公開講座三回目は
韓国の中の二つの日本ー過去から現在へー
愛知学院大学外国人教師 文 嬉眞
「1・2年日本に行ってくると言って出てきて15年になりました。」と開口一番とても明るく好感度満点の先生だ。
日韓両国の否定的・肯定的なイメージの形成に揺れ動いていた関係も「近くて遠い国から近くて近い国、真の隣国に変わりつつある。
2002年NHK の韓国ドラマの放映を契機に一般民衆主導の形で両国の好感度は高まっていった。
朝鮮半島は中国と接し、中国の文化を入れ、日本にもたらした。「韓国は外国を攻めた事は無い」といわれ事実そうだが、中国から攻められ、日本から攻められてもと言う事だが、高句麗、新羅、百済など朝鮮半島でしのぎを削っていた。
唐と連結して百済、高句麗を滅ぼして新羅(676年〜935年)の初めての統一国家となったが、政情は乱れクーデターは起こり再び三国時代、918年高句麗の豪族王建が新羅を滅ぼし王位を奪った。高麗建国(918年)。935年新羅王が国を譲渡、後に百済も滅ぼし統一したが、モンゴル帝国の侵略、和冦に脅かされたり、クーデターが起こったり、波乱に富んでいる。
1392年李氏が高麗の王位を奪い、高麗王になり翌年、国名を朝鮮国と改めた。
いま、韓国ドラマ世宗大王(1418〜1450)をテレビで連載しているが、世宗大王はハングルを創った李氏朝鮮4代目の王の物語で時々見ている。
この講義を聴いて朝鮮半島の本も少々読んでみた。紀元前衛氏朝鮮からの歴史は中華と呼ぶ大国に接して侵攻されたり、進入したり、朝貢したり、属国扱いされ、国王が変われば中国の皇帝に申し出なければならない。半島内では割拠し、内乱が起き、しかも独立国として続いてきた。
韓国の日本文化との接触(戦前)
肯定的な接触として朝鮮通信使お互いの文化伝授。1429年大王世宗の命を受けて銀メッキ、紙、堅籾、造作の法、日本の技術を伝習せよと、技術者を送り、水車の作り方を持ち帰ったと何かで読んだ。
否定的な接触
豊臣秀吉の朝鮮出兵、36年間の植民地時代
戦後に於ける韓国政府の文化政策。
1.終戦後36年間の日韓併合の影響を払拭するために1960年まで交流不在。(李承晩政権)
2.60年代に対日交流政策の転換、外国語大学に日本語科設置、全斗煥(1960〜1987) 1方通行の時期。
70年代以降日本へ韓国文化の紹介を開始、日本からの輸入は不活発、その為に日本 のアニメ、映画などのまがい物なども出て、日本文化に対する退廃、低質ムードの強 化、軍事政権下の混乱回避のための規制。
3. 蘆泰愚政権以降(1987〜2003)相互交流の時期
4.日本文化の全面開放(2004〜現在)民間レベルの相互交流の時期。
日韓併合以来1世紀にならんとしている。様々な葛藤の中で、日本人の贖罪の心も含めて、最も近く、解り合える隣人として、平和を守っていけたらと切実に思った。
19年前、日韓の建築のセミナーに来てほしいと頼まれた夫に附いて韓国にいった。
その頃建築科の学者や研究者は日本かアメリカで学んで居られた。、東大のH教授はとても熱心に日韓セミナーを続けて、その年は大邱で行われた。韓国の教授や学生も日本語がとても上手で、礼儀正しく、さすが儒教の国だとおもった。
和気藹々と過ごした3日間、 あんなに精力的に日韓の友好と研究の為に尽くしたH教授は白血病の為に若く亡くなられた。

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