六月一日夜、懐かしい人からの電話。
「今日博物館で水墨画院展を見て下さいましたか」
「あら、何故知ってらしゃるの。貴方も行っておられました?」
「娘が出品していまして、貴方の署名があったと申しました」
「作品も多く、なかなか良い展覧会でしたわ。賞を取ってる人はレベルも高く良いなと思いました。私もほんの少しやった事がありまして興味があったものですから」日本染色展を見にきたが隣の会場が日本水墨画院展だった。
「娘が大賞を取ったのですが、あれではまだまだ甘いとさんざんけなしているの。鵜飼元夫先生に習った者はデザインについて厳しく言われ、構図、構成と
下絵の作成に散々時間を使いましたわね」
「白場もとても大切で、全体としてのバランス、色のかもし出すバランス、元夫先生はご自分に厳しい方でしたから」
しかし、染色と水墨は彼女の主張の点では、一緒に考える事自体無理だと思う。
染色は構図、そして配色、および色の重ね、どれを取っても理性的な作業で推考されなければ良い作品は出来ないだろう。
勿論修練された技術は不可欠だが。
水墨は筆の一瞬の動き、墨の濃淡、非常に精神的な世界でないだろうか。
わたし達が若い頃、友達のKさんが「私最近とても魅力的な二人の人に出会ったの。 一人は染めのような人でもう一人は水墨か書のような人なの」
其のうちにある時、彼女の言う染めの人と出会う機会が来た。
書籍大展示会がデパートで開かれ、古書から新刊まで様々な本が集まり、興味有る展示会だった。その人はその会場で本の説明などをしていた。
冷たく見える程冷静で言葉一つ一つにも無駄なく的確で理性的だった。
其れから数ヶ月後、墨の人と出会った。
ある事務所でkさんが声を掛けるとフッと振り返った。
風が動いた。フワーとした雰囲気で瞬間流れが出来た。
「私も九十になりました。二年ほど前から染めは小物だけにして、土ひねりをやっていますがとても楽しいですよ」
声も若く張りがある。
最近まで春日井市民展に出していた。特賞一回、奨励賞四回もらった。
彼女は戦争中、子供二人抱え夫が召集されたので、親戚で散髪をならい、三十才で散髪屋をはじめた。戦後、夫が帰還してから六十才まで散髪屋を続け、娘にバトンタッチした。その後も指名があれば時々剃刀をもった。

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