2017/1/17

3963:ゴール  

 子ノ権現の上りは3kmとそれほど長くはない。しかし、その3kmは並の3kmではない。私は密かにチームでのロングライドで行く峠の中で、和田峠、顔振峠と並んで「激坂御三家」と呼んでいるほどに厳しい斜度の坂である。

 和田峠も顔振峠も斜度は厳しい。しかし、ゴール直前は斜度が緩む。子ノ権現はゴールに近づくほど斜度が厳しくなる。それが挑戦する者を最後まで苦しめる。

 毎年苦悶の表情でゴールする。それは変わらない。今年も間違いなくそうなるであろう。その3km先にあるゴールへ向かって走り始めた。

 序盤は穏やかなペースで走る。ペースは徐々に上がってくる。ペースが上がってくると隊列は長く伸びてくる。

 序盤を過ぎると、私の心拍数は170を超えて174ぐらいで落ちついた。これ以上の負荷をかけるのは厳しそうに感じたので、この心拍数で負荷を固定して、ほぼイーブンペースで上っていった。

 斜度は一旦厳しくなると緩まない。脚を休ませるエリアがないので、常に踏んばりながら少しづつ上っていった。

 体は重い。脚も重い。ペースは上がることなくほぼ一定であった。ペースアップすることはかなわなかったが、後半に入ってずるずるとペースダウンすることもなかった。

 子ノ権現の上りは残り1kmを切ってからさらに厳しくなってくる。疲労成分が脚に蔓延し始めた状態でより厳しい斜度を上るので、この終盤が一番辛い。

 ダンシングを混ぜながらこの終盤の激坂を上り続けた。ゴールの少し手前でリーダーの奥さんがカメラを構えながら声援してくれる。

 しかし、その声援には苦悶の表情でしか応えることは出来ない。ゴール手前ではさらにこれでもかという具合に斜度が上がり右にカーブする。その先にゴールがある。

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 リーダーの奥さんが撮ってくれたゴール直前の写真がこれである。すぐ前を行くメンバーの背中は見えていたが、踏ん張りが利かず追いつくことはできなかった。

 体調的には薄皮1枚分本調子とは言えない状態であった。そのためか満足いくペースでは走れなかった。

 上り終わるとしばらく咳が出て止まらなかった。Kuota Khanを立て掛けて、座り込んで咳が止むのを待った。ゴールである駐車場は陽光に溢れていた。車が2,3台停まっていた。

2017/1/16

3962:8%  

 四里餅を食した。もちもちの食感が良い。そして品の良い甘さの餡が良い。口の周りについた白い粉を手で拭ってから、ロードバイクに跨って先へ向かった。
 
 (実は家族のためにお土産に四里餅を4個買って帰った。走り終えてから家族にあげると、その評判は極めて良かった。)

 往路ではもう一度コンビニ休憩をする。国道299号沿いのサンクスに寄ってトイレ休憩をした。気温は依然低いままなので、自然とトイレが近くなる。

 50歳を超えるとトイレが近くなった。これは確かなことである。膀胱の柔軟性が加齢により失われていくのが原因のようである。まったく歳は取りたくないものである・・・

 サンクスを後にした。ここから子ノ権現の上り口までノンストップで走る予定であったが、途中パンクのトラブルが・・・

 パンク修理はいつもよりも素早く終えることができた。今日はサポートカーがついているので携帯用の小さなポンプではなく、フロアポンプで空気入れができるので、楽に修理完了である。

 パンク修理を終えて国道299号をさらに先へ向かって走った。看板に従って国道299号から脇道に入っていった。

 しばし川沿いの道を走った。この道は何年か前には霜で真っ白であったことがあった。今日は寒波の影響で気温は低かったが、道は白くなっていなかった。

 「これなら子ノ権現の上り道も大丈夫であろう・・・」ほっとした。その道を進むと見慣れた景色が見えてきた。

 子ノ権現の上り口には黄色い色の看板が立っている。「子ノ権現 3km」と書かれている。その3kmの濃度は濃い。そして、その濃度は後半に行くに従ってさらに濃くなる。 

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 昨年末にインフルエンザで体調を崩して調子はがくんと落ちた。そこから徐々に回復してきて、現在調子は概ね戻った。

 しかし、戻り切った訳ではなく、感覚的には92%程度の感じである。残り8%ほどはまだ足りない。この8%、平坦路を走ってる時にはほとんど気にならないが、体に強烈な負荷をかけるヒルクライムにおいては、決定的な作用をもたらす。

2017/1/15

3961:寒波  

 繰り返し脅されていた。「最強寒波・・・」「今シーズン最大の寒波・・・」「猛烈な寒さ・・・」といった言葉が一昨日くらいからテレビから頻繁に流れ出ていた。

 「寒そうだ・・・相当に・・・」ということは認識していた。寒さは辛いことには辛いが、それで走れなくなるということはない。それよりも路面が凍結していないかどうかの方が心配であった。路面が凍結していると、落車の危険性が高くなる。

 朝の7時にKuota Khanに跨って自宅を後にした。覚悟していたとはいえやはり寒かった。風が直接あたる顔や耳はすぐに痺れてくる。

 さらに指先は冬用の分厚いグローブをしていたが血流が悪くなり痛くなってくる。この指先の辛さは真冬ではいつものことである。

 天気はわりと良かった。太陽も出ていた。東京でも雪が降るかもしれないと天気予報は伝えていたが、その心配はなさそうであった。

 多摩湖サイクリングロードを東に向かって走った。太陽は正面にある。真冬の朝の太陽は角度が低い。

 太陽が放つ淡いオレンジ色の光は真っ直ぐに私の視野に入ってくる。時折「オレンジアウト」が起きる。太陽の光で前が見えずらくなるのである。

 太陽の陽光は注がれていたが、体は寒さで小刻みに震えていた。GARMINのサイコンが表示する気温は下がっていき、氷点下を示すマイナスが数字の前に表示されていた。

 今日は1月の第三日曜日。チームでは毎年恒例で1月の第三日曜日に「子ノ権現」に行く。子ノ権現は足腰守護の神仏として有名である。

 1年間無事にロードバイクで走れるようにお参りするのである。最近は「チャリダー」で紹介されたこともあり、ローディーも結構訪れるようである。

 この「初詣ラン」にはリーダーの奥さんが運転するサポートカーも並走する。子ノ権現の厳しい斜度の坂道を上り切ったら、リーダーの奥さんお手製の暖かい豚汁が振舞われる予定である。

 参加者は多く、10名以上であった。まずは多摩湖の堤防を目指した。堤防を渡った先にあるサンクスで1名のメンバーと合流する予定であった。

 少し走るとメンバーの顔は皆寒さで赤くなった。サンクスで無事メンバーと合流して、さらに先を目指して走り出した。

 「初詣ラン」では必ず飯能の銘菓「四里餅」で有名な「大里屋」に立ち寄る。「四里餅」は小判の形をした柔らかい餅である。表面には「四里」の焼き印が入っている。

 中の餡は「こし」と「つぶ」の2種類がある。私はいつも「つぶ」を選ぶ。走り出す前に事前にどちらかを選んでおいて、一足早くサポートカーで着いたリーダーの奥さんが人数分を買っておいてくれる。

 その前にセブンイレブンに立ち寄った。そこで昼食として子ノ権現の駐車場で豚汁と一緒に食する弁当を購入した。私は炒飯を選んだ。それをサポートカーに積ませてまらっているリュックのなかに入れた。

 このリュックの中には子ノ権現での昼食及び参拝の時のため着用するダウンジャケットとサイクルシューズから履き替えるスニーカーが入っていた。

2017/1/14

3960:206  

 音楽の源はORACLE Delphi6からMERIDIAN 206に切り替わった。チューバホーンさんが持ってきてくれた3枚のCDを用いて、前半のアナログと同じように3台のModel7を聴き比べた。

 12インチの円盤から12センチの円盤に変わったからと言って、3台のModel7が見せる個性ががらっと変わることはないが、その受ける印象は微妙に変わる。

 369台目に製造された貴重な最初期型のModel7で聴くと、アナログの時に見せたような絶妙な色香は影を潜めた。

 CDとの相性はアナログの時と比べてしまうと、良いとは言えないのかもしれない。Model7が設計された時代は、当然のことながらデジタルなど存在しない。

 「そんなものは考慮の対象外である・・・」とでも言いだけな凛とした表情でModel7は佇んでいた。最初期型のModel7は、やはりアナログでこそ輝く存在なのかもしれない。

 続いて2839台目に製造されたModel7でCDを聴いた。これは予想していた以上に良い印象を受けた。アナログとの相性もまずまずといった印象を受けたが、古い機械であってもCDが持つ豊富な情報量をしっかりと受け止めている感じであった。

 「CD・・・結構鳴りますね・・・」

 「良い感じで鳴っています。ポン置きでこれですから、追い込んだらかなり良くなると思いますよ・・・」

 「もったいないですよ・・・CDプレーヤがないのは・・・」

 「CDプレーヤー再導入しようかな・・・」

 「そうすべきです・・・」

 といった会話がリスニングルームで展開した。大げさなデジタル機器は決して導入したくはないが、コンパクトでかつ音楽を濃厚に感じさせてくれるCDプレーヤーならば再導入しようかと、真剣に思い始めていた。

 1133台目に製造され、ひょんなことから我が家に来たModel7ではどうであろうか・・・このModel7はフルレストアにより現代型Model7に生まれ変わっている。

 CDであっても、いやCDならばこそと言うべきか・・・やはりこのModel7は「Model7にしてModel7にあらず・・・」という印象を受ける。CDではさらに「羊の皮を被ったオオカミ」的な性格を感じさせる。

 軽々と「ヴィンテージ」という枠を超えてしまう。我が家のスピーカーは1950年代前半に製造された老朽機である。もう少し現代に近い時代に製造されたスピーカーを用いたならば、さらにモダンな表現力を見せてくれるのではと期待される。

 CDでも3台のModel7を聴き比べた。やはり3台の個性はしっかりと感じられた。では一体本当のModel7はどれか・・・?

 見事なアナログの色香を魅せつけてくれた最初期型か・・・アナログもCDもしっかりとこなしオールマイティさを体現していた初期型か・・・高性能な部品の採用により現代型プリアンプにすっかりと生まれ変わっいた最後期型か・・・

 オーディオに明確な解答がないのと同様、その問いにもこたえるべき明確な解答はない。聴く者それぞれが、どれが一番心に残るか・・・という問題でしかない。

2017/1/13

3959:製造番号  

 製造番号が12839番のModel7から聴いた。このMedel7は初期型に属する。一般的に10001〜11000番までが最初期型、11001〜15000番までが初期型、15001〜20000番が後期型、20001番以降が最後期型に分類される。

 この初期型Medel7のフルレストアを担当した方は、WEの熱心な信奉者であった。WE系の部品がフルレストアの際に用いられていて、オリジナル忠実型ではない。

 その音は・・・きっちりとしていてそつがない。Marantz Model7はステレオ黎明期に設計されたので、紛れもないヴィンテージであるが、それほど古さを感じさせない音である。

 と言っても現代の音ではない。やはり括りとしてはヴィンテージと言えるであろう。ヴィンテージあるいはModel7という枠のなかにありながらも、より新鮮で明るい音色方向に振ってあるという印象である。

 続いて聴いたのが、製造番号が21133番のModel7である。こちらは最後期型である。製造番号が20001番以降の最後期型は、残念ながら市場での評価は低い。使用されている部品がクオリティーが低いものに変わっているのがその原因のようである。

 この最後期型のModel7は音が出ないジャンク状態のものを横浜のMさんの古くからのお知り合いであるHさんにフルレストアしてもらった。

 Hさんはオリジナルの部品に拘泥せずより高性能な部品に交換してフルレストアされる。なので、かなり現代方向に振られたModel7である。

 そして、その音は・・・今日は3台のModel7を聴いたのであるが、そのなかでもこのModel7は突出した個性派であった。

 「もはやヴィンテージではない・・・」と言うのが、3人の結論であった。見かけは紛れもないModel7なのであるが、その音は現代型のプリアンプと言ってもいいのでは思えるほどに高性能であった。

 音の立ち上がりの速さ、帯域の広さ、情報量など、比較すべきは現代のプリアンプであり、ヴィンテージ・オーディオの枠を超えている。

 これであれば、パワーアンプにコンデンサー型のものを持ってきても余裕でこなせるのではと推測された。

 そして、最後に登場したのが製造番号が10369番のModel7である。「11000番以下の製造番号を持つ最初期型こそ真のModel7・・・」として市場での評価は高い。

 その音は・・・もしかしたら最初期型のフォノイコライザーは、その後のものとは根本的に異なる特別なものだったのではないかと思わせるほどにアナログとの相性は良かった。

 Model7が設計された当時、当然のことながらアナログしかない。フォノイコライザーに注がれる情熱は半端なものではなかったはずである。

 その音にはえも言われぬ艶がある。妖艶と言うと少し違うような気がする。気品ある妖艶さとでも言うべきか・・・香り立つ色気がその音からは感じられる。

 帯域も情報量もけっして優れているわけではない。様々な測定器で測定したならば、その数値はきっと誇れるものではないであろうが、聴感上の質感は一旦嵌ってしまうと抜けられない独自の魅力に溢れていた。

 アナログでの聴き比べは終わった。三つのModel7の個性はしっかりと感じられた。最初期型はこれぞヴィンテージといった艶やかな音色で魅了し、最後期型のModel7は最新のプリアンプかと思わせるような高性能ぶりを誇示した。そして初期型のModel7は中庸なポジションでその仕事をそつなくこなしていた。

 「なるほど・・・」とそれぞれ唸りながら進んだ試聴であった。そして続いて後半戦であるデジタル部門へ移行した。

2017/1/12

3958:ゲスト  

 我が家のリスニングルームにはYAMAHAのGTラックが3台、リスニングポイントから見て右側に横に並んでいる。

 一番右側のGTラックにはORACLE Delphi6とその電源部が、真ん中のGTラックにはMarantz Model7とshanshanさんからお借りしているKT66PPアンプの左チャンネル用が、そして左側のGTラックにはもう1台のMarantz Model7とKT66PPアンプの右チャンネル用が納まっている。

 YAMAHA GTラックには棚板が1枚付属しているが、それは使用していないので3台のGTラックで収納できるオーディオ機器は6台である。今現在すべて埋まっている状態である。

 今日はそのリスニングルームにゲストが2台訪れた。1台はshanshanさんが持ってきてくれたMarantz Model7である。

 shanshanさんのModel7は最初期型。その製造番号は10369番。369台目に製造されたMarantz Model7である。

 最初期型のModel7は貴重な存在である。市場では極めて高い価格で取引されている。最初期型はフロントパネルの色合いがシャンパンゴールドで、独特の雰囲気を有している。

 最初期型が市場で高い評価を受けているのは、最初期型にしかないえも言われない音色を有しているからである。

 もう1台のゲストはチューバホーンさんが持ってきてくれたMERIDIAN 206。お洒落なデザインのCDプレーヤーである。

 我が家には現在CDプレーヤーがない。3台のMarantz Model7を聴き比べるということはそうそうあることではない。

 せっかくの貴重な機会なので、アナログだけでなくCDでもその製造年代が違い、さらにフルレストアの仕方も違う3台のModel7がどのように音楽の表情を変えてくるのか、検証してみようということになったのである。

 まずは2台のゲストは脇に控えていてもらって、電源だけをONにして暖機運転してもらうことになった。

 まずは製造番号が12839番のModel7でアナログを聴くこととなった。このModel7は2839台目に製造されたModel7である。

 初期型には属するが、最初期型ではない。フロントパネルはシルバー。shanshanさんの最初期型のようにシャンパンゴールドではない。

 天板や側板の色合いも最初期型の緑がかったグレーではなく、茶色がかっている。見た目的にはやはり最初期型の色合いの方が魅力的に感じられる。

 まずは視聴環境の整備から・・・shanshanさんからお借りしているKT66PPアンプはNFBを2段階に切り替えるスイッチが付いている。NFBを小さくするとノイズが乗りやすい。試しにNFBを小さくするとノイズが増えた。しかし音色的には落ち着いた音になる。

 そこでプリアンプとパワーアンプを接続していたRCAケーブルがノンシールドタイプであったので、それをチューバホーンさんがCDプレーヤーと一緒に持ってきてくれたモガミ製のシールドタイプのRCAケーブルに変えた。

 するとノイズは軽減した。やはりシールドは大事であると再認識した。モガミ製のRCAケーブルは何種類かあるが、どれも安価で購入可能とのこと。ペアで数千円とのことであるので、私も早速発注して試してみようと思った。

 KT66PPのNFBを切り替え、プリとパワーを繋いでいたRCAケーブルをシールドタイプにした。これで試聴環境は整った。 

2017/1/11

3957:暴走トレイン  

 ごく稀であるが、トレインは暴走することがある。特に4両編成以下の短い編成である場合、暴走は起こりやすい。今日はトレインが暴走を起こす要件が揃っていた。

 奥多摩湖まで走って、その景色をしばしの間楽しんだ。恒例の記念撮影を終えて帰路に着いた。下りでは当然スピードが出る。

 スピードに乗って下りながらトンネルを一つ、二つ、三つと抜けていった。トンネル内は暗いのでフロントとリアのLEDライトを点灯して走った。

 下り終えて道は平坦に戻りつつあった。先頭はリーダーが引いていた。下りが終わったので少しスピードが緩むかと思たが、そうは問屋は卸さなかった。

 目一杯気味にクランクを回さないとついていけないほどのスピードでトレインが走り出したのである。

 「これは暴走するかも・・・」そう思いながら必死についていった。その後もトレインはかなり早いペースで帰路を進んだ。

 先頭を引く順番が回ってきた。「こういうのって嫌いじゃないんですよね・・・」と心の中で思った。

 体重が重い私の場合どちらかというと「平地番長」である。平坦路であれば一旦スピードに乗ってしまえば、そのスピードを維持するのは体重が軽いメンバーよりも容易である。

 先頭に出ると空気抵抗が増える。その空気抵抗に抗いながらクランクを回した。サイコンのスピードメーターは40km/hをいったりきたりしていた。

 ヒルクライムでもないのに心拍数はどんどんと上がっていき170を超えるようになった。「平坦路なのに170超えか・・・」心のなかでそう思いながらもペースを維持した。

 帰路はそんな感じでハイペースで走り続けた。走り終えてGARMINのサイコン確認すると、奥多摩湖までの往復距離は104kmであった。そして、消費カロリーは2,376キロカロリーであった。

 走行距離のわりには消費カロリーは比較的多めであった。「確かにあの暴走気味の走りであれば、カロリーも消費するよな・・・」そう思った。

 今日の天気予報は午後から雨であったが、幸い雨に降られることなく走り終えた。シャワーを浴びようとした時、チューバホーンさんからスマホに連絡が入った。

 今日はチューバホーンさんとshanshanさんが午後3時に我が家に来る予定になっていた。「今、新青梅街道を走ってまして、新小金井街道との交差点を過ぎたあたりです。予定よりも早く着きそうです・・・」との連絡であった。

 「急いでシャワーを浴びないと・・・」手早くシャワーを浴びた。今日、我が家には3台のMarantz7が集合する予定であった。

2017/1/10

3956:奥多摩湖  

 城山トンネルを抜けた。海沢大橋の交差点を左折した。道は緩やかな上り基調である。この先幾つものトンネルを抜けていく。

 4台のロードバイクは一体化して徐々にペースを上げていった。私は隊列の2番目にいた。先頭のメンバーが良いペースで引いてくれていた。

 トンネルを抜けていくに従ってペースは上がる。それにつれて心拍数も上がってきた。やがて心拍数は170に達した。

 呼吸音もそれにつれて激しいものになっていく。調子はほぼ戻ってきていたが、肺の機能だけはまだ戻らない。

 もともと肺の機能には何かしら根本的な欠陥があるようであったが、インフルエンザでさらに弱まったのか、心拍数が170前後でもその呼吸音はかなりな音量となっていた。

 今日は追い込んでみる予定である。残り距離が少なくなってきた段階でペースを上げて前に出た。心拍数は175まで上がった。

 「この心拍数を維持して最後まで走ってみよう・・・」そう思った。呼吸音はかなり悲惨な状況になってきた。

 上級者2名はペースを上げて前に出る。前2名後2名という感じで隊列は二つに別れた。心拍数175ほどでクランクを回していたがスピードには乗らない。

 終盤で一緒に走っていたメンバーがペースを上げて前に出た。その差はすっと開いていく。このペースでは追いつけない。

 最終盤で前を行くメンバーに追いつくためにペースを上げた。ダンシングでクランクを勢いよく回した。

 呼吸音はほとんど病的なほどに悲惨なものになっていた。前を行くメンバーの背中が徐々に近づいてきた。

 ゴール直前でようやく追いついた。そのままゴール。ゴール後は咳が出た。その咳はなかなか収まらなかった。

 肺と言うか、呼吸器官に関してはまだまだ本調子とはいかないようである。しかし、久しぶりに追い込むことができた。

 追い込むと本当にしんどいけれども、何故かしら気持ちはすっきりとする。ゴールである小河内ダムの駐車場からさらに少し行って奥多摩湖を眺めた。

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 曇り空ではあったが、奥多摩湖は穏やかで静かな景観を私たちに提供してくれていた。追い込んで喘いだ後、その風景はとても心に染み入る。

2017/1/9

3955:チェーントラブル  

 多摩湖サイクリングロードを抜けて、旧青梅街道を走った。今日は消防団の出初式があるようで、旧青梅街道沿いに幾つかある消防団の建物の前には、正装した消防団員とその家族が集っていた。

 旧青梅街道を西へ走っていくと、やがて岩蔵街道との交差点に達する。この交差点が最近変わった。その新しい交差点を右折した。

 天気は曇り。空は灰色の雲に覆われていた。そのため太陽は顔を出すことはなかった。陽光がないとなかなか暖かみを感じることはない。

 気温は上がらないけれどペースは上がり気味であった。4両編成という短いトレインであったので、その軽さを活かすかのようにいつもよりも速めのペースでトレインは走り続けた。

 圏央道の下をくぐって少し行った「今井馬場崎」の交差点を左折した。その通りにあるセブンイレブンでコンビニ休憩をした。

 トイレを済ませ、補給食を選択した。寒いので暖かいものにどうしても手が伸びる。お汁粉にピザまんというちょっとミスマッチ感がある組み合わせの補給食を胃袋に収めた。

 コンビニ休憩を終えてリスタートしてからそれほど経たない頃であった。リーダーのロードバイクにトラブルが発生した。

 「チェーン落ち」であった。ギアから外れたチェーンがクランクとフレームの隙間に入り込んでしまった。

 止まって慎重にそのチェーン落ちを直した。チェーン落ちは直ったが、この瞬間新たなトラブルの原因が生じていた。

 チェーンにフレームのカーボンの繊維が削れて隙間に入り込んでしまったようで、1箇所チェーンがスムースに動かなくなってしまった。

 走れるには走れるが、その箇所がプーリーに来るとガシャンを音を立てて振動が発生する。これではペダリングがしずらいはずである。

 しばらく走るとそのカーボン繊維が何かのはずみで取れるのではと走ったが、なかなかその症状は解消しなかった。

 JR青梅線に沿って走った。商店街を抜けてやや上り基調の道を進んだ。青梅マラソンのコースであるこの道には多くの人がジョギングをしていた。

 リーダーのロードバクからは定期的にチェーンが発する異音が聞こえていた。症状が解消されないので、御嶽駅そばのセブンイレブンに立ち寄って修理を行った。携帯用の工具を使うと直った。

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 すっきりしたところで再スタートした。ここから奥多摩湖までノンストップで走る。しばらく青梅線に沿った道を進み、「将門」の交差点を左折して少し下った。

 橋を渡った先に城山トンネルが見える。フロントライトを点けた。リアライトも点けようとしたが、真冬用の分厚いグローブではリアライトの小さなスイッチを上手く押せなかった。

 城山トンネルは新しいトンネルである。前半は軽い上りで後半は軽い下りである。トンネルの中では上りか下りかは視覚的には判然としないが、クランクの重さでそれと分かる。

2017/1/8

3954:遠近法  

 「明日は今シーズンで最も寒くなるかもしれません・・・」昨晩の天気予報はそう伝えていた。さらに「午後からは雨かみぞれが降るでしょう・・・」とも付け加えた。

 「明日はロードバイクで走るにはあまり良いコンディションとは言えないかもしれないな・・・」そう思って昨晩は就寝した。

 いつものように朝の6時に起き出し、試しに窓を開けてみた。しっかりと冷やされた空気が流れ込んできた。

 「予報どおり寒そうだ・・・」そう思いながらサイクルウェアに着替えた。6時半から8チャンネルで始まる「はやく起きた朝は・・・」を観ながら軽めの朝食を摂った。

 「はやく起きた朝は・・・」は、昔は「おそく起きた朝は・・・」というタイトルでもっと遅い時間帯に放送していた。

 「おそく起きた朝は・・・」から通算すると相当な年数になる長寿番組である。上の娘が赤ちゃんであった頃に見ていた記憶があるので20年以上続いているのではないであろうか。

 視聴者からのはがきによる不平、不満、愚痴をもとに、松居直美、磯野貴理子、森尾由美の三人がトークを繰り広げる。肩ひじ張らない自然な感じが心和む番組である。

 「はやく起きた朝は・・・」が終わると、Kuota Khanに跨って自宅を後にした。確かに寒かった。サイクルウェアは真冬仕様で完全武装していた。

 冷たい風が直接あたる顔や耳は痺れるような感じになってくる。「真冬にロードバイクで走るのは辛いですか・・・?」と問われれば「確かに辛い・・・特に走り始めが・・・」と答えるしかない。

 「じゃあ、走るのを止めれば・・・?」と追加の質問がきた場合には「意外とそうは考えないんですねよね・・・どういうわけか・・・」と答えるしかない。

 多摩湖サイクリングロードは真っ直ぐに連なっている。木々はすっかりと冬枯れしている。視線をまっすぐに前に向けると遠近法により先細っていく感じの真っ直ぐに続く風景が目に飛び込んでくる。その風景は心踊るものではなく、身も心も引き締めるような作用をもたらす。

 冷たい空気に筋肉を硬直させながら走っていくと集合場所であるバクルプラザに到着した。今日の参加者は4名。ORBEA、BH、RidleyそしてKuotaのロードバイクがそれぞれ1台づつ、バイクルプラザの前に並んだ。

 今日の目的地は「奥多摩湖」に決まった。往復距離は約100km。奥多摩湖までの上りは斜度は緩め。バトルになると高速バトルになる。

 空は灰色の雲が覆い尽くしていた。気温は低い。しかし、風はなかった。これで風があると体感気温がさらに下がる。4台のロードバイクは冷たい空気を切り裂くようにして、走り始めた。



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