないのだから。
本村さんも答えていたけど、癒されるのではなく
正義感が満たされた(とりあえず)、ということで、それが重要だとも思う。
・・記者会見での本村さんの発言のように、
「妻と子供、そして犯人の三人の命がうばわれる結果」のようにならない社会になることを、切に祈る。
少なくとも自分の頭で物事を考え、
自分の欲望を
すべて思いのままにかなえることが「できない」のを知るのが大人であり、
きちんとした想像力や理性を蓄えることを教えるのも大人、なのだ。
わからなければ、一生、考え続けることだ。
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最高裁の判決は、死刑。
「元」少年、現在27歳の犯人は、死刑宣告を受けたわけだ。
・・・・当たり前だと思う。当然だと思う。
これまでの、この事件にかかわるニュースなどはあちこちで報道されていたり議論されていたりするのだが、
大きく分けて
興味の対象・・んー「興味」というと語弊があるかもしれないが・・・は、
「死刑になるのかならないのか」ということだけでなく、弁護団によるあの荒唐無稽な弁護内容、
(おそらく)弁護団が「彼ら」に変わったことによっての
(たぶん)死刑を免れるための入れ知恵で二転三転する「元」少年の証言の真偽と、それに関する高等裁判所の見解であったと、私は思う。
(カッコ内は、あえて書きました。可能性がたとえ0.01%でも、絶対だと言いきれないので。)
しかしなぁ・・・。
今回の判決で言うと、ようはあの弁護団自体も断罪されてるわけですよ。
(-_-;)
『判決文・・
「死刑を回避するためだけの虚偽の弁解は更生の可能性を大きく減殺する事情といわなければならず、
死刑回避のために酌量すべき事情を見いだす術もなくなった』
・・・あの弁護団が、余計な入れ知恵しないで、「元」少年が
はじめから罪を認め、本当のことをきっちりしゃべっていれば、
それが世論に受け入れられるかどうかは別としても、
複雑な家庭環境だの精神的未熟だのってことをさしひかれての
「死刑回避」はできていたかも、ってことなんだよな。
弁護団のせいでの「死刑」と言っても過言ではないではないのか?
あの弁護団は結局なにがしたくてああしてしまったのだろう。
解任された弁護士は「被告に反省をうながす」ようにしたかったらしいが
弁護団は「強姦殺人でなく、傷害致死」のラインを崩さず、溝ができたらしい。
で、だから、解任された方が「正しかった」とかそういうシンプルなことでもないようにも思う。
そんなの今言っても仕方ないもんね、きっと。
少年犯罪って一言で言うけど「少年」らしさのみじんもない身勝手な、そして周到なむごたらしい犯行で、
殺された被害者の女性にしたら人権蹂躙どころではない事件だと思う。
そこへ「少年だから死刑にしちゃだめ」のほうがパーセンテージとして大きいってのはどうだ。
「少年だけど、やったことがあまりにもひどすぎるから死刑」というほうが大きくなって当たり前なんである。
何人殺したら死刑。とかそういう理屈でなく「事件の内容」。
もちろん弁護士の仕事、責務として「クライアント(被告人)の罪を軽くする」のは当然だ。
だからこそ、世間的に荒唐無稽ではあっても世論が逆風であったとしても
法廷では、ああいうやり方になったり素人の私たちが見ていて「はあ??」と思うような手を使うことは、弁護士としては「正しい」のだ。
それはよくわかる。
・・よくわかるが、この光市の事件のむごさや、あの少年のあの幼稚でムカつく手紙に現されるふざけた態度や、
それに立ち向かう本村さんの、冷静で真摯な態度を目にする一般ピープルにしたら「ふざけんじゃねぇ、弁護団」て事になるのだ。
当たり前だ、リアルに生きる一般ピーポーな人間なんだもん、こっちは。
そもそも「死刑廃止」についてもいろいろ議論や考え方はそれぞれあるんでしょうが
「死刑にはならない、何をしても」ってことになりそうで、私は基本反対。
しかし冤罪での死刑だってあるという事や、
冤罪でも犯人にしたてあげる構造が「ないとはいえない」警察のあり方にだって多いなる問題があり、恐ろしいことだ・・
だからとりあえず死刑はやめようよ?って考えは、よくわかるし、理解もできる。
「いい」「わるい」と簡単に言えないことだと、いつも思う。
だから、今そんな議論をしても仕方ない。
今回を、「いい判決」だとしながらも、やみくもに「悪いことしたんだから死刑」ということではないということを当の本村さん自身が今日の会見で言っておられ、とても納得した。
・・・納得というより感動かも。
(以下引用)
『死刑は重過ぎるという人も適罰という人もいると思います。
ただ、それを論じても意味のない事で、
どうすればこういった犯行や非行を防げるかということを考える契機になると思う。
死刑というものがなくて、懲役刑や、短いものだったりした時
誰がこの結末を注目し、裁判経過を見守ってくれるのか。
死刑というものがあって、人の命をどうこの国が法律が判断するかを国民のみなさんが一生懸命考えてくれたからこそ、
これだけの世論の反響を呼んだ。
当然いろんな議論があります。
いずれにしても目的は安全な社会を作ること。どうすれば犯罪を減らせるか、死刑を下すほどの犯罪をなくすことができるかということに人々の労力を傾注すべきだと思う。
両手放しに死刑は必要だとか、間違っていないとは言えない。
常に悩みながらこの制度を維持することに本当の意味があることだと思いを新たにしています。』
・・普通に生活していたのに、ある日急に、自分の奥さんと赤ちゃんを殺され、奥さんは暴行までされていた。
当時まだ若かった青年の強い語気での怒りの発言は、マスコミによってあれこれ書かれ、捕まった少年には、死んだ妻や、遺族である自分まで愚弄された。
これだけでも自分なら、あなたなら
冷静でいられるだろうか。
しかし本村さんは、犯人を憎み、死を望む発言を繰り返すだけの人ではなく、
思慮深く、冷静に、ある時は第三者的に「事件そのもの」を見つめ
本当のことを知りたがった。世間にそれだけの影響を与えたのだ。
賢い人だと思う。
9年間、本当に、本当によく頑張られたと思う。
なかなかできることではない。
今回の判決は、私は最初に書いたように「死刑で当然」だと思う。
そして、死刑になる前に本気で心から贖罪の気持ちをも、持つべきだ。
単に「悪いことしたから絞首刑」で終わり!ではない。
そして、バカな記者が
「被告の死刑判決で、本村さんは癒されるのですか」などと聞いていたが、癒されるわけがない。
奥さんも子供ももう帰ってはこないのだから。
本村さんも答えていたけど、癒されるのではなく
正義感が満たされた(とりあえず)、ということで、それが重要だとも思う。
・・記者会見での本村さんの発言のように、
「妻と子供、そして犯人の三人の命がうばわれる結果」のようにならない社会になることを、切に祈る。
少なくとも自分の頭で物事を考え、
自分の欲望を
すべて思いのままにかなえることが「できない」のを知るのが大人であり、
きちんとした想像力や理性を蓄えることを教えるのも大人、なのだ。
わからなければ、一生、考え続けることだ。
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投稿者:ツバッキー

