昨日、本棚でルソーの社会契約論を見つけた。 随分昔買った本ですっかり紙も黄色に変わり字もうすくなったようだ。
他の本を探しに来たのに忘れてしまって社会契約論に読みふけった。冒頭に「人間は自由なものとして生まれている。しかも、いたるところで鉄鎖につながれている。他の人々の主人であると自分を考えている者も、やはり其の人々以上に奴隷なのである」と書かれ展開して行く。
1762年アムステルダムで出版されたが、直ぐに発禁され焚書を命じられ其の後の10年間、ジャンジャック・ルソーはスイス、イギリス、フランスなど、逮捕を怖れ身を隠し放浪した。
しかし、その哲学、思想、政治学はフランス革命(1789年〜1799年)の思想的な基盤、誘因となった。 そして現在も政治が停滞しているとき読むと新鮮に感じる。
勿論1700年代は王政、奴隷制の時代だったから第3章政府の分類(民主政、貴族政、君主政)など違和感はあるが、第4章民主政について民主政と言う言葉の意味を厳密に解釈すれば、いまだかって本当の民主政は存在しなかったし、今後も存在することはなかろう。と書かれ背景の時代が見えるようだ。 しかし、現在でも本当の民主政は存在しないかも知れない。
人間は本来、自由、平等なものであり、自由、平等、平和無しには存続できない。
自由は平等でなければ成立しない。
貧富の差が膨大であってはならない。どんな市民も他の市民を買えるように金持ち、どんな市民も身を売らねばならないように貧乏であってはならない。と書いている。
現在の日本はどうだろう?ワーキングプア、派遣、解雇、路上生活、自殺、鬱病、転落と我々が選んだ政府のもとで健康で安全で人権は護られているのだえろうか?其の答えは「自助努力」と帰ってくるのでないか。
人は自由、孤独であるが、その社会、環境のなかで生きて行くに唯1人で生きるのは不可能であり、そこに社会契約が生じる。
生まれ出る赤ちゃんを親は育てる。親はその代わりに育てる喜びを得る。最初に生ずる社会契約である。
人々は @ 自由であるべき自分自身との契約。そして A 社会との契約 を持つ事になる。
自由、平等であるべき自分自身への契約と、社会との契約が相反する時
「如何なる場合にも人民は自分の法をそれが最良のものであっても変えうる立場にいつも立っている」と言っている。
自分自身に害を加えられる場合、それを妨げる権利は誰にもある。
法は擁護されなければならないがそれが生命、自由に関する場合変える事も出来、破ることもできる。
それぞれ自由である人民によって構成された国家は、人民の自由、生命、財産をまもる義務があり、人民は共同体である国家の法に従い、自らをゆだね、権利と義務を持つ。
アムステルダムで焚書の刑を受け、明治政府で禁じられた理由が分かる気がする。
ルソーの社会契約論は1762年に刊行された物であるのに今読んでもとても魅力的である。

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