19日(土)イラク派兵違憲訴訟の原告代表池住義憲(立教大学特任教授)氏の講演を正木市議から誘われ、友人2人誘っておいた、ガレージに出ると、水道管が破れたのかザーザーと水が流れている。時間に遅れそうなので家人に言ってそのまま出かけた。
講演はとても解りやすく良かったし、名古屋高裁の違憲判決文も読み、素晴らしい判決だった。
平和憲法施行以来60年を越え初めて平和憲法が効力を発揮した裁判で、水道を放って来た甲斐があった。
この講演の事は後に書くことにして、水漏れが気になり、そのまま家に帰った。
水道企業団に電話しても5連休の最初の日で休み、ガイダンスで緊急番号を言ったが掛けると不在、4人の知人に電話を掛けたが皆不在、夜になってそれぞれ来てくれたが水道管が腐食して根本を締めなくてはならないが、いっぱいに止めても出るので其の止水栓じしんが漏れているのかも知れないと言う、建物が鉄筋コンクリートなので建てられた時の水道屋さんにしてもらう方が無難だと言う。翌日吉忠工業に電話しても不在なのでFAXをだした。
午後電話があり、休暇中なので取りあえず下請けの人に行ってもらうが連休が終わらないと材料屋も開いていないので応急処置になるがとのこと、夕方見に来た。
元栓は業者も1本しか持っていないので貸す訳に行かないが、次の止水栓は私達でも開け閉めできるがびくとも動かない。
其の止水栓の土を除き、止水栓は壊れていないから、「此処で開け閉めをして、使っておいて下さい連休が終わったら器具を揃えて、腐食して穴の空いている場所を取り替えて見ましょう」
其の後は大変、止水栓を開けると同時に洗濯掃除、食事の用意、飲み水の浄化貯水、洗顔、風呂水を張り(トイレの水洗にも)、全く3倍の労力が必要だ。
最初の中ソーラーの水は出ているようで、ソーラーの水管は別になっていてお湯が出て来るのかしらと思っていたが、溜まっていたお湯が無くなると出なくなった。
24日部品を持ってきて取り替えてくれた。洗面所で腐食していれば壊して入れ替えをしなければならないが、取りあえず此で様子を見ていて下さいと言った。
翌日、ソーラーの給水ポンプが可動していないのに気がついた。
我が家では1982年に終の棲家を建てる時、1975年の第1時石油ショック(第4次中東戦争)、1979年第2次石油ショック(1978年のイラン革命)2回のオイルショックの経験から化石燃料に頼らないで太陽熱を使おうとソーラー給湯槽を取り付けた。
給水槽は2階のテラスに設置され生活空間からはみえないので見たことはないが、1年中給湯を続けている。翌日ポンプ専門の人が夜7時半頃来て取り外した。
2階だったら直圧で上がると言っていたが、ポンプを交換したら今のままで使えるのでそのままでも良いと思った。
兎に角土日が休みなので月曜日にきますと言う事で、丁度月曜日は水道が壊れてから10日目だ。
必要な時に水もお湯も出て、それが当然だと改めて考えた事もなくそれが日常性だと考えている自分に驚いた。
戦争や内戦では食べ物も水も衣類も住み家も無い人々が溢れる。私達にとっては非日常性がその人達にとっては日常性なのだ。

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