2009/10/15  1:34

抵抗  つれづれ

近ごろ、自分がどんどん分裂気味になっているような気がしてならない。

若いころは、そういう自分をなんとかバランスの良いところへ置こうと思いじたばたしたが、歳のせいか此の頃はそういう自分を肯定しているようなところがある。

生きることが苦痛なのは、行動の意味・内容に関わるのではなく、存在そのものを引き受ける身体の抵抗のせいだ。

俳句をつくることは恥ずかしい。けれども、「だから恥ずかしくない俳句をつくろう」と言うわけではない。

そういう「恥ずかしさ」を、どうやって受け入れていくのか。

「身体の抵抗」も「恥ずかしさ」も、どちらも生きていくのに不可欠で、そういうものが失われても、生きることが楽になるわけじゃないんだろうね。

そんなに、ほがらかな人間じゃないです、俺。

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