2018/4/19

4419:春のソナタ  

 「海辺のカフカ」の中で村上春樹は、シューベルトのピアノソナタ17番について登場人物の会話として次のように述べさせている。

 「フランツ・シューベルトのピアノ・ソナタを完璧に演奏することは、世界でいちばんむずかしい作業のひとつだからさ。とくにこのニ長調のソナタはそうだ。とびっきりの難物なんだ。・・・ 統一性ということを念頭に置いて聴いてみると、僕の知るかぎり、満足のいく演奏はひとつとしてない。これまで様々な名ピアニストがこの曲に挑んだけれど、そのどれもが目に見える欠陥を持っている。・・・」

 そのピアノソナタ第17番ニ長調D850は、フランツ・シューベルトが1825年に作曲したピアノソナタである。

 4楽章形式の全曲の演奏時間は約40分ほど。長大な作品で、次の18番・19番・20番・21番と連なる大作の一群に入る。

 第1楽章は壮麗な雰囲気で始まる。その後も勢いを削がれることはなく、疾駆していく馬車のように駆け巡る。

 その見せてくれる風景は丘陵地の野山といった感じである。吹く風は決して厳しいものではなく、かといって緩やかなものでもない。

 佐藤卓史の演奏は軽快である。「海辺のカフカ」でのシューベルトのピアノソナタに関する会話は、走行中のマツダ ロードスターの車内でのものであるが、マツダ ロードスターでの走行感覚を思わせるようなスピード感で第1楽章は走っていった。

 第2楽章は長い緩徐楽章。どこかの公園の池でボートにでも乗っている雰囲気である。この第2楽章は「凡長」と評されることもあるが、確かに聴きようによっては「退屈」と捉えられるかもしれない。

 ボートをゆっくりと進ませる櫂がきしむ音や水をはじく音が連綿と続くかのように音楽が進み、体が水の上に浮かんでいる心地よさを体感する楽章である。

 第3楽章は軽快なリズムとメロディーが弾ける。これは社交ダンスのペアが広いダンスフロアを滑るように軽やかに踊る姿が目に浮かぶような音楽である。

 呼吸を合わせ、決して腰高にならずにフロアを滑っていく。数十年もの絶え間ない鍛錬によってもたらされる柔軟で粘り気のある身のこなし。そんな雰囲気を称えて、第3楽章は速くなり、遅くなり、強くなり、弱くなって収束する。

 この長いピアノソナタの最終楽章は拍子抜けするくらい軽いタッチとメロディーで始まる。その様子は4月になって真新しいランドセルを背負い、黄色い帽子をかぶって集団で登校する新一年生の姿のようである。

 「かわいい・・・」思わず心の中でつぶやきが漏れ出る。新一年生はやがて成長していき、2年生、3年生となり、いろいろなことを学んでいく。

 後半に入ると高学年になり、より難しい学科にも取り組み、体も変化していく。そしてついには卒業を迎える。

 なんだか、この第4楽章は小学生の入学から卒業までの6年間を思わせるような楽章であった。これがこの長大なピアノソナタの最終楽章としてふさわしいかどうかはわからないが、心を楽しませてくれるものであった。

 4つの楽章はその見せてくれる風景がまったく違っていた。確かにこのピアノソナタを全体として眺めると、その構成がちぐはぐしている感じがしないでもない。

 しかし、佐藤卓史の演奏は統一した音色をそのいずれの楽章でも提供してくれた。その音色の季節感は「春」である。

 そのせいであろうか、このニ長調のソナタは「春のソナタ」という印象を受けた。ちょうど今の時期にぴったりだと思えた。

 「春」はいろんな色が競うように表出される季節である。そのため、全体として統一感のない色合いとなる。そういった雰囲気を湛えたソナタであった。




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