また、将棋のシーズンが始まった。 一昨日の日曜から、社団戦が開幕したのだ。 今年は1部ということで厳しい戦いが予想されていたが、戦う以前のこともあり、更なる苦戦も想定していたのだが…。 戦う以前のこと…、とは、メンバーの参加状況のことだ。 諸般の事情により、主力のF君が今期は参加しない。 更に、諸般の事情により、主力のLenazoさんは出場停止処分とした。 メンバーには説明し、了承をもらったのでここでは詳しくは触れないが、チームとしては痛すぎる状況での開幕となってしまった。 そうは言っても、相手は待ってくれる訳もなく、試合は粛々と進んだ。 そして、予想もつかないような結末が待ってい た。 今期、Wチームは4勝はしないと、自動的に陥落してしまう。 しかし、どうひいき目に見ても3勝がいいところで、力量は1部の最下位と言ったところか…。 おまけに戦力ダウンときているのだから、明るい展望など拓ける訳もない。 初戦は紅萌チームとだった。 紅萌は、京都大学将棋部のOBチームで、伝統のある強豪だ。 Wチームは過去何度もこのチームに負けておりほとんど勝ったことがない。 しかも、大将にはアマ名人が鎮座するのだから、今回も全く勝ち目がない…。 と、思っていた。 それが、フタを開けたら、この強豪チームに5-2で勝ってしまったのだ。 何故か紅萌の主力がいなかった幸運もあ ったのだが、M君がアマ名人に勝ってしまったり、Iさんが一年に一度と思われるような見事な指し回しをみせるなど、内容も圧倒したのだ。 メンバーの普段の努力が実ったのか、偶々かは私にも判らないが、それは見事な勝利であった。 結局、一日を通しての成績は、2-2の五分であった。 四戦目の相手にはどうしても勝たなくてはいけなかったが、そこにもキッチリ4ー3で勝ち、初日は望外の結果となった。 監督として初日を通じて思ったのは、今期の個々の将棋の内容がとても良いことだった。 例え負けても、各々の持ち味を存分に発揮しているので、見ていて気持ち良いのだ。 まあ、それでも1部の他のチームとは基本的なポテンシャルに差が あるので、なかなか結果に繋がらない人もいたのだが、相手が実戦不足であったり調子を落としていたりするとすかさず勝っていたところをみると、やはり長所を活かすのはとても重要だと思った次第だ。 こういう勝負をしてくれると、私としても組み合わせをする楽しみがあるというもの…。 これからも楽な戦いには決してならないが、精一杯足掻いてみようと密かに思うのであった。 メンバーの中で、特に目を惹いたのは、O君だった。 O君はまだ大学生で伸びしろもある選手だが、昨年に較べて明らかに力強くなった。 どちらかと言うとバランスのとれた棋風なのだが、ドンドン踏み込むようになったので、相手も勢いに押されて間違えるようなケースが散見さ れた。 こういうのはベテランには無い味だったりするので、見ていてとても新鮮だ。 勢いのある内に、技術的な部分がもう少し伸びればワンランク上がれそうなので、とても楽しみだ。 初参加のK君は1-3に終わったが、ポテンシャルの高さは1部の将棋だったように思う。 ただ、いかんせん実戦不足なようであまり読んでいない。 しかし、ポテンシャルの高い人はモチベーションさえ上がれば自然と読みが深くなるので、近いうちに自分の納得のいく将棋を指すようになるのだろう。 だから、全く心配はしていない。 今は負けて悔しがってもらえればそれでいい。 ベテラン勢の活躍も目を見張ったが、残念なのは局数を重ねると指し 手の質が落ちるところか。 こればかりは致し方ない。 一生懸命やっての結果なので、それも考慮しながら組み合わせを考えるしかないだろう。 打ち上げは、目一杯盛り上がった。 まあ、好成績だったので当たり前だが、更に、メンバーのS氏が婚約するという超朗報もあったのだ。 S氏に関しては合コンの報告をこのブログでもしたが、婚活が実を結んだのだった。 とても嬉しそうに語るS氏を、皆が祝福したことは言うまでもない。 これから、結婚に向けて具体的なことを詰めることになるようだが、まあ、それは問題なく進むだろう。 仕掛かりさえすれば、この人に死角はないから…。 盟友のCチームは、3-1と痛い星を落と したようだ。 競争相手に勝った後で緩んだのだろうが、2部では力量が抜けているので大丈夫であろう。 ただ、少し思ったのは、団体戦慣れしていないメンバーが増えてきたようなので、個人戦とは違う団体戦用の将棋の指し方を意識するように促した方が良いかもしれない。 力量があっても、微妙な違いを意識するかしないかで結果が大きく変わってくる。 まあ、他チームの私が言うのは余計なお世話ではあるのだが、定位置を1部にするのなら避けては通れない部分ではある。 何はともあれ、今期も社団戦は始まった。 出場者は、皆、持てる力を発揮してもらいたいと思う。 そして、最終日に美味しいお酒が飲みたいものだ。 … で、何故か打ち上げの後、私はTさんとカラオケボックスにいた。 最初は若い人もいたのだが…。 結局、朝陽を浴びるまでいて、ガラガラの電車に乗って帰った。 色々と成長したり、進展がみられたりする人もいるというのに、私は相変わらずだったりする。 まあ、私にとってはこれも社団戦の一部だったりするのだが…。 「浜松町界隈で、まだ昨日の社団戦を引きずってるのは、私達だけかもしれませんね…。」 と、そう言って、苦笑しながらT氏と別れた。 快い余韻は、週の半ばくらいまで続くのかもしれない。 |
昨日、新聞の朝刊に、 「女流将棋協会(LPSA)の棋士、対局を拒否…。」 という見出しで記事が出ていた。 何でも、石橋幸緒女流棋士兼同協会代表理事が、マイナビ女子オープンという大会の準決勝を対局しないと発表し、実際に対局を行わなかったらしい。 この件の発端になったのは、Wさんという女流棋士の処遇問題だ。 WさんはLPSAに属していて、同協会が認定した初めての女流棋士なのだが、マイナビ女子オープンをLPSAと共に主催している日本将棋連盟がWさんの女流棋士としての資格を認めなかったのだ。 つまり、Wさんの女流棋士としての資格について、マイナビ、LPSA、連盟の3者の協議が決裂したことが対局拒否に至った経緯だったりする。 LPSAは、元々日本将棋連盟に所属 していた女流棋士が設立した団体だ。 連盟の女流棋士会が分裂して出来たモノで、設立当初から両団体には確執があった。 今回もその確執が尾を引いている…、と言えるだろう。 LPSAが自団体が認定した女流棋士の資格に拘るのは、ある意味必然のことではあるのだ。 何故なら、新人を育てられないプロ団体は、時が経つにつれ衰退していくしかないからだ。 それだけに、この件はWさんだけのことではなく、LPSAが存続していけるかどうかのかなり重要な部分を含んでいるのだ。 一方、日本将棋連盟側にも主張がある。 連盟の女流棋士の定義は、連盟が定めた規定を満たした人のみを認める…、ということだ。 現在の規定は、研修会に属して所定の規定を満たすと女流棋士として仮入会とな り、仮入会中の成績如何で本当の女流棋士となる。 Wさんの場合は、規定を満たしていないから連盟主催の棋戦には参加させられない…、ということで、こちらにはこちらの言い分もある。 ちなみに、研修会は連盟が主催しているので、LPSAとしては他団体の育成機関ではなく自身の育成によって資格を得られる道を模索している。 まあ、平たく言えば、 「家元と分派が資格任命の権利を巡って争っている…。」 ということだ。 私は、基本的にLPSAに好意的な見方を持っている。 女流棋士会分裂の時の強引なやり方や、その後の一連の騒動について、連盟が非常に頑なな印象を受けるからだ。 それに、連盟はアマチュアの団体などにも待遇は冷たい。 つまり、連盟の唯我独尊的な態度を多 々見てきているからだ。 確かに、日本将棋連盟に所属する棋士は素晴らしく強い。 伝統もあるし同連盟を維持して将棋文化を守ってもきている。 しかし、だからと言って排他的な態度が許される訳もなく、他団体の権利を侵害して良いモノではないだろう。 ただ、この対局拒否の件に関しては、LPSA側の対応に多々疑問を感じていたりもする。 疑問は、三点…。 @何故、独自の女流棋士認定に拘るのか…?。 A女流棋士育成に関して、LPSAが採ってきた方法に育成される側への配慮があったのか…?。 B対局拒否と女流棋士認定の件は別問題ではないか…?。 …だ。 @は、LPSA側の意見も分からなくはないが、一将棋ファンとしては同一基準で技量を選定される方が合理的で説得力があ る気がしている。 将棋文化の継承という意味でも、独立団体が濫立しプロの基準がバラバラなのは誰の為にも良くはないと思うのだ。 団体の濫立…、というと、私などにはプロレスが思い起こされるが、プロレスもやはりプロの基準というのが長い間問題となっていたりする。 まあ、研修会に所属して女流プロになる現在の規定は、LPSA側にとって不利な面があるのは私も承知しているのだ。 研修会に入っている内に連盟側に懐柔されてしまうかもしれないし(研修会には年齢制限があるので、通うとすれば若年層が予想される為…)、研修会に入会するのに費用だって掛かる。 しかし、懐柔されるような点については、LPSA側から保護者を同伴すれば問題はない。 育成は大問題なのだから、その程 度の手間は掛けるべきだろう。 費用の件は確かに誰かが負担しなくてはならないが、研修会を使うことを前提にするならLPSA側が人的負担をすることなどで補える部分もあるのではないだろうか…?。 それに、研修会入会に備えて、LPSAに通う普段の月謝から積み立てる…、なんて方法もあるかもしれない(もちろん、積み立て分は月謝に上乗せするのだが…)。 団体の運営側は、団体のメンツや利益よりも団体に属している個人のことを優先に考えるべきだと私は思うのだ。 Aにも関連するが、今回の件だと、Wさんの将来や資格自体が危ぶまれてしまうのでは、団体の方針としてやはり問題があるのではないだろうか…?。 もちろん、団体としての理想は分からないではない。 しかし、犠牲者が出 てしまうのなら歩み寄りの部分を団体の運営者が見つけ出すのは当たり前のことだ。 決裂せず結果を求めること…、が、団体の責任だと私は思うのだが…。 Bについては、根本的に方法が間違っていると思う。 団体として次期のマイナビとの契約が出来ないから…、というのが対局拒否の根拠のようだが、だからと言って現契約を破棄する根拠にはならない。 それに、石橋代表は準決勝まで勝ち上がってきたのではないか…。 何故、優勝してタイトルを取る可能性を否定してしまったのか理解に苦しむ。 対局拒否でも負けは負けだ。 何等事態は好転しないだろうから、単に世間に訴えただけに過ぎなくなってしまうのではないだろうか…?。 今までだってこの問題は燻っていたはずだから、 このタイミングで対局拒否をしたのも理由が分からない。 団体を維持していくのは非常に大変だ。 特に、規模が小さい新しい団体は、随所に自己犠牲的な事を強いられることがあるし、大きい団体では考えられないような不利益も受ける。 しかし、大きい団体も先人達がその道を乗り越えて理想に近い状態を勝ち得てきたことは忘れてはならないと思う。 団体として独立するということは、違う権利形態を求めた訳で、元の団体で出来たことを全て求める方が無理があるだろう。 それでも、私はLPSAを応援したいと思っている。 是非、立派な牙城を築いて欲しい。 連盟がやらない部分にも、多々ビジネスチャンスはあるだろうから、発想の転換は必要だろうが…。 そして、歩み寄るところ は素直に歩み寄り、 「既得権益はどうぞ差し上げます、連盟さん…。」 と、笑って言ってもらいたいものだ。 |
私の人間関係の中で、飲み友達の比率はかなりの部分を占める。 酒の席独特の作法やルール、その状況に応じた対応など、友人とは言え、学生時代の友人や仕事関係の人とはチョッと違った緊張感が、私にはまた刺激だったりするのだ。 飲み友達と一口に言っても、年齢、性別、職業、経歴など、その人その人によって千差万別だ。 本当に人間なんてモノは、何が切っ掛けで知り合いになるか分からない。 まあ、元々、素性を知った上での付き合いではないので、余計な情報が入らない分だけ率直に人柄に触れられる…、とは言えるかも知れない。 私は、比較的年配者と飲むことが多い。 すると、自然と年配者の飲み友達が出来たりもするのだが、友達とはいえ当然人生の大先輩な訳で 、自分の中の相手をリスペクトする部分は必須であり大事なことだと思っている。 もちろん、砕けた話をするときもあるのだが、それでも最低限の謹みは必要だと思うのだ。 今日、夕方頃、スマホに飲み友達(40代、女性)からのメールが入った。 見ると、仲間内のKさん(60代、男性)が亡くなったという。 年頭、彼女との初めてのメールが訃報だった。 Kさんは、その界隈では有名な人であった。 何しろ毎日外で飲んでいるのだから、友人知人が増えるのも当たり前で、何処に飲みに行っても大抵彼の知り合いが一人や二人いるのが常だ。 私もそんな感じで何となく知り合ったのだが、彼のご家族とも飲んだりしているうちに親しくなった。 そう言えば、何度かはお宅に酔ったKさんを送 っていったりもしたのを覚えている。 故人にこんなことを言うのは失礼だが、Kさんは、非常に良い人…、という訳ではなかった。 結構、酒の上での揉め事も起こしていたし、不機嫌になって怒ることもあった。 しかし、不思議なことに、少し時間が経つと大抵は元の人間関係に戻るのだ。 人なつこい彼の性格がそうさせるのだろうが、傍から見ている私にはとても真似の出来ない業であった。 そして、その業が長く彼の酔っぱらい人生を支えてきたようだ。 そうそう、Kさんはカラオケが非常に上手かった。 採点してくれるような機種のカラオケだと、100点満点で95点以上を連発するほどだから、界隈では何処に行っても困ることはなかった。 若い頃にギターを弾いていたそうだから音感 も良いのだが、とにかく研究熱心で自分の得意曲の他に課題曲を何曲も持っていたりする。 それを毎日飲みながら磨くのだから、上手くなるのも当然のことか…。 私が少し古い曲を唄うと、すかさず 「私のレパートリーなのに、パクったでしょ…。」 と、チェックが入るのには閉口したが、それほど彼は何でも歌っていたのだった。 そう言えば、私がたまに唄う、山川豊の「アメリカ橋」は、彼から教わったモノだ。 Kさんが 「次男の結婚式に唄う…。」 と言って練習していた時に聞き覚え、試しに彼の前で唄ってみたら過分な褒め言葉も頂いたりした。 結局、家族の反対で結婚式では唄わなかったようだが、しっかり私のレパートリーには入れさせてもらっている。 訃報は来たが、 私にはまだ実感がない。 Kさんと最後に話したのは昨年の8月だ。 その時は携帯でやりとりしたのだが、 「たまには飲みたいよね〜ッ。」 と、いつもの調子で話していたのだから…。 その後、その界隈の私がたまたま出席したイベントにも顔をお出しになって無かったところをみると、闘病なさっていたのかもしれない。 しかし、私の中のKさんのイメージは、未だに赤ら顔でのびのびと唄っている姿なのだ。 お通夜は今度の土曜日だ。 私は出張で遠方に赴くので、戻ってこられるかは非常に微妙だ。 でも、何とか彼の安らかな顔を一目見て、送ってあげたい気がする。 そして、彼の大好きだった酒を飲みながら、彼が亡くなったことを自分自身に納得させるのだろう。 それが、彼と私 の関係に相応しい弔いだと思うから…。 |
本年もよろしくお願い致します。 昨年末にも更新したかったが、スマホの電池がギリギリで出来ず、相変わらずスマホには泣かされている。 …と、年頭から言い訳をする辺りが酷く情けない。 正月を迎え、取りあえず今年も年を越せてホッとしている自分と、昨年にやり残したことを心の何処かで引きずっている自分…。 どちらかというと後者の方がウエートは大きいが、それでも某か清々しい感じがしてるのは単なる思いこみか…?。 新年になって何が変わる訳でもないのは分かっているのに、心境が変わったことにして自己満足を求めるのは現実逃避の故なのかもしれない。 勘違いだとしても、せっかく清々しい気持ちになったのだから今年の目標などを持ちたい…、などと、 少し殊勝なことも考えたりする。 仕事、プライベート、趣味…。 どれも頭をかすめることはあるが、どうにも目標と呼ぶには相応しくないようなことしか思いつかない。 …と言うか、頭をかすめたことはほとんど、やらなければならないこと…、であって、目標ではなかったりする。 結局、目の前のことからは逃げられない…。 やはり勘違いの清々しさで得られるのはこの程度の結論なのだろうか。 大晦日から新年に掛けては、毎年年越しをさせて頂いている新宿の店に今年もお世話になった。 例年通り、着いたのは年越し寸前の23時過ぎ…。 行ったら、店には仲間ばかりが4人もいて驚いたが、すでにアルコールが身に染みている私はすんなりその輪に溶け込めた。 そういう素に戻れる時 間が、私には何よりの癒しだ。 以前はこういうことを現実逃避だと思っていたが、今は少し成長したようで、自分を追い込むことだけが全てではないということも分かってきた。 私のような人間にも時の経過はちゃんと成長を与えてくれる…。 久米仙の水割りを味わいながら、私はこっそり柄にもない感慨に浸っていた。 早朝まで飲んで、取りあえず解散した。 私が無理を言って、それからまたtogezo氏と二人で軽く飲んだが、もう7軒目だというのに私はまったく酔っていなかった。 まあ、私はこれから飲みが続くので、最後には酔うことになるのだろうが…。 togezoさんとは、10年ほど年越しをさせて頂いた。 最初は二人でしんみり…、って感じだったが、最近は様々な理由で年越しメンバ ーも増えている。 ただ、彼とこういうスタイルで年を越すのは最後になりそうだ。 togezoさんは1月中に故郷に帰ることが決まっているからだ。 故郷は遙か彼方の南の島であるから、新宿に集まれる訳もない。 別れは寂しく辛いモノであるが、それでも決断した彼の心中を察すると、 「頑張って下さいね…。」 という言葉しか私には出てこない。 他にもっと気の利いた言葉もあるだろうし、聞きたいことだって多々あるが…。 しかし、それでいいような気もするのだ。 今の時代は、取りあえず繋がるだけなら何とでもなる。 縁が切れる訳ではないのだから、必要以上のことをどうこうする意味もないだろう。 それに、私はこういう時に感情的な話をするような柄ではないし…。 「じゃあ…。」 そう言って新宿の雑踏でtogezoさんと別れたのは、もう空がしっかり明るくなっていた頃だ。 離れていく彼がちょっと立ち止まり、宙を見上げてスマホを構えるのが、人波の中見え隠れする。 何かを撮っていたようだが、私には何を撮っていたのかは分からなかった。 今、私は酔っている。 飲み続けているだから当たり前だが、元旦はいとも簡単に過ぎ去っていた。 同じように続くいつもの正月…。 しかし、 「次の年に同じだとは限らないよなあ…。」 そう、心の中で呟きながら、また酒をあおるのだった。 |