清水先生から2度も招待のメールを頂き、15日午後1時愛知学院大学楠本学舎に行った。
薬学部のキャンパスで校門の直ぐ前に学生の駐車場が有り、日曜なので空いていて車を置いた。
2階の会場に行くと清水先生がニコニコと迎えてくださった。
会場に入ると映像が掛かっていた。同じ映像が流れる風景を背景に繰り返し、繰り返し映写されている。
異様な雰囲気で音楽があるだけで言語は無い。
最初は単調に感じたが、そのうちに強烈なインパクトで食い込んで来て、海馬に記憶される。 肉体の表現と音楽と流れる背景だけでこんなに強烈に残る物だろうか。
私達の学生時代、チェーホフやゴーリキーやシェックスピアなど言葉が重要な要素だった。
肉体の表現に言葉は要らない。肉体の表現その者が言葉だ。
学会に来ている人々は寺山修司の研究者か関係のある人ばかりで、素人は璋子さんと私だけのようだ。 清水先生に誘われなければ来ることは無かっただろう。
実験的な舞台芸術や前衛的な映像に興味が無かったとと言う訳でもなかった。もう40年程前になるだろうか?大須の七ツ寺に2回ほど行った。
凄い所で観客はすし詰めで舞台と客席の境も曖昧で舞台と客席が1体化したように何が起こるか分からないようなムンムンとしたエネルギーに驚いた。
其れまで京都の南座とか名古屋の御園座とか普通の劇場しか行ったことが無かったのでショックを受ける程だった。その後友達に誘われてシアターウイークエンドへ行ったりしていた時期もあった。
寺山修司学会後、野暮用が山積みで論文を読む事もなく10日余過ぎてしまった。
今日は読もうとソファーに座って、窪田真弥氏の「
人力飛行機ソロモン連想〜コミケ、夕張映画祭、市街劇の日〜」を読み始めた。
寺山修司の演劇実験室天井桟敷が1970年に演劇を閉ざされた空間から市街に解放して市街劇を新宿、高田馬場辺りで展開した。その後1971年仏のナンシー市、オランダ・アーヘム市で上演された。その年にサンレモ映画祭でグランプリ(書を捨てて町へでよう)
1762年ベオグラード演劇祭でグランプリ−(邪宗門)そして1963年に死亡。
彼の死後、各地で人力飛行機ソロモンは上演され、遠くからわざわざ見に来る人もあるときいている。
サムソンに乗る人はキップ売り場でキップを買うと仮面をくれる。市街に拠点が色々あり其処を回るには地図も買わねばならない。
仮面を顔に被らないで心に被っていた人も、顔に仮面をかぶることによって心の仮面を捨てる。
人間は日常性のマンネリから脱してドキドキするような非日常性にとびこみたい願望を持っているのだろう。
読んでいる中に睡魔が襲ってきた。
何年ぶりかで帰ってきた我が家の近くで正岡 子規の仮面を被ったひと、白塗りの人など異様な人々が、行き交っている。
庭から母屋の内がボーッと霞んだように、でもハッキリ見えている。人影は無い。庭にいた人々の姿もない。
母屋に入ると、音も影も無いのに、人がうごめき談笑しているような気がする。
「最前見たあの人達はキッと此処に居たはずだ。離れに行ったのかも知れない」離れの扉のノブを躊躇する指で回そうとした時、急に明るい日が射した。
私も瞬時、異質空間に旅をした。

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