深夜の電話
「恵美帰らへんで。おばさん恵美をどうしたんや」
「七時頃地下鉄の駅へ送ったわ」
「そんな事言って、帰ってへんのやで、どうしてくれるの」
憤怒に湧き出た叫び。一瞬ドキン、ドキンと胸がなる。
「まあ、優子、おばさんに何言ってるの。友達の所に寄って帰ると電話があったんよ」
受話器を取った従妹は「すみません、京都に着いて友達の所へ寄って帰るからと電話があった事を優子に言ってなかったので、あんなこと言って御免なさい」
従妹はまた後でとアタフタと電話を切った。
電話の向こうの状況が、息づかいまでリアルに見えてくる。
この三、四年出会わない中に事態は更に進み、危惧した以上に悪化している不安を感じた。
従妹から頼まれて我が家で恵美と永田を出会わせる約束で十一時から待っていたのに、恵美は午後一時過ぎても来ない。永田は約束があるので三時半に失礼しなければなりませんと言うので、京都の従妹に電話をかけた。
「恵美ちゃんまだ来ないけど何かあったのかしら」
「すみません、今、黒笹に着いたそうです。本当に済みません」
永田に留守を頼んで駅に行くと、恵美が立っていた。疲れているのか、少しなげやりで無愛想だが、姿全体から品の良い、複雑で精神的なものを感じた。
二時間半も遅れて来た恵美は間が悪そうに永田に会釈をした。
永田はそとみには寛容な穏やかでやさしい笑顔を浮かべながら「京都から大変だったでしょう」とねぎらいながら自己紹介をした。
「おなかがすいたでしょう。お食事でもご一緒しましょう。お昼お部屋を予約していたのをキャンセルしたけど、空いているかも知れないから行ってみましょう」行くと丁度お部屋はあいていた。
永田は四時に学生と会う約束があると言っていた。
食事が終わり、コーヒーを飲みながら「携帯の番号を書いていただけますか。今日はご無礼して、後日お電話したいと思います」
赤池駅へ送る車の中で「恵美ちゃん良い人があるのじゃないの」
「私は好きではないけれど、一ヶ月ほど前から結婚してほしいと言ってる人があります。でも結婚なんて考えられない、優しいだけで、だらしがないし尊敬も出来ない」
数日後の夜、電話がなった。
「恵美です。携帯にメールが入ってて、都合の良い日をしらせてくれと言って来たの、どうしたら良いのですか」
「貴方の気持ちはどうなの。迷っているなら出会ってみたら。其れからでもいいのじゃない」
一週間くらいたって夜八時ごろ
「恵美です。昨日出会いました」
「どうだったの、永田さん京都へ来られたの」
「そう言われたのですが、私が名古屋へ行きました。でもピンとこなくて、もうお会いするの止めたほうが良いのでないかと思うのです。
美術館で絵を見たり、レストランで食事をしたり五時間くらい一緒でしたが、あの方にとっても時間の無駄じゃないでしょうか」
なにか投げやりな乾いた感じだった。
「茨城の大学に変わられるようです」
翌日永田に様子を尋ねると「何時も遠くを見ていられるようで、一緒に歩いていても二人の間に透明な壁があってすぐ横にいるのに全く違う空間にいるようです。つまらなそうに見えて、私自身も若い女性とデートしているのにうきうきと燃えるようにはならないのです。
厭なタイプと言うわけではなく、むしろ好きなタイプなのですが。職場を変えれば彼女を誰も知り合いの無い所へ連れて行くのは気の毒な気がしますし」
私は所詮無理だと思った。とても良いカップルのように見えていて、行動を起こすエネルギーが無い。
永田にもう少しエネルギーがあれば迷っている彼女を引っ張って行けるだろう。
押して進むほど彼女に魅力を感じないのだろうか。
恵美は誰かが自分の運命を決めてくれるのを待っていた。
方向が決まれば彼女はきっと全てを真面目に邁進してゆくだろう。しかし起動するエネルギーが無いことは二人に共通していた。
彼女の心の中には姉優子の存在が重く圧し掛かっているのだろう。しかも彼女のプライドはその事はけっして自分の結婚と関係はないと考えようとする。
この矛盾が無意識に働いて、縁談が成立しないと漠然と決めているために、理解出来ない行動にでるのでないかと思う。
恵美の母である律子は府庁に勤めていて白川と出会い結婚した。その頃働く女性の為にけっして良い社会状態ではなかった。
ばあやさんに子供をたのんで仕事を続けた。白川は非常に豪快な面と潔癖な性格があった。業者からの届け物など総て送り返す。この事から来る業者との軋轢は最初はあったが行政に対する彼の姿勢は真摯で信頼を受け、技官、技師等の総監督である技監になった。
白川は非常に忙しく子供と接する時間は無く、律子もフルタイムで働いているのでどうしても子供たちにしわよせが来た。
優子は頭の良い子だったが病気がちな弟と幼い妹が長女である自分の心の重みになっていたのだろう。種々の出来事の後不登校になり、高校は何とか卒業したが高校の頃からカウンセラーに掛かるようになった。
「貴方のご両親にほって置かれて甘えることも出来なかったのだから、此れから恨みつらみも吐き出して、言いたいことは言って思うとおり自由に何でもやりたいことをやりなさい」と優子にカウンセラーは言った。
律子には「赤ちゃんに返ったと思ってどんな事も受け入れて、聞いてあげて下さい。どんな罵詈雑言も受け入れてあげて下さい」と言った。
その頃母源病という言葉がよく言われた。両親の温かいスキンシップと健全な環境で成長する事は理想ではあるが、共稼ぎの場合は非常に難しく、そうでなくとも夫の育児参加は難しい。
律子は自分の生き方、考えと正反対のカウンセラーの言葉を受け入れて、数年後には早期退職して家事に専念したが優子は良くはならなかった。
体罰、ネグレクト等を極端に忌避する思想が教育界を支配していた。
人間は苦難や挫折との出会いによっても成長すると考えている私にはカウンセラーの説は優子を一時的に救っても解決にはならないと律子に言ったことがある。

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