子供の頃、回旋橋の近くで釣りをしている人、見ている人、フグがフグ提灯のようにふくれてプカプカ浮いていた光景が浮かんでくる。
回旋橋を渡り、大天橋を渡り天橋立を歩いて対岸の傘松に登って、股のぞきをしたのを思い出す。 その頃、内海(うちうみ)と外海(そとうみ)では随分海の色がちがっていたが、今は内海もホテルから見る限り美しい。
ホテルに着いた時自転車(無料)をお使い下さいと言われたが、丹後半島周回で疲れた上、遅く着いたのでやめたが時間があれば現在の橋立を行けばどんなにか楽しかっただろう。与謝野寛、晶子の歌碑、句碑、橋立明神、芭蕉の句碑なども有り、何百年も経った松林が現在も尚、白砂青松を保っているのだろうかと思うが散策は止めて、温泉に入り、食事をしてチェックアウトする事にした。
宮津は嘗て北前船が出入りし、交易の中心だって、花街も賑わっていた。
宮津音頭
二度と行くまい丹後の宮津 縞の財布がダンゼン空になる
丹後の宮津でピンと出した
逢えて嬉しや別れのつらさ 逢えて別れが無けりゃよい
丹後の宮津でピンと出した
(ピンと出したと言うのは博打のことを言っているのだとも言われている)
宮津は小野小町の終焉の地と言う伝説が有る。
小野小町は小野篁の孫娘で絶世の美女、その上平安時代の六歌仙の一人で深草少将が百日通ったと言われる才色兼備の女性だが、旅の途中宮津で身体をこわし、上田勘兵衛が自分の屋敷で看病したが逝去したと言う。
小野小町の生誕と終焉の地は各地に有り、真偽の程は判らない。 京都山科の小野で晩年を過ごしたとも言う。
絶世の美女は何度生まれ、何度死ぬのか。 千の風に乗って東奔西走して姿を表す。
花の色は移りにけりないたづらに 我が身世にふるながめせし間に
小野小町から小町針、町針と名が付いたとも言われる。
10時チェックアウト、11時ホテルを出た。

0