「私は何時も人間を信じて性善説だったけど、秋葉原の無差別殺人はショッキングだった。性悪説になってしまいそう」
「自殺も硫化水素でしょう。周りの人を道連れに。
殺人の凶悪さは信じられない。一寸挫折したら絶望し社会に復讐する。誰でもいい無差別に出来るだけ派手に」
孤独な男がインターネットで予告しながら心の奥底では止めてくれと願いながら、でも誰からもコメントは入らない。ネットからも見放されたと決行したが、決行した後の幕引きは考えていなかったのは間際まで止めてくれると思っていたのかも知れない。
「私達の世代は食べる物も無くても一所懸命努力して生きてきたのです。甘えるんじゃないよ!と怒鳴ってやりたい。
オール オア ナッシィングなんてナンセンスだ」
「産業、経済のグローバル化では如何にコストを安く出来るかで企業が勝ち残ることになるので世界各地からしいれ、 正社員を少なく、派遣社員を使う事で人件費も下げる。
ある大手の会社で日本人の労働者の求人を止めて外国人を入れる方針にしたと出ていた事がある。
企業もなりふり構わず、企業倫理も捨てねばならないと言うのだろうか。
人間を器物扱いにする社会だから、殺人も器物を壊す様にしか考えないのだろうか、より効果的なダガーナイフ(両刃)を使っている。 それぞれの大切な人生を一瞬にして絶ち、殺傷された方とそのご家族の悲劇は取り返すことは出来ない。
「ピーンポーン」ドアホーンが鳴っている。「どちら様でしょうか」
「世界はこのまま行けば滅びると予言されています。温暖化で南極の氷は溶け、島は沈み、世界的な飢餓が迫っています。神に選ばれたものだけが残ります」
ものみの塔だとのこと「今お客様で手が離せませんから」と断った。
17日に宮崎勤死刑囚が死刑執行された。
18日の新聞に書かれた神戸芸術工科大学教授の大塚英志氏の記事によると、大塚氏は宮崎死刑囚と同世代の責任と問題として公判に寄り添い90年代の10年を過ごした。
メディアは「おたく」文化が原因と言ったが、不幸な出来事を自分たちの問題としてうけとめてゆく「社会」という責任主体のありかただと書いてあり、それが機能しない限り悲劇は絶えることはないだろう。
佐木隆三が「復讐するは我にあり」という小説をかいたが其れは昭和38年頃日本全土を震撼させた連続殺人事件のノンフィクション小説だった。
復讐するは我にありの主人公は詐欺を働き、お金を奪って殺人をした。 しかし秋葉原の場合はお金とは関係なく、無差別殺人だった。 劇場型と言おうか、鬱屈した恨み心の爆発した孤独な人間の歩行者天国での兇行はなんだろう。
「復讐するは我にありから」凶悪事件は多々起こりながら、それに対する検討、対策の進歩を感じない。
今の社会はあまりにも人々の疎通がまれだ。
地域で皆で話したり踊ったり、スナックをつまんでお茶をのんだりして明るい社会をつくる事も大切だ。