何故こんなに忙しいのだろう家事、来客、書類の整理、落ち葉は積もり、野暮用に1日中追われ、ヤット夜この2回の公開講座について書き始めて、保存を忘れて寝てしまった。いつも直打ちで原稿は無い。
日中における書道観念の分岐ー書道の本質を探ってみるー
11月7日(土) 愛知学院大学外国人教師 劉 作勝
現在日本は書道が隆盛だが、中国の書法との違い、書に対する考え方の違いについて、
古代、骨に念じて象形文字で書いて、天の本意をきいた(甲骨文字)。
甲骨文字から漢字に発展しても文字は神聖な物であり、その文字の意味、形を重視し、正しく、可読的でなければならない。文字を冒涜してはいけない。誤字脱字はいけないと言われる。
象形文字からズッと続いた中国の書法と途中乗りした日本の書道とは書に関する姿勢が自ずから違うのだろう。
正しい字と言う事は象形文字まで上って考える国から見れば日本の漢字に間違いだと言われる字も多いだろう。
書はその内容と字の書風、リズムが大切だ書の内容に依って内容にふさわしい字を書くことにより風情が出て来ると、先生はパソコンで詩を書かれた。
詩の風景を浮かべながら、詩を吟じそのリズムで書かれたが優しいリズミカルな書だった。穏やかな春霞の様な景色を激しい筆致で書けば、どんなに見事な書でも風景や風情を味合うのに違和感があるだろう。
書は人なりと言うが、書を見ると筆者が見えてくる。書は、内容、字の運筆、そして人
が要素であるといわれる。
20年余前、中国で書を3枚買って、篆刻を習って私の印も彫ってくれている知人と、水墨の先生に差し上げた見事な字で、喜んで水墨の先生は表装をして下さり、今も和室にかけている。 其の時王義之の本も買って帰った。しかし忙しさにじっくりと読むこともなく、講義の最中に「あの本どうしたのかしら」と思った。
その頃まだ排日感情はあったが、学者の世界はちがった。北京は建築ブームでどんどんビルが建っていた。農村に万元戸?と言っていたような気がするが、産をなして大きい家を建てている農家もあった。
文化大革命、毛沢東語録のロボットと言われた紅衛兵運動もおさまり、1976年毛沢東の死、1977年文化革命の終結、1977年文化革命は終結、4人組も1981年逮捕され、北京で1987年国際建築学会が開催された。躍進する中国の逞しい槌音が響き渡ってビル建設ブームだった。
土木科の博士課程に中国人の大学院生がいたが、とても優秀な人で、奥さんもあり赤ちゃんも生まれた。知識階級の出で、3歳から絵も書も習って見事な作品を書く。
夫人の家も資産家で、文化大革命は知識階級や裕福な家は矢面に立たされ、運命は急激に変わった。紅衛兵がピアノや家具を放り出し略奪の限りを尽くし、父は精神に異常をきたし廃人のようになったと話していた。吹きすさぶ文化大革命の中で希望を捨てずに生きてきた爽やかな青年だった。1987年書の国の奥深さをみた。芸術家が弾圧されても終われば萌え出る。
富農が紅衛兵の的になりつぶされても10年後には万元戸が出て来る。
次に10年程後、上海に行ったとき、通訳が日本語も上手く、とても良い人だった。「紅衛兵だったが今から考えるととても悪いことをしたと思います、今は罪滅ぼしのつもりで働いています」クラスで成績の良い者はみんな紅衛兵になったと言うことだった。
中国の学書方式では学ぶには古典を、「個性的書風」を重んじ独立創作をめざすが、日本では複合ピラミッド型に組織された書道界で師の書を範とする「流派的書風」が重んじられていて、同一書風、没個性制作傾向に疑問を感じると先生は言われるが、書展を見るとその傾向を感じる。
5・6世紀ごろ伝わった漢字を読むには中国語の素養が無ければならない。そこで個々の漢字の表す意味を日本語に関連させ、日本語の単語とし、漢字の音から音標文字のひらがな、カタカナを創り、仮名で和歌をかいたり。 漢字に仮名を助詞、助動詞として使い文章を書く。外来の漢字から日本独特の表記法を作り出した。
日本の書道は途中乗りしたが、日本独特の展開もあったと思う。


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