2009/4/15  1:31

師は誰か 〜相対性俳句論(断片)  俳句

ちょっと前の記事

僕の師は、石寒太です。石寒太の師は、加藤楸邨です。楸邨の師は、水原秋桜子で、その師は高濱虚子です。

てなことを書いたら、sakiさんからこんなコメントが。

ちょっと疑問だったのですが、その理論でいくと、高浜虚子の師は誰に当たるのでしょうか(子規?もしそうだと子規の師は?うむむ)

うむむ。sakiさん鋭い!確かにそこがふと気になったので、虚子までしか書かなかったのでした。(ズルい!)

ところで、引用した内田樹さんの文章の

師になるには一つだけ条件があります。それは「師もその師について学んだ」という経験です。

について、いくつか補足しておいたほうがいいかも知れません。

それは「師」というものが「知っていると想定された主体」であるということです。この「知っていると想定された主体」というのはラカンの言葉なのですが、つまり、「師」であるためには、「弟子」を遥かに凌ぐ知識や経験を持っている必要は必ずしもない、ということです。というよりも、そのような「知識や経験」を持っている者として「弟子」から認識されることが「師」の条件となります。

ですから「弟子」が「師」から学ぶものは、定量的な「知識」「技術」「情報」というようなものではなく、「師」への志向性そのもの、つまり「学び方」を学ぶのです。

「師の求めたるところを求めよ」という言葉がありますが、それは「師の求めたるところ」というものが最終的な知のゴール地点としてあるのではなく「師の求めたるところを求め」るということ、そのものが、師から弟子へと引き継がれていくのです。

つまり「師は誰か」という問いについては、「知ると想定された主体は誰か」という問いに置き換えられるわけです。

そう考えると、虚子は明らかに子規の弟子であると言うことができるでしょう。

では、子規の「師」は誰なのでしょうか。子規に俳句の読み方を教えたのは誰か。

子規は幼少のころに外祖父の大原観山に漢書を学んでいましたが、では大原観山が師なのでしょうか。ま、もちろんこのとき学んだ漢書の知識は、子規にとって文学に関わる上での下地になっていることは確かでしょうけれど、既に申し上げたとおり、「師」から学ぶのは「知識」「技術」「情報」というものではないわけです。

子規の「師」は誰か。それは子規にとって「知っていると想定された主体」は誰だったか、という問いになるわけです。

さて、誰だったのでしょう。

これについては、僕なりの答えは持っているのですが、ま、あとは興味のある方が考えてみるとよいのではないでしょうか。

0
タグ: 俳句 作品 文学



2009/4/18  6:17

投稿者:たじま

橋本さん、ども。

いやー、勉強になります。

どうも調べてみると、子規は其戎を終生尊敬していたようですね。

それにしても不思議なのは、子規の言う「月並」という言葉ですね。
この場合、其戎もその「月並」の中に含まれているのでしょうか?含まれていないのでしょうか?子規の「月並」というのは、複雑なスコープを持っていそうですね。

いつも感じるのですが、子規ー虚子、虚子ー秋桜子、秋桜子ー楸邨、楸邨ー兜太、楸邨ー澄雄、兜太ー完市、秋桜子ー湘子・・・など、ある種の師弟のあいだには微妙な「ねじれ」が生じる場合が多いですね。

つまり、師弟間では俳句についての知見がストレートに引き継がれるのではなく「何か」が付加されているのかも知れませんね。不思議。

2009/4/15  23:10

投稿者:橋本

「知っていると想定された主体」は置いておくとして、史的には大原其戎(きじゅう 梅室門の旧派俳人)が唯一子規が師事した俳人だよ。漢籍は観山以外にも武知五友、河東静渓、浦屋雲林などなど。

コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”