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投稿者:二健@管理人
山田真理江さま
貴重な情報をお書き込み頂きながら、
気付かずにいて誠に申し訳ございませんでした。
当ブログは更新が途絶え、過去ログとなってしまいました。
ご投稿は、ここでも構いませんが移転先は、
ブログ「鶴彬全集繙閲」 by 木村哲也↓です。
過去に『鶴彬全句集』は二回刊行されていますが、
木村哲也氏がさらに調査と研究を重ね、
刷新して三回目の全集を刊行させて頂く段となっております。
晴れて上梓の折はよろしくご高配下さいませ。

http://turu-akira.seesaa.net/
投稿者:木村哲也
 長きにわたり、コメントに放棄状態で失礼しました。
 貴重な情報に感謝です。
 邑書林から年内に、『鶴彬全川柳』を刊行します。よろしくどうぞ。
投稿者:山田 真理江
第7連隊は鶴彬の妹が嫁だ先の舅が勤務していました。つまり私の祖父にあたります。連隊内で顔を、合わせていたと思います。祖父は何も語らず、封印していました。
投稿者:山田
鶴彬の遠縁にあたるものです。私が小学生の時郷土卯辰山に県で記念碑を建てていただいたことを記憶しています。北国新聞に1ページ全面に掲載されたことを覚えています。そのとき獄死の死因は「腸チフスの予防接種の実験にされ病気になり死亡した」と聞きました。伯父の嫁が鶴彬の実妹です。今でも石川県河北郡宇ノ気町に住んでいます。
投稿者:木村哲也
 ↓を、補足します。
 『鶴彬研究』10号については、当ブログ、昨年5月8日21時17分のところで言及しています。実態は以下のとおり。
 「一」というペンネームで、一叩人と思われる人が、たいまつ社は許可なく増刷販売し、一叩人にはしかるべきお金を回さなかった、という抗議をしています。
 その文章の見出しに、「不正出版」という語が使われているのを、そのままここに紹介しました。
 誤植の多い全集への木村の判断などでは、みじんもありませんので、どうか誤解なく。
 現物を見ていただくのが一番です。
 どなたさまにも、コピーはお送りします。
 以上、念のため。
投稿者:木村哲也
 ご投稿ありがとうございます。
 記事としては確かに載っています。
 コピーをお送りしてよければ、メールで住所をお知らせください。
 遅れている小生の刊行物、今年は何とか出るでしょう^^;
投稿者:高鶴礼子
木村哲也様
ついさきほど、このプログを知りましたもので、すご〜く遅いタイミングのコメント&お問い合わせになってしまったことをお許しください。2003年に鶴彬勉強会なるものが新宿で開催されていたとは知りませんでした。ぜひ参加したかった、と残念でなりません。また、木村さんの、エネルギッシュなお調べには本当に頭の下がる思いがいたしました。ところで、『鶴彬研究』10号のところでご紹介くださった「たいまつ社不正出版」という記事ですが、これは、ほんとにあったことなのでしょうか?(とてもビックリしています。)現在、たいまつ社のことを書いておりまして、すでに入稿してしまった原稿もあるのですが、もしこれが本当だったとしたら、次号以下で触れる必要を感じます。くわしく知りたいのですが、教えていただけないでしょうか。当方、川柳を心から愛する者です。
投稿者:二健
◇驚き

ここでは久しぶりの書き込みですね。
盛岡まで足を伸ばされたとは驚きました。
なんとフットワークのよろしいこと。
恐れ入りました。
机上の空論ではない貴重なレポートです。

http://www.ne.jp/asahi/hai/ten/hl12poster.htm
投稿者:木村哲也
◇盛岡から

 盛岡の鶴彬の集いに来た。
 昨日、盛岡駅12時半に集合だった。
 佐藤岳俊さんに初めてお目にかかった。
 大阪のあかつき川柳会の方々にも再会した。
 お墓参りをしてから、句碑に集合ということだったらしいが、お墓と句碑の場所は全然違うとか知らされておらず、またタクシーの運転手も不案内で、小生が乗ったタクシーは墓に行けなかった。
 句碑の前での会は、小雨になり、先に献花をして、講演会場に入った。
 40人ほどの参加者だったが、大阪から(小生を入れて)12人、石川の鶴彬ご親族関係が10人弱、他の都道府県からも来ていて、地元が半分以下だった。
 行事開始約30年以来のことだったという。
 深井一郎さんの講演があった。憲法9条がらみを、歴史的に説明するものだった。
 作品が前面に出てこないのが不満だった。
 連作と言うべきを、連句と言っていたのも気になった。
 それが詩を目指していた、というので、大阪放浪詩抄などの詩もあったが、の前置きがないと、誤解されるのでは、と小生は発言しておいた。
 石川のマスコミまで同行していたが、全体的には、主宰者の段取りが悪いように思った。
 ただ、悪意が感じられるとかいう意味ではない。
 懇親会前に墓に寄った。
 懇親会も、ぎゅう詰めで暑かった。
 来年は石川にも行く。
 宙に浮いた著作も、格上の出版社が引き取る形で進行中である。
 おおぜいの関係者と面識ができたのをよしとしている。
 まずは報告まで。
投稿者:木村哲也
◇佐藤岳俊『縄文の土偶』

 青磁社、一九八四年。
 いくつかの章に、鶴彬が見える。

 「鶴彬の作品と今日の時代」
 以下の三句を扱っている。
 「凶作を救へぬ仏を売り残してゐる」
 自作と並べて、渡辺順三、栗林一石路の作を論じた句である。
 「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」
 義手、義足を見たことが、岳俊にとって川柳の出発だった、と。
 「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
 この句を岩手で碑にした、とある。
 
 「川柳の詩について」
 岳俊の自作がたくさん並んだ後で、鶴彬の評論「川柳の詩の贋造について」にもふれている。
 詩人の黒田三郎も出てくる。

 「反戦柳人・鶴彬の墓前にて」
 『川柳東』十八号に、岳俊自身が書いたことと、ほぼ重なる。

 「川柳史の確立による復権」
 十九歳で川柳に志して以来、今でも川柳の歴史性を追求したものがないという。
 その後、鶴彬に出会い、感動した、とある。
 川上三太郎が時事川柳を「消えゆく文芸」としたのに対抗して、末期の鶴彬の反戦川柳を掲げている。

 「鶴彬と井上剣花坊」
 鶴彬が井上剣花坊と出会ったことを、詩に書いていることを紹介し、川柳も引いて、意義あるものだったとしている。

 「鶴彬の軌跡」
 秋山清の『近代の漂泊』で、鶴彬と出会った、という。
 鶴彬の墓が盛岡にあると知って、出かけたことも書かれている。
 鶴彬の「古川柳から何を学ぶか」が紹介される。
 次いで、「井上剣花坊と石川啄木」「井上剣花坊についての覚え書」も出てくる。
 「大阪放浪詩抄」という詩も、小野十三郎の詩集『大阪』の先駆ではないか、と。
 その後は、川柳の大衆的、芸術的表現を鶴彬は論じた、とある。
 木村半文銭とのやり取りについてもふれられている。
 晩年の作の後、前後して、「釈放」後の三行書きの句が引かれている。
 渡辺尺蠖への手紙にふれながら、鶴彬の今日性についてふれて終わる。
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☆当ブログ天狗は、「木村哲也のリンク処」以下の数々のブログと、ブログ「俳ラ」の元となった出発点です。現在は記事の書き込みは停滞していますが、当「猫散歩」は類稀にない写真ドキュメンタリーです。主役の猫が老衰で天国に召される前の一年間の記録です。〜二健(jiken)@管理人

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