2006/3/24 13:56
俳壇について(1) 俳句
天気さんの記事『「俳壇」の機能?』について。
ハイクマシーンの上田さんの記事へのトラックバックなのですが、これ、なるほどと思わせます。
4.「壇」とは、つまるところ「評価の装置」である。
なるほど。言われてみればそうだなぁ。勉強になります。
で、一応、天気さんの記事に僕の名前があったみたいなので、ちょっとコメント。
もちろん俳句という井戸の中でよく名前を知られた「作家」はたくさんいらっしゃる。田島さんなどは、「たくさんいすぎるから、外からよく見えない」と把握していらっしゃるようで、その考え方は、私には「作家の間引き論」のように映る。昭和の良き時代、ちょうど良い数の有名作家が居並んでいた、そのイメージなのだろう。「今はちょっと多すぎて、よくわからん。中途半端な作家は消えろよ」とも聞こえる。かなり過激で、すごく面白い。そして、いま「俳壇」というとき、田島さんの把握はしっくりこないこともない。俳壇とは、どうでもいいような作家が足の指まで使っても足りないくらいたくさんの数、「有名作家」の顔をしている場所のことのようなのだ。
ううむ。「作家の間引き論」というと過激ですね。そんな過激なことを言っているつもりはないのですが、いつも思いつきで発言しているので、それを総合すると、そういう印象になってしまうのかも。「ちょっと多すぎて、よくわからん」は、確かにそう。「多すぎてうんざり」という印象です。でも、「中途半端な作家は消えろよ」までは思ってないです。ほんと。
で、ついでに「俳壇」についての所感です。
集団っていうのはどうも有機的にとらえられる傾向があって、特に近年、その傾向が強いように感じます。俳壇にかぎらず、企業や国家、民族というものも含めて、集団に名前がつくと、その名前がひとり歩きしてしまうような・・・
日本人が「いまの日本人は、ほんと日本人らしくない日本人になってしまった」などと言うような、冗談のような論調が意外と聞こえてくるような気がするのは僕だけでしょうか。
俳壇という器の中に、俳人という人たちが盛られているようなニュアンスで語られることが多いですが、これは錯覚なんじゃないでしょうか。(天気さんの言う「想像上の社会空間」というのがこれなんでしょうか・・・)
俳壇とよばれる上田さんが言うところの「ギルド」の中に所属する俳人が1人もいなくなった場合、あたりまえのことながら俳壇という器は消えてしまうわけですね。
上田さんのブログで、アヤカさんとのやりとりから『新人賞は「俳壇」への就職試験かもしれない』と書いておられますが、ここでは、やっぱり「俳壇」という器が想定されているような気がします。きっと、ここで言うところの「俳壇」というのは「総合誌」やそれを含めた「俳句の本流」ぐらいのニュアンスなのかな、と感じたのですが、どうでしょうか。
長くなりそうなので、つづきます。
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ハイクマシーンの上田さんの記事へのトラックバックなのですが、これ、なるほどと思わせます。
4.「壇」とは、つまるところ「評価の装置」である。
なるほど。言われてみればそうだなぁ。勉強になります。
で、一応、天気さんの記事に僕の名前があったみたいなので、ちょっとコメント。
もちろん俳句という井戸の中でよく名前を知られた「作家」はたくさんいらっしゃる。田島さんなどは、「たくさんいすぎるから、外からよく見えない」と把握していらっしゃるようで、その考え方は、私には「作家の間引き論」のように映る。昭和の良き時代、ちょうど良い数の有名作家が居並んでいた、そのイメージなのだろう。「今はちょっと多すぎて、よくわからん。中途半端な作家は消えろよ」とも聞こえる。かなり過激で、すごく面白い。そして、いま「俳壇」というとき、田島さんの把握はしっくりこないこともない。俳壇とは、どうでもいいような作家が足の指まで使っても足りないくらいたくさんの数、「有名作家」の顔をしている場所のことのようなのだ。
ううむ。「作家の間引き論」というと過激ですね。そんな過激なことを言っているつもりはないのですが、いつも思いつきで発言しているので、それを総合すると、そういう印象になってしまうのかも。「ちょっと多すぎて、よくわからん」は、確かにそう。「多すぎてうんざり」という印象です。でも、「中途半端な作家は消えろよ」までは思ってないです。ほんと。
で、ついでに「俳壇」についての所感です。
集団っていうのはどうも有機的にとらえられる傾向があって、特に近年、その傾向が強いように感じます。俳壇にかぎらず、企業や国家、民族というものも含めて、集団に名前がつくと、その名前がひとり歩きしてしまうような・・・
日本人が「いまの日本人は、ほんと日本人らしくない日本人になってしまった」などと言うような、冗談のような論調が意外と聞こえてくるような気がするのは僕だけでしょうか。
俳壇という器の中に、俳人という人たちが盛られているようなニュアンスで語られることが多いですが、これは錯覚なんじゃないでしょうか。(天気さんの言う「想像上の社会空間」というのがこれなんでしょうか・・・)
俳壇とよばれる上田さんが言うところの「ギルド」の中に所属する俳人が1人もいなくなった場合、あたりまえのことながら俳壇という器は消えてしまうわけですね。
上田さんのブログで、アヤカさんとのやりとりから『新人賞は「俳壇」への就職試験かもしれない』と書いておられますが、ここでは、やっぱり「俳壇」という器が想定されているような気がします。きっと、ここで言うところの「俳壇」というのは「総合誌」やそれを含めた「俳句の本流」ぐらいのニュアンスなのかな、と感じたのですが、どうでしょうか。
長くなりそうなので、つづきます。
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