2018/8/14

4536:正丸丼  

 山伏峠の頂上を越えて、その向こう側へ下りながら、2度、3度とカーブを曲がった。路面が濡れていると、カーブで細いタイヤがグリップを失う恐れがあるので、無理をしない範囲のスピードで下っていった。

 やがて正丸峠へと向かう道が見えてきた。その道へ向かってほぼ直角に右折する。その右折ポイントには砂利がたまっている。ここも落車の危険性があるので、ブレーキングでスピードをぐっと抑えて曲がった。

 その先はやや緩めの斜度で1.5Kmほどの峠道が続いている。その路面は荒れていて、ハンドルを握る手に大きめの振動が伝わってくる。

 前を行く2名のメンバーの背中は視界にあったので、その「引力」を利用して最後まで走り切れそうであった。

 2番手を行くメンバーの背中からは、「疲労光線」がおぼろげに発せられていた。「ゴール前までには追いつけそうだ・・・」そう思いながら、正丸峠の鬱蒼とした木々に囲まれた道を走り続けた。

 脚の筋肉が発するパワーは「引力」のおかげで少し上がっていた。250ワットぐらいでクランクを回し続けた。前を走るメンバーの背中が近づいてきた。

 そのすぐ背後につけて、ゴール手前でスパート勝負するか、ここで一気に抜き去って逃げ切るか・・・二者択一の状況であった。

 視界の先の背中を見つめた。「脚はそれほど残っていないようだ・・・」そう判断して、後者を選択した。

 パワーを一時的に300ワットぐらいまで上げて、前に出た。少し差が開いてから巡航速度に戻した。一時的とはいえペースを上げるとやはり苦しい。

 余裕のない呼吸を繰り返しながら正丸峠の上りの終盤に差し掛かった。残り300メートルほどのところで、先ほどかわしたメンバーが後ろからスパートした。

 「まだ、脚があったのか・・・」さっと右を駆け抜けていったその背中を見て思った。しかし、そのスパートはゴールまでは持たなかった。

 スローダウンしたので、すかさずペースを上げてそのすぐ後ろに付いた。「もう脚、ありません・・・」と、「脚切れ宣言」がそのメンバーから出たので、ゴール手前100メートルほどから私がスパートして、頂上に達した。

 久しぶりの「坂バトル」であった。今までの「酷暑ライド」では、暑さにめっぽう弱い私はバトルにまったく参戦できなかった。今日はこの気温であったのでようやく参戦できた。

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 全員が上り終えてから恒例の記念撮影をした。そして、「奥村茶屋」で少し早めの昼食を摂った。もちろん名物の「正丸丼」である。

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 甘辛い味噌ダレに漬け込まれた豚肉が実にご飯に合う。空腹のため大きな口を開けている雛鳥のようになっている胃袋にその丼を一気呵成に納めていった。

 その正丸丼パワーのおかげで、帰路に控えていた「小沢峠」と「笹仁田峠」でのミニバトルでもたれることなく、バトルに参戦できた。

 今日は、酷暑の隙間をついた涼しい気候のおかげでしっかりと追い込んだ走りをすることができた。

 「15日の水曜日に予定している『超々ロングライド』も、今日のような涼しさであれば嬉しいが、酷暑のなか270kmもの道のりを走ることになる可能性も十分にあるな・・・」そんなことを思いながら、帰路をスムーズに走っていった。

2018/8/13

4535:山伏峠  

 コンビニ休憩を終えて、リスタートした。リスタートした直後は、脚が少し重く感じられる。しばし脚を回し続けていくと血液の循環スピードが上がっていき、脚は軽くなり始める。

 山伏峠の上り口へは山王峠を越えるルートを選択した。「行きは山王で、帰りは小沢でいきますか・・・」とメンバー間で話した。

 山王峠を越えて、名栗川に沿って走る県道に出た。名栗川の川辺では夏休みを利用してバーベキューをしている家族連れが多くいた。

 この県道はほとんど信号がないのでノンストップで走っていける。緩やかな上り基調の道が続いているので、ペースによっては脚に疲労が蓄積されていく。

 ようやく山伏峠の上り口である「名郷」に到着した。ここはバス停があり、そのバス停の近くに公衆トイレも設置されている。

 ここでしばし脚を休ませた。今日のメインの峠は「山伏峠・正丸峠」である。山伏峠の上りは4kmほど、上りきると反対側へ少し下り、下りの途中で右折して正丸峠の上りへ入る。正丸峠の上りは1.5kmほど、下りも入れて約6km程のコースとなる。

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 名郷から見える山伏峠の上り口は実に穏やかな景色である。道がゆったりと右に曲がりながら上っている。

 8名揃ってゆっくりとスタートした。序盤は会話しながらのんびりと走っていく。500メートルほどはなごやかな雰囲気で進み、長い期間擁壁工事をしていた区間を過ぎてから、サイコンのラップボタンを押して、ペースを上げていった。

 クランクに込めるパワーは230ワットほどで走っていった。心拍数も徐々に上がっていき、やがて170を超えてきた。

 今日は涼しいので、最後までペースが落ちることはなさそうであった。山伏峠の半分を過ぎたあたりで2名のメンバーがペースを上げて前に出ていった。私はペースを変えることなく、もう一人のメンバーと一緒に上り続けた。

 左に大きくカーブしながら斜度がぐんと厳しくなる難所もペースをそれほど落とすことなく越えることができた。後は斜度がそれほど厳しくない坂道が山伏峠の頂上まで続いている。

 一緒に走っていたメンバーが前を行き、その後ろにぴったりと付けさせてもらいながら山伏峠の終盤を走っていった。正丸峠の上りもあるので、山伏峠だけで脚を使い切らないように注意しながら走っていくと、山伏峠の頂上が近づいてきた。

 ここでダンシングに切り替えてペースを上げた。一緒に走っていたメンバーの前に出て、山伏峠の頂上をぐいぐいとクランクに体重をかけて走りながら越えた。

 そして反対側へ下っていった。下りに入ると前を行く2名のメンバーの背中が見えた。路面が濡れているところがあったので、下りではあまり無理をせずにその背中を視界に納めながら走った。

2018/8/12

4534:涼しさ  

 朝の7時にKuota Khanに跨って自宅を後にした時、霧雨がさっと降っていた。気温は20度を少し超える程度で、涼しかった。

 「今日はいやに涼しいな・・・このままだと熱中症の危険はほとんどないはず・・・」と心の中で思いながら、多摩湖サイクリングロードを走っていった。細かな雨はやがて止んだ。

 この夏は異様に暑く、ロングライドに参加しても、暑さにうだってしまい、追い込んだ走りができていなかった。今日は様相が違うライドになりそうであった。

 集合場所であるバイクルプラザに着いた。今日の参加者は8名であった。そのロードバイクの内訳は、ORBEAが2台、Ridleyが2台、Kuotaが2台に、LOOKとBHが1台ずつであった。

 「今日は涼しいですね・・・先週とは大違いです・・・」そんな会話がメンバーの間で取り交わされた。

 先週は家族旅行で、先々週は雨のためロングライドを走れていない。随分間が空いてしまったが、この気温なら最後までしっかりと走れそうな気がしていた。

 8台のロードバイクは、隊列を形成して、走り始めた。爽やかとも感じられる空気感である。この夏においては、極めて珍しいことである。

 それでも走り続けていくと、体内が発熱するので汗はかく。ボトルから水分を定期的に補充しながら走り続けていった。

 今日の目的地は定番コースの「正丸峠」である。多摩湖サイクリングロード、旧青梅街道、岩蔵街道と走っていった。

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 岩倉温泉郷を抜けて、しばらくすると休憩ポイントであるファミリーマート飯能上畑店に着いた。ここまでそれなりの距離を走ってきているが、体は随分と楽である。

 やはり暑くないということは、非常に大きな要素のようである。前回のロングライドの時には頻繁に首筋に水をかけたが、今日はその必要性を全く感じなかった。

 ここでトイレを済ませ、補給食を摂った。補給食には「和風ツナマヨおにぎり」を選択した。それを頬張りながら、今週の水曜日に走る予定の「超々ロングライド」のことについて話した。

 15日の水曜日にはチームの有志で、「富士スカイライン」を走る予定である。往復距離は270kmになり、通常のロングライドの3倍近い距離を走ることになる。

2018/8/11

4533:RCAケーブル  

 音が出た瞬間、「音か軽く飛び出してくるな・・・」と感じた。口径のそれほど大きくないフルレンジユニットにツイーターを追加したという、比較的シンプルな構成と、いたって単純なネットワーク、そしてエージングが完了状態にある軽量なコーン紙などの相乗効果であろうか・・・もったいぶった感じがまったくない。

 「軽く乾いた感じの音ですね・・・響きは明瞭で、すっと空間に消えていく・・・イギリスのスピーカーの方がもっと暗い感じの音色ですね・・・」

 私は、ベルリオーズの「幻想交響曲」第1楽章を聴き終えて、そう感想を述べた。WB60はヨーロッパ製のスピーカーという先入観からすると、随分とさっぱりとした音の質感であった。

 コンパクトなサイズのスピーカーであるので、量感たっぷりの低域を望むのは酷と言うものであるが、低音感はほどほどに感じさせてくれるので、このバランスに耳が慣れてしまば、違和感はなくなるであろう。

 普段TANNOY GRFという、WB60の容積の何倍も大きなスピーカーを聴いている私の耳には、やはり高域寄りのバランスに聴こえた。

 「じゃあ、ここでRCAケーブルを替えてみて、その音の変化を聴いてみましょう・・・今のは、ウェスタンの古い単線を使ったケーブルだったけど、テレフンケンが恐らく第2次世界大戦前に作ったと推定されるケーブルを使ったものに替えてみると・・・」

 そう言いながら、小暮さんはMC昇圧トランス Ortfon T20とプリアンプの間を接続していたRCAケーブルを手早く取り換えた。

 そして、再度ROKSAN XERXES Vのターンテーブルの上に乗っているクレンペラー指揮の「幻想交響曲」のレコードに、MC20の針先を降ろした。

 再度「幻想交響曲」の第1楽章がテレフンケンの2ウェイスピーカーから流れだした。ウェスタンの単線を使用したRCAケーブルを使っていた時に比べて、テレフンケンの古いケーブルを昇圧トランスとプリアンプ間に使った場合は、音の質感がやはり変わった。

 より温度感や密度感が高くなった。それ故か、演奏者に対するピントが正確に合ってきたような印象を受けた。

 「これ、良いですね・・・少なくともクラシックにジャンルを限定するなら、テレフンケンのケーブルの方が印象が良いです・・・」

 私はそう伝えると、小暮さんは「ウェスタンのものを長年愛用してきたけど、このテレフンケンのものは、音楽の持つエネルギー感を上手に引きだすようなところがあって、これに替えようかと思っているところなんだ。」と言った。

 「これ、私も欲しいですね・・・」と、思わず漏らすと、小暮さんは「もう1セットあるけど、要る・・・?」と応じた。「要ります・・・要ります・・・」と二つ返事で私は答えた。

 そういった経緯で、「オーディオショップ・グレン」を辞して、フォルクスワーゲン ポロを停めているコインパーキングに向かう私の手にはそのRCAケーブルが握られていた。  

2018/8/10

4532:WB60  

 「オーディオショップ・グレン」の、いつもはTANNOY製のスピーカーが置かれていることが多いスペースには、TELEFUNKEN製の小型2ウェイスピーカーがスタンドの上に設置されていた。

 小暮さんは「このスピーカーの型番はWB60。1965年に発売されたスピーカーで、ぱっと見は地味な感じだけど、仕事人的な存在かな・・・」と紹介した。

 大きさ的にはTANNOY 3LZを一回り小さくしたようなサイズである。奥行きが浅いプロポーションは、TANNOY 3LZに似ている。

 現代のスピーカーにはほとんど見かけることのない、この独特のプロポーションは、どこかしらノスタルジックな雰囲気を醸している。

 キャビネットは淡い茶色で、傷や染みがまったく見当たらない素晴らしいコンディションである。フロントネットは渋いグレー。こちらも傷みがない良好なコンディションを維持している。

 このスピーカーのオーナーが実に丁寧にこのスピーカーを扱っていたことが窺えるコンディションである。

 この小型の2ウェイスピーカーが作られたのは、ドイツが東西に分断されていて、アメリカとソビエトが冷戦状態にあった時代である。裏面に貼られたシールにはメーカー名と製品名が明記され、一番下には「Made in Western Germany」と記されていた。

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 「フルレンジユニットにツイーターを追加した構成で、ネットワークも実にシンプル。フルレンジユニットはISOPHONE製で、ツイーターは楕円形状のTELEFUNKEN製のもの・・・どちらもアルニコマグネットを使ったしっかりとしたもので、さすが西ドイツ製と感心する頑丈なもの・・・」小暮さんは簡単にこのスピーカーの構成を説明してくれた。

 薄い茶色のキャビネットと渋いグレーのフロントネットの組み合わせは、どことなくイギリス製のスピーカーを連想させる佇まいである。フロントネットにはメーカー名が刻印されたエンブレムなどはなく、実にシンプル。

 「では、何か聴いてみますか・・・」と、小暮さんは1枚のレコードを取り出した。そのレコードは、クレンペラー指揮のベルリオーズ「幻想交響曲」であった。

 ジャケットから取り出されたレコードは、ROKSAN XERXES Vのターンテーブルに置かれた。駆動するアンプは、プリアンプがLEAK Point One Stereoで、パワーアンプがLEAK Stereo60であった。

 WB60の背面からはスピーカーケーブルが直出しされていて、その細いケーブルがStereo60の出力端子に接続されていた。 

2018/8/9

4531:テレフンケン  

 テレフンケンというと、真空管をイメージするが、スピーカーも作っていたようである。オーディオショップ・グレンの小暮さんからメールで連絡が入ったのは先週のことであった。そのメールの中でテレフンケンの名前が何回か出た。

 「最近、うちでは滅多に扱わないテレフンケンの小型のスピーカーの入荷がありました。状態が良いもので、帯域はそれほど広くありませんが、空間表現はかなり良いです。それから同じ方から買い取ったのですが、テレフンケン製の古い時代のケーブルを使ったRCAケーブルも予想以上に良いものでした、ウェスタンの古い線材を使ったRCAケーブルよりも印象は良いですね。時間がある時に来てもらえれば、面白い体験ができますよ・・・」

 そのメールを見て「テレフンケのスピーカーにRCAケーブルか・・・ちょっとおもしろそうだな・・・」そんなことを思った。

 テレフンケンと言えば、ドイツのメーカーで、カチッとした精緻な音が出るというイメージがある。

 我が家のプリアンプのMarantz Model7に装着されている6本の真空管「12AX7」はいずれもテレフンケン製のものである。

 さらにパワーアンプであるMarantz Model2の出力管である「EL34」も、本来はテレフンケン製のものが使われていた。

 ただし、我が家のModel2は購入時に既に、ムラード製のEL34に変わっていた。今もそのままその出力管を使っている。いずれはテレフンケン製のEL34も使ってみようかと思っていた。

 なので、テレフンケンというメーカーは、多少親しみがあった。それから小暮さんからのメールの中でおまけ的に付け加えられていた、テレフンケン製のケーブルを使ったRCAケーブルというものも気になるところであった。

 我が家のオーディオシステムは使用機器に関しては今後大きな変更は恐らくないであろう安定期に突入した。

 それはそれでとても良いことなのであるが、オーディオ的な刺激は少ない。変更があるとなるとケーブル類などのアクセサリーぐらいであろう。

 今我が家ではRCAケーブルは2ペア使用している。DAコンバーターとプリアンプ間とプリアンプとパワーアンプ間の2箇所である。どちらも長さは1メートル。現在はMIT MI-330 SHOTGUNを使用している。

 「もしも、そのテレフンケン製のケーブルを使用したRCAケーブルが良い印象のものであれば、購入して試しに使てみてもいいかな・・・」そんなことを思いながら、フォルクスワーゲン ポロを走らせていた。  

2018/8/8

4530:フロントパネル  

 Integra A7のプリアンプ機能を使うために、RCAケーブルとスピーカーケーブルを繋ぎ変えた。こうしてみると、プリアンプをMarantz Model7からIntegra A7に取り換えたという状態である。

 これと似た状況は昨年経験したことがあった。Marantz Model7の電源ブロックコンデンサーの交換が必要となり、Model7が長期離脱した際に、知人から使っていないプリンプをお借りしたことがあった。

 その時お借りしたプリアンプは「PIONEER C21」であった。C21は薄型の躯体を持った瀟洒なデザインであった。

 Integra A7と同じく、C21は1976年に発売された。PIONEERのプリアンプのラインナップとしてはエントリークラスのものであった。その音の印象はすっきりとした美音系というものであった。

 PIONEER C21とMarantz Model2という組み合わせは、一般的にはあり得ないような変則的ペアであったが、それ以上にレアな組み合わせとなるのが、Integra A7とMarantz Model2のペアであろう。

 この超変則的なプリアンプとパワーアンプとの組み合わせによって、先ほどまでIntegra A7をプリメインアンプとして使用して聴いていたマーラーの交響曲第5番の第1楽章を通して聴いた。先ほどまでは持ち上げていた低域に関しては、トーンコントロールをニュートラルな位置に戻していた。
 
 交響曲第5番の第1楽章は12分ほどで終わった。A7をプリメインアンプとして使った場合に比べて、その質感は格段に良くなった。

 やはり1950年代の半ばに製造されたTANNOY GRFは、同じ時代の真空管アンプとの相性が良いようである。この組み合わせだと低域も不足感はなく、トーンコントロールを調整する必要は感じなかった。

 Maranzt Model7とModel2という純正組合せと比べると、その音の質感は多少無表情に感じられるが、「これはこれでありかも・・・」という許容範囲には十分に入ってくる。

 PIONEER C21を聴いた時にも感じたが、1970年代の日本製オーディオ機器は実にしっかりとした内容を持っている。

 その時代は、オーディオが花形部門であった。気合の入った仕事ぶりが感じられる。コストの制約があるなか、最大限の努力が払われたようである。

 続いてレコードも試してみた。昇圧トランスから直接出ているRCAケーブルを、Integra A7の裏面の「PHONO 1」に接続した。そしてセレクターレバーを、「AUX」から二つ左に戻して「PHONO 1」に合わせた。

 普段よく聴いているテレサ・シュティッヒ=ランダルの歌曲集のレコードを、Oracle Delphi6のターンテーブルに乗せた。

 彼女の声は、澄んだ透明感とともに、どこかしら陰のある表情をも見せる独特の高貴さを感じさせてくれる。

 シューベルトの歌曲が静かにそして同時に厳かに流れ始めた。Integra A7が発売された1976年は、まだCDがない時代である。主たるソースはレコードである。そのためフォノイコライザーもしっかりとした構成の回路が組まれている。

 CDの時と同様に、Marantzの純正組み合わせに比べると温度感は低めで、音楽の表情も若干乏しく感じられるが、十分に使えるものであった。

 「ヤフオクで処分する予定でいたが、これは私が買い取って、Marantz Model7が不在の時に使ってもいいかもしれない・・・」そのレコードの片面が終わる頃には、そんなことを考えていた。

 「今のところ、すぐにメンテナンスを受けなければならないということもなさそうだし・・・」そう思いながら、Integra A7の無骨なフロントパネルを見つめた。

 その銀色のフロントパネルは、この時代の日本製のプリメインアンプとしては、奇跡的と思われるほどに綺麗な状態で輝いていた。

2018/8/7

4529:プリアンプ  

 Oracle製のCDトランスポートの蓋を開けた。そして、CDを固定するスタビライザーを外して、CDを一枚セットした。選択したのは、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番。第1楽章を通して聴いてみようと思った。

 Integra A7は、幸い電源を入れてから、しばし待ってもノイズが出ることはなかった。大きくしっかりとしたボリュームノブを左右に回してみたが、ガリが出ることはなかった。さらにセレクターレバーやトーンコントロールレバーも回してみたが、ノイズは生じなかった。

 使用されていた間に何度かメンテナンスを受けてきたもののようである。コンデンサーなどの部品類はメンテナンスの際に取り換えられたようで、状態は比較的良いもののようであった。

 セレクターを「AUX」にセットして、CDトランスポートのリモコンを操作した。ピアノ協奏曲第3番の第1楽章が流れ始めた。

 Integra A7はどちらかというと無骨なデザインであるが、その見た目とは違い、穏やかな音がTANNOY GRFから流れ始めた。

 TANNOY GRFは1950年年代の半ばに製造されたものである。1976年発売のIntegra A7とは、年の差が20年ほどある。

 1950年代の真空管アンプとの相性が良いGRFとIntegra A7との相性は必ずしも良いわけでないが、その出てくる音は予想していたものよりは艶っぽく感じられた。

 第1楽章を聴き終えた。想定していた音よりも印象が良かったので、もう1枚CDを取り出した。マーラーの交響曲第5番である。

 その第1楽章を聴いた。冒頭から5分ほど聴き進み、ちょっと低域が不足気味に感じられたので、トーンコントロールで低域を持ち上げてみた。トーンコントロールは調整できる周波数帯も選択できるようになっている。しっかりとお金をかけた構成である。

 低域の量感が出てくるとバランスはよりどっしりとしたものになった。中高域よりも上に関しては、まだモヤモヤしていて抜けきった感はないが、長い間保管されていたものであるので、これは時間の経過とともに改善されていく可能性が高い。

 「これなら、今回のようにMarantzのアンプが修理などで不在になっている間の代打としては、十分に役に立つかもしれない・・・」と思った。

 さらに「このIntegra A7はプリアンプ機能があったであろうか・・・もしプリアンプ機能があれば、Integra A7をプリアンプとして使い、Marantz Model2をパワーアンプとして使うという、変則的な構成も考えられるな・・・」と思いついた。

 Integra A7の裏面を覗いてみると、「PRE OUT」「MAIN IN」を明記されたRCA端子が並んでいた。プリアンプとしてもパワーアンプとしても機能することができるようであった。

 「試してみるか・・・しかしまずありえないペアではあるが・・・プリメインアンプとして使う場合と比べてどうなのであろうか・・・」という純粋な好奇心は抑えようがないものであった。

2018/8/6

4528:A7  

 東京はやはり暑かった。昼間はうだるような感じであった。しかし、夜になり陽が落ちてからは、明らかに変わった。どこかで相当激しい雨が降っていることをうかがわせる涼やかな風が吹き始め、気温は一気に下がった。

 そして、多摩エリアにも夜の9時ごろに激しい雨が降り始めた。その雨は昼間に太陽で暖められた道や家の屋根を急速に冷やしてくれた。そのおかげで、今日の夜はクーラーなしでも全く問題のないほどに過ごしやすくなった。

 その過ごしやすさに気を良くしたわけではないが、久しぶりにわが家のリスニングルームに入って、その北欧製のイージーチェアに腰かけた。

 リスニングルーム内に三つあるGTラックの真ん中には珍客が鎮座していた。それは先日「寧々ちゃん」の家から引き揚げてきた、「ONKYO Integra A7」である。

 Integra A7は1976年の発売である。彼女の夫は1958年生まれであるので、発売された年にこのアンプを購入したと仮定したら、彼が18歳の時にこのアンプを手に入れたことになる。

 それを40代になるまで使っていたようで、かなりの思い入れがあったのであろう。海外製の高価なオーディオ機器に買い替えてしまっても、元箱にしまって保管していたようである。
 
 そのデザインはやや無骨。どちらかというと男性的で潔い感じである。ボリュームノブやセレクタレバーなどは、しっかりとした重厚感がある。

 ちょうどMarantz Model7がコンデンサー交換のため不在であるので、Integra A7はModel7が置かれていた場所に置かれた。

 ケーブル類を接続した。まだCDがない時代のアンプなので、DAコンバーターから出たRCAケーブルは「AUX」に接続した。

 TANNOY GRFに接続されているスピーカーケーブルは、Marantz Model2から取り外されて、Integra A7の裏面のスピーカー出力端子に取り付けられた。

 これで、とりあえずCDを聴くことはできる。TANNOY GRFを古い日本製のプリメインアンプで鳴らすのは実は初めてではない。

 昨年、妻の実家を売却する際に、義父が使っていたプリメインアンプを引き取ったことがあった。それはTRIO KA-7Xである。

 その時はノイズもなく、動作状況に問題はなかった。音の方はさすがに感心するものではなかったので、買取業者に売却した。売却額は2,000円であった。

 Integra A7は約40年前のアンプである。トランジスターやコンデンサー類も耐用年数を経過していると思われるので、良い音は望めないとは思うが、好奇心はあった。

 Integra A7はMarantz Model7よりもがっしりと筋肉質の躯体である。その物体としての存在感はModel7をはるかに凌駕している。

 フロントパネルの左下にある丸い電源アンプを押した。カチッとした質感のボタンである。するとそのすぐ上にあるパイロットランプが赤く灯った。

2018/8/5

4527:鎮魂  

 旅行の最終日になって、ようやくグアムの空にも太陽が顔を出すようになった。陽光が降り注ぐと海の色合いも明るいものとなった。

 そして、ホテルのプールに響く子供たちの歓声も明るく大きなものになったようである。ホテルでの朝食を済ませてから、ビーチをしばし散策した。

 今でこそ、グアム島は南の楽園という存在であり、日本や韓国から多くの観光客が訪れるが、第二次世界大戦の時には日米の激戦が繰り広げられた。

 その戦闘により18.000人の日本兵が死亡したとのことである。今眼前に広がる穏やかで美しい海の姿からは想像できないが、この海を数多くのアメリカの艦船や上陸用舟艇が埋め尽くしていた時があったのである。

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 グアム島の所々には、そういった時代の名残が埋もれていることがある。ホテルの前のビーチにも、日本軍のトーチカの残骸がひっそりと埋もれていた。銃眼となる細長い開口部は左右に二つあり、かなり頑丈なものであった。

 部屋に戻って荷造りを済ませ、正午前にチェックアウトした。空港まで送ってくれるツアーのバスを待つ間、ホテルのラウンジで冷たいものを飲んだ。

 ホテルのラウンジのソファに座りながら、巨大なガラス窓の向こう側に見える椰子の木々や海を眺めていた。

 そのラウンジは空いていた。一人の老人がじっと海を眺めていた。その他には母親と娘と思われる2人連れが軽食を食べていた。

 その老人は姿勢を正して身動き一つしないで海に視線を向けていた。ふっと妄想した。その老人は若かりし日にこの海岸での戦闘を経験し、奇跡的に生き残った。そして、平和な時代になって、時折その地を訪れる。そして、はるか昔に激戦が行われた海をこうして鎮魂の思いで眺める・・・その可能性はいたって低いが、そんなことを思わせる風景であった。

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 空港へ送ってくれるバスが着いた。荷物をバスに詰め込んで、座席に座った。数日の休暇は終わった。

 バスですぐに着くグアム国際空港に着いた。幾つかの手続きを経てから、空港のフードコートで昼食を食べながら、飛行機を待った。

 涼しかったグアムを離れて、暑い日本へ帰ることになる。成田空港に着いたならきっと「日本は暑いな・・・」という言葉が出るであろうと思われた。



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