11月30日今日あたり香嵐渓の紅葉は盛りだろうと思い、璋子さんに「紅葉がりにゆかない?」と誘うと「今日は空いてるからご一緒するわ」と言うので12時出発とした。
11時半頃黒笹駅についたのでむかえに行って我が家に帰り、近所のYさんも一緒に3人で12時に出発した。
午後から晴れとの予報だったが青空は見えないけれど渋滞もなく快適な走行で1時間もかからず香嵐渓についた。
車を出ると紅葉の山が目の前に思わず目を見張る。「綺麗ね!」出店が続いていて見ながら歩いていると浮き浮きしてくる。
「お腹がすいたわね」「そうね、お蕎麦でも食べましょう」と入った。
Yさんは山菜そば、私は月見そば、手打ちのそばでとてもおいしい。璋子さんは五平餅を取り「山の空気を吸って食欲旺盛になったわ」と更にみたらしを食べていた。
対岸の紅葉を見ながら歩いて、橋を渡り足助屋敷のほうに歩いていると広場で猿回しの最中だった。






「小原庄助さんどうしていらっしゃるかしら」 「朝寝、朝酒、朝湯が大好きで?」
「それじゃなくて足助の小原さんよ。貴方のホームパーティで出会った人、20年余にもなるかしら」 「ああ、Tさんといらしゃった小沢庄一さんの事、あれきりなので知らないけれど、お元気だとなにかでの記事で読んだわ」
とても真面目な人で、少し仮眠をとって朝早くキチンと身支度をし挨拶をし車を運転して帰っていったが、爽やかな感じがした。
それは昭和58年か59年頃だったと思う。 私は時々ホームパーティを開いたと言うより集まりやすい家で、みんなが集まって話し合ったり、ゲームをしたり、最近の作品を披露したり私の周りには芸術家が多く自由な楽しい集まりだった。
Tさんも猫が洞の山荘で草木染めの染色教室を開いていた。
軽食やつまみ、飲み物を用意し自由な友好的、文化的なあつまりでメンバーはその都度新しい人が来たり新鮮だった。 その日は12.3人だったろうか。
小沢氏は高度成長の陰に足助は過疎化が進み、過疎地と指定された山村がどう生き延びるか、このまま行けば総ての過去の歴史や文化が埋もれてしまう。 高度成長の波にさらわれてゆく事なく、文化の保存と経済を両立させる方法を模索し続けた人で足助屋敷を計画し実現に持って行った。
三州足助屋敷が開館されて数年経っていたが私は知らなかった。
足助屋敷は小沢氏のカリスマ性によって日の目を見たのだとTさんがいっていたがその時の彼はとてもキチンとした謙虚でカリスマ性など感じなかった。
その時、馬籠や妻籠の町並み保存の話なども出たのを覚えている。
足助の自然を生かし、今は素晴らしい観光地として全国にしられている。

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