2009/1/28

ネパール紀行(7)  旅日記

12月29日(月)







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朝7時 ようやく明るくなる。カーテンを開けると白いヒマラヤ山脈が見える。
今日はアンナプルナがまじかに見えるダンプスまでの1泊トレッキングの予定である。朝の散歩途中においしいコーヒーとパンの店を見つけ、ゆっくりと朝食をとった。宿に戻るとタクシーがとまっていたので、40分後の10時に来てもらい、山歩きの昇り口フェディまで行ってもらうことにして、急いでパッキングし、荷物をあづけて出発する。タクシー代600ルピー。



フェディからは急な登りの石畳の階段をひたすら歩く。標高900メートルのポカラから1799メートルのダンプスまで900メートルの登りである。段々畑の間をしっかりと作られた生活道路である石畳は、急峻であることを忘れさせるほど歩きやすい。途中ポカラの盆地を振り返りながら、森の坂道をひたすら歩くと、樹がさらさらと揺れ葉が下に落ちた。夫が「猿だ」と言って指差した森の樹上を見ると、尾の長い猿がいた。カメラにしっかり収めたところで、子ザルがやってきて、親子一緒に森のむこうに移動していった。



小さな集落を過ぎ、ひたすら歩きつづけると、しばらくして、にこやかな女性が崖の上にいた。4人の女性たちが旅行客相手に宝石類を売っていた。商売上手の彼女たちから、写真を撮らせてくれたお礼の気持もあり、ついついたくさんのネックレスやイアリングを買いこんだ。後ろから重そうなかごを担いだ女性が裸足で石畳を歩いてゆく。たまに石畳を降りてくるトレッカーと出会う。



12時過ぎ休憩をとるため、道をそれて石垣に腰をかけて弁当をひらきつつ、登ってきた山坂を振り返ると、谷間の深い渓谷と山の稜線が昼の光にかすみつつ浮かび上がる。坂道の両側にはどこまでも広がる段々畑が、天にもとどきそうな高地から、谷底へと落ち込むように続いている。その中に土とわらと石で作られた田舎家が点在し、庭に牛が飼われ、主婦らしい女性が餌を与えていた。


菜の花が咲く段々畑と生きものと人の暮らしが見事に調和した風景は、この世の楽園のような平安と美しさをたたえていた。そこに住む人にとっては、水道も電気もないこのような暮らしは、楽ではないかも知れないとしても。



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私たちの後から早い足取りで登って来た2人の女性が、「ナマステ」と言って話しかけてきた。自分たちはチベット避難民であること、1969年に国を追われて両親がネパールに逃げてきて以来、自分たちにはパスポートはなく、避難民許可証を持っているだけだということ、自分たちの生活は行商して歩くこと以外にはないのだということ、子どもたちを育てるため毎日この坂を上り下りしているのだと語った。

二人の表情は明るく美しかった。1人は37歳、もう一人は50歳だと云った。私の年齢を聞き、あなたにはしわが全くない、彼女には額にしわがいっぱいだ、あなたは幸運だ、と言って笑っていた。


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ダンプスの情報をいろいろ教えてくれ、たくさん宿があるから、見てから気に入ったところを選べばいいと教えてくれた。2時ころにようやく真向かいに標高7000mのマチャプチャレやアンナプルナが見える宿に泊まることを決めた。

ヒマラヤを仰ぐテラスでお茶を飲み、周りを散歩した後、彼女たちが商売すると言っていたホテルへ行こうとしていた時、ちょうどふたりが通りかかった。彼女らは庭先で赤い布を広げ、次々に商品を出して、これはどう、本物よ、本当にいいものよ、などと言って奨めた。私たちは彼女たちから買い物をすることで、支援したいと思っていたので、ほしいものは値切らず、次々と買った。

最後に彼女たちは「ほんとうにうれしい」と言ってとても喜んでくれたので、わたしたちもうれしかった。お礼だと言って自分が作ったベルトを1本づつプレゼントしてくれた。私と一緒の写真を撮ると、後で送ってくれるようにと自分たちの難民キャンプの住所を教えてくれた。難民暮らしの彼女たちの明るさが、とても印象的だった。



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夜になっても電気はつかず、ろうそくの明かりで、厚着をして寒さに震えながら食事となる。食事が用意されるのを待っていると、山のホテルの隣の家で、子どもの朗誦する声が聞こえてきた。ろうそくの明かりをともし、教科書がよく見えるようにうつぶせに寝ころびながら、お経を読むようにその子は勉強していた。

そばに近寄ると英語の勉強だった。小学校2年くらいの男の子のように見えた。“A Frog jumps. A horse runs.  A cow gives milk. ”などという英語の文章を絵と一緒に発音し覚えていた。


いい教授方法だなと思った。丸ごとイメージとして英語の構文と表現を覚える、それも小さい時期に覚えこむことは効果的だと思った。私が発音をしてみせると、自然に私のあとについて練習していた。

ネパールでは国語(ネパール語)以外は小学校から英語で教育をするそうである。帰国後日本で知ったことであるが、ネパールにはネパール語以外にさまざまな民族の言葉(カトマンズ盆地に多く住むネワール人のネワール語をはじめ)が話されているそうである。




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2009/1/23

ネパール紀行(6)  旅日記

12月28日(日)









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今日はカトマンズからポカラへの移動日。8時にチャーター車が迎えに来て、ポカラのホテルまで移動する。主要都市を結ぶ幹線道路とあって荷を高く積んだ大型トラックやバス、中型自動車などが、途切れなく往来していた。運転手はくねくねした道路でもスピードをあまり落とすことなく、上手に早く運転していた。すれ違うには道路が狭いところもあり、ひやひやすることもあったが、その割に交通事故がない様で感心していたところ、帰り道で、トラックが荷崩れを起こし横倒しになったり、車輪を溝に落としたりしている車を見かけた。


6時間ほどのドライブで2時半から3時に宿であるペンション・ツーシタに着いた。ポカラは標高800〜900メートルの盆地にあり、カトマンズから比べて300メートル低地にあることもあって、かなり暖かいと感じた。もちろん夜になると冷え込むことはカトマンズと同じである。


ポカラのホテルは今までになく快適だ。お風呂もある。景色もいいし、雰囲気もいいし、食事も日本食がおいしい。このホテルのオーナーは詩人でもあり、私はウェブサイトでその英詩を読み、彼に関心を持ったことからこの宿に決めたのだった。ネパールは海抜60mから8000mのバラエティに富んだ地形を持ち、美しい景観、ヒマラヤから流れる豊かな水がありながら、また冬でも暖かく作物の実り豊かなこの国が、世界の最貧国であるのはなぜなのか、と彼は自国の政治の貧困を憤り、自分は何をなすべきかを考えている。彼は日本語を読み書き話し、メールでのやり取りも日本語であった。地元の日本語学校で学んだそうである。あとで聞いたことであるが、彼は23歳のころポカラのトリブバン大学で英語を教えていたそうである。鬼才のようである。


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ポカラは今日から5日間フェスティバルだそうで、たいそうにぎやかだった。
にぎやかな鉦や太鼓の音楽に合わせ人々が行進し、ゾウもねり歩いていた。ホテルの前で若い蛇使いが私を見て、コブラのかごを開いて見せた。そばにいた年寄りの蛇使いも、次々笛を鳴らしてコブラ踊りを始めた。ほかの見物人たちが集まり、若い蛇使いが私を呼び、首にコブラを巻きつかせ、夫に写真を撮らせた。そして耳に2000ルピーと囁いたので、わたしは100ルピーを渡して退散した。他の老人の蛇使いもお金をとりに来たが、100ルピー紙幣がなかったので離れた。1000ルピー札を小さく崩して老人の蛇使いに渡そうとした時には、蛇使いの一行は移動していなくなっていた。


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観光客相手の店や露店が連なる通りを、かね太鼓の後を追っかけながら、店に立ち寄っては買い物を楽しんだ。ゾウの絵を刺繍で縫いこんだ壁絵と、テーブルクロスを買った。2500ルピーと4500ルピーを合計5200ルピーで交渉成立。露店で暖かそうな美しいヤクの羽毛でできたブランケットを1枚400ルピーで2枚買った。その他木彫りの仮面も気になったのがある。後日見に来るつもりだ。夫はポカラから眺めるヒマラヤ山脈のポスターを2枚600ルピーで湖畔の観光客に売っている若者から買った。





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2009/1/21

ネパール紀行(5)  旅日記






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12月27日(土)

8時にチェックアウトをして、広場でカトマンズ行きのバス乗り

場を確認してから、徒歩10分ほどの古都パナウティの遺跡を

訪ねることにした。広場にはもう、野菜や果物を売る近隣の

農家の女たちや、落花生を売る少年、衣類などを売る男たち

のバザールが開かれ、もの売りや子供や犬でにぎわっていた。

その人混みを抜け、田舎道を通り、水場に金属製の水がめを

もって水汲みに来ている少女たちを通り過ごして、川沿いを

そぞろ歩く。



青空がまばゆい美しい朝の空気を楽しみながら歩くと、逆光

に黒くシルエットが浮かび上がるつり橋と、河畔の古い寺院

の静かなたたずまいが目に入ってきた。クリシュナ寺院であ

る。水辺に姿を写す古の寺院は、現存の時間というよりは、

それを超越した自らの内省的な時間を生き続けているように

見えた。

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つり橋を渡るとそこはいくつもの古い寺院が現在の人々の生


活と寄り添うように建っていた。しかしそれは今の人々の信


仰の対象としてあるようには見えなかった。13世紀に建てら


れたというネパール最古の寺院の一つ、シヴァ寺院は、


1988年の大地震で寺院が崩壊しかかったのをフランス人に



よって修復されたというが、その寺院建築や屋根を支える


木造彫刻は見あきることがない見事さである。それは現在


のネパール人の宗教の中に生きているというよりは、


人びととはかかわりなく古の永遠の時間を生きているよう

に見えた。


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シヴァ寺院のそばの石畳の小道に、旅行者と見るとだれかれ


なく、お金をくれと手を差し出すこぎれいな身なりの老婆


がいた。2回目には彼女をやり過ごして、そばを通り川の縁


の寺院にゆく。そこは現在でも利用されていて、古寺と隣


り合いながら、いまも人々の暮らしの中に生きている川が

人々の祈りを新たにしつつ生き続けていた。古の祈りの地


には、今も川辺で死者を焼いたばかりの黒い煙が立ち上っ

ていた。

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その同じ川で、たくさんの女たちが川辺に集い洗濯をしてい

た。日曜日とあって子供たちも一緒に洗濯をしたり水浴びを

していた。また女たちが連れ立って、洗い上げた洗濯物を


晴々とかごに入れて、頭の上に乗せて運ぶ姿が畑の畔道を


歩いてゆく光景が、まばゆい太陽の光に透けて見えた。

小道で数頭の山羊を追う少女に、英語で話しかけると、

恥じらいながら上手な英語で答えてくれた。

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川沿いの平原には畑がひろがり、この季節は農繁期らしく、

一家一族総出で畑の地起こしをしたり、種をまいたり、忙し

く働いている人の群れがあった。川を見下ろす段々畑や丘の

上の家のそばには赤いサリーをまとった女たちや子供や男

たちの小さな人影が、広々とひろがる青い空に美しく映え

ていた。

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タグ: ネパール 古寺

2009/1/20

ネパール紀行(4)  旅日記






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12月26日

朝8時、タクシーで1時間半の峠の町デユルケルへ向かう。古都ネアール朝の寺社とレンガ造りの崩れかけた建物に暮らす現在の人々の 息づかいを見て回り、次の日は古都デュルケルを後に、段々畑とヒマラヤの山並みを見ながら、ふもとのもうひとつの古都パナウティまでトレッキングをするためである。ホテルの前のバス停あたりで、ガイドを申し出た若者に、2日間25ドルでガイドを頼むことにした。

狭い路地を歩きヒンズー教の寺社の建築、人々の暮らし、垢だらけではあるが屈託のない明るい表情の子どもたちの間を通る。旅行者の通る地方では「写真を撮って、1ペニーちょうだい、甘いものちょうだい」と寄ってくる、汚れなきかわいい子どもたちについてまわられる。



そのような街を外れ、大きな菩提樹の下でミカンを売る女たちを通り過ぎ、緑の階段が1000段も続く丘を登ると、晴れた日にはヒマラヤの白い山並みが見えるカーリー寺院に着いた。あいにくガスがかかってヒマラヤの霊峰は見えなかったが、峠から見る雄大な段々畑や、放牧されている牛やヤギや子どもたちや老人たち、女や男たちの、平和な暮らしぶりには、生の実質というものを感じた。


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帰り道、頂上近くの小さな山道を歩いて、ガイドが私たちを連れていったのは小さな田舎家で、2人の子どもが山羊と一緒に家の前で遊んでいた。そばに赤い布を身にまとった女性がいた。ガイドのイスワールの住んでいる家だという。彼の母親だという女性が椅子を出してきてくれ、イスワールは細工職人である父親の作品を売る手伝いをしているとして、水牛の骨に鋼を施したナイフやクジャクチョウの置物や、キーホルダーに使えそうな小物を見せてくれた。一生懸命に生活している人々への敬意と、手作りの営みの価値を受け止めたいという思いから、私は2000ルピーでそれらを購入した。


その後イスワールは自分たちの質素な家に案内した。土間に小さな竈があるだけの台所、たったひと部屋の寝室、二階に若夫婦の部屋があるようだった。
彼の妻と3歳半の子どもは、彼女の父親の葬式のため留守だと言っていた。そこに遊んでいた2人の子どもたちは彼の甥と姪なのだということだった。

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12月27日

朝8時半、約束通りガイドとパナウティへのトレッキングを始める。
まずバスで15分ほど下り、そこから山を登ったり降りたりしながら、チベット仏教の聖地ナモーブッダを目指す。雄大な段々畑が延々と続き、その中に点在する小さな家や人の影、赤い布をまとった女の色彩の鮮やかさ、黄色い菜の花畑・・・それらはまるで地上の楽園を思わせる優美さと安らぎを与える光景であり、ネパール初日に目にした、首都カトマンズの地獄絵図と対称をなしていた。


ナモーブッダでは200人の僧侶修行の若者や僧侶が暮らしている。赤い僧衣をまとった少年たちが、宿舎の庭で楽しそうに遊んだり、集い語りあったりしていた。5色の旗が山の頂上に無数にはためいて、そのめくるめく光景は壮大な宇宙模様を感じさせた。風にハタハタとなびく無数の旗のむこうの頂上に、3人の僧侶の黒い影が動く光景は詩情を感じさせるに十分だった。


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急な山を降りる途中、ヒンズー教の寺院に立ち寄る。シバ神を祭るこの寺院は毎年1月満月の宵に一日中火を焚き、踊り、マリファナを吸うのだとガイドが説明していた。髪の毛が2メートルもある神社の守りである聖なる男性が姿を現したので、敬意の挨拶を示した。

山道を下る途中、空が曇って来た。段々畑を眺め、民家のそばを通りすぎつつ、幸せな気分が満ちてくる。家の前には子どもたちが遊んでいて、年寄りたちが見守っていて、鶏やヤギや牛や犬たちが人間といっしょに、自由に餌を食み遊び、親子で睦あっている。
パラパラと雨が降りはじめた。サク―という村に着いたとき、運良くバスが来て、パナウティへ向かった。

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3時ころホテルパナウティに到着し、お茶を飲みながらイスワールに2日分のガイド料30ドルを渡すと、非常にうれしそうな表情をした。25ドルに値切ったのだが、彼の人柄の良さに対して私たちの気持ちがこもった5ドルだということが互いに分かり合えたしるしであった。

夫は持ってきた双眼鏡を彼にプレゼントした。このような心の通い合い(その反対の孤立、疎外感)は、目には見えないいのちの流れと意味の世界を形成しているのだと感じた。私たちはイスワールが彼の周りの家族や友人たちや、ネパールのための力になることを信じることができた。






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2009/1/17

ネパール紀行(3)  旅日記

12月25日








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昨夜夕食後、8時には寝、午前1時に目がさめ、カトマンズ2日目の印象を記すことにする。

第1日目でのカトマンズの都市の幻滅とショックが冷めやらず、連れである夫は街から離れたい一心で、中心地観光は避けて、パタンへ行くことを主張した。
ホテルの前に停まっていたタクシーと交渉して、300ルピーで20分ほど走ったところにあるパタン宮殿へ行く。今日は車道も広く、交通は滑らかに進んでいった。相変わらず交通量や人は多く、スモッグと埃が白く街をおおってはいるが、昨日のような混乱渋滞はなく、路傍の浮浪者たちの群も見受けられなかった。
川沿いの環状線道路を通ってゆく。その川を渡るとき、ちらっと見えた河川敷には大きなスラムが形成されていた。橋を渡ってからまだかなり走ったあと、古都パタンの宮殿に着いた。宮殿広場の入場料は一人500ルピー(別に博物館の入場料は500ルピー)だった。

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赤レンガに黒っぽい屋根、ひらひらのフリルが軒下になびいている宮殿の集まりが、青い空に美しく映える光景が、清涼感を与えてくれた。広場に沢山の人が群れていることには変わりはないが、建物や広場の様子には埃っぽさはなかった。いくつもの宮殿を見て歩き、ヒンズー寺院の内部に入ることが許可されている寺に上り、広場で店を広げている商売人と値段の交渉をしつつ買い物を楽しんだ。露店を見ていると必ず押し付けられるが、こちらも値切る楽しさもあり、私は石のネックレス類を約半値に値切って、全部で5000ルピーの買い物をした。夫は山小屋に使いたい、ブロンズ製のドアノブを2個買いこんだ。クジャクの彫像のノブとゾウの彫像のノブだ。重く大きいが夫が気に入ったもので、値切って20ドルと10ドルで満足していた。

広場を通り抜け、お茶屋さんやレストランがある路地に入り、ゴールデンテンプルという名の寺院やその他の散在している寺を、人々の生活圏を歩きながらそぞろ歩きを楽しんだ。今日は1日ゆったりと時間を楽しむ予定であった。相変わらずクモの巣のように電線が無数に垂れ下がった電信柱は見受けられたし、小さな広場に日差しを浴びて昼寝をしている犬たちは、平安そうではあったが、どの犬も皮膚病にかかり、毛が抜けていた。夫は「犬のジステンバーで、みんなにうつるんだ。治らないで死ぬだろう」と言った。

小さなお茶屋さんに入り、お茶に目のない夫はお茶を少々買い、若い店員さんの入れてくれたお茶をいただいた。その若者はたいそう日本語が上手で、聡明そうな穏やかな表情の若者だった。その隣のマネーエクスチェンジで、1万円をルピーに換金した。昨日よりも40ルピー円高になっていて、1万円は8390ルピーであった。

広場への戻り道、宗教美術の店に目がとまり、入ってみた。見るだけのつもりであったが、以前から関心のあった曼陀羅絵図や、仏陀涅槃図、輪廻転生図など、次々に見せてもらううちに虜になってしまった。やわらかい人柄のお店の人は、学生の描いた絵を見せ、それから巨匠の絵を比べて、その質の違いを教えてくれた。巨匠の絵はさすがに心をひきつけるものがあり、目移りするほどであった。この人は店主であり、向かいの美術学校の先生でもあり、この作品の作家である巨匠であることが分かった。デブ・クマール・ラマという作家で日本やタイその他の国で個展を開いたり、章を受章したり、日本の筑波にきたこともあるそうである。
彼の絵は本来はもっと高価なのだが、ここでは自分で売るからあまり高くないと言って、120ドル、140ドル、170ドルの値段の宗教画を、3枚で370ドルの割引で売ってくれた。1枚を仕上げるのにどれくらいの時間がかかるのですかと尋ねると、1ヵ月半かかったとのことであった。私たちはいいタンカ(仏画)は1枚数万円すると聞いていたので、1枚の値段で気に入ったタンカを3枚手に入れることができ、しかも作家の手ずから購入できたことをうれしく思った。

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途中から若い助手のような男が次々と作品を見せ、マスターの手伝いをしていた。ラマ氏は店主であり美術学校の先生でもあり、若者は彼の学生でもあるということがわかった。私たちは向かいの美術学校に案内され、そこで彼の描いた絵などを見せられた。妹の夫である義弟が彼の絵が気に入り、77ドルで1枚買った。先生も若者も義弟も私たち夫婦も、そのアトリエ兼学校のカウンターで、ネパールティーをごちそうになりながら、みんなハッピーな気持ちの輪に包まれていた。
他に2人の学生がアトリエで絵を描いていた。


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若者の名はプラカシュ、26歳であるが2人の子どもの里親であると言った。彼らはチベット難民の支援活動もしており、歩いて20分ほどのところにあるチベット織物工場に私たちを連れていった。彼の作品を買ってくれたお礼に、いいレストランやパタンの街の案内を買って出てくれたのである。まず、外国の大使も食べに来たという、ネパール式お好み焼きのお店に連れていった。昔懐かしい手作りのお好み焼きをたいそう庶民的な土間のような場所に座って食べた。おいしかった。

腹ごしらえの後、織物工場への30分ほどの道のりを歩きながら、彼はいろんなことを話してくれた。彼は結婚はしていないが2人の養子を養って学校に通わせているのだと言った。彼自身が子供のころ、父親を亡くし母と弟との貧しい暮らしをしていた時、今の仏画の師匠に出合い、彼の教育費を出してくれて高校まで出たとのことだった。彼が流ちょうなきれいな英語を話すのは、学校での教育とトレッキングのガイドをして身につけたものであるらしい。
利発な彼であるが、彼がもっと若いころいたずらで仲間とマリファナを吸ったことが師匠の知るところとなり、彼は師に呼び戻され、弟子として仏画の修行をするようになったのだと語った。今は3、4、5月と10、11月にヒマヤラ・トレッキング・ガイドをし、それ以外は、店の手伝いやタンカの製作の仕事をしており、村から母を呼び寄せて一緒に暮らしているとのことだった。

私はこの話を聞いて、幼い頃の虐待の体験が次世代に虐待を繰り返す「悪の連鎖」が問題となっているある国とは対照的に、他人の恩を受けた人が、その恩をさらに次の世代に返してゆく、善意の連鎖のよき実例を見た思いがして感銘をうけた。ネパール人の徳性の高さを知り、悲惨なネパールの姿に打ちひしがれていたわたしの心は、次第に癒されていった。この二人のみならず、ネパール人の道徳心に根差した、穏やかで人懐こい人間臭さは魅力的であり、それは壮麗な山岳をいただいたこの地の自然と、そこから生まれた宗教を彼らの人柄に写し取って生きているからであるように思われた。


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2009/1/10

ネパール紀行(2)  旅行









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12月24日(水)

カトマンズ2日目の未明、まだ暗い5時過ぎに、タメル地区の

インターナショナル・ゲストハウスの5階の一室でこれを記して

いる。赤紫のブーゲンビリアの花が踊り場に豊かに咲いている、

カトマンズ中心部の宿の夜明けは7時にならないと訪れない。

電力事情は極めて深刻で、水力不足のためネパール全土で1日

12時間の停電があるのだということを、このときはまだ知らなか

った。この日も午後5時から10時まで停電となった。

電気とシャワーが24時間当たり前に使える国から来たものに

とって、軽いカルチャーショックである。ろうそくの明かりは

好きではあるが、夜の長い冬、ろうそくの光では本も読めず、

パソコンを使うことも不自由である。おまけに昼間はあたたか

いが、夜になると摂氏5度程度の寒さになり暖房がないとくる。

重ね着をしてベッドに入り込み、夜中に電気がついたころ、パ

ソコンを出してその日の記録を取るが、再び停電になり中断

し眠りなおす、というはめになる。



昨日13時前ネパール空港に着いてから、入国審査ビザ発給を

澄ませて空港の外に出たのが14時半すぎ、ホテルまで迎えの

車で1時間ほど市内を通りやっと15時半ごろにホテルに落ち

着いた。夫と義弟との3人でのネパールの旅である。友人で

あるネパール系アメリカ人の大学教授の、ネパールでの学校

建設事業に協力するための下見が、主な目的である。

  

初めてのネパール旅行に、期待を弾ませて降りたカトマンズ

の光景は、筆舌に尽くしがたい、言葉が出ないほどの荒廃ぶ

りであった。まず白い埃が町全体を覆い、乾季の道路沿いの

樹木は、砂ほこりをかぶり真白に枯れ、道路や道端には、街

路樹と同じく砂埃で白い亡霊のような人々の群が蠢いていた。

車やオートバイが道路を埋め尽くし、信号もない車道を交通

中巡査が手信号で車をさばいている。膨大な人口をさばきき

れない、都市機能が麻痺した都市の光景がそこにあった。と

はいうもののアクロバットのように、そんな混雑がそれなり

に動いていることは、驚異でもあった。



子供が停止した車にお金をねだりに来る。車窓から見る物売

りの群。食うに困った農村から都市への人の波が、うねるよ

うに路上にあふれている。なんとかして食いつないでゆかね

ばという、生存ぎりぎりの人の波を見た。同行の夫は、20

年まえのスーダンよりも秩序がなく貧しいと、ショックを覚

えながらやっとの思いで口に出した。わたしたちはホテルに

着くまでほとんど無言で、地獄のような現実の姿に声をなく

していた。



疲れ切った心と体を、ホテルの中庭でネパールティーを飲み

ながらいやした。今後のカトマンズでの旅行日程について話

し合った後、観光客相手の店が並ぶタメル地区を歩く。観光

客に物を売りつける人に付きまとわれ、ネパールの民族弦楽

器を一人1個づつ買うはめになった。楽器を持って歩いてい

ると、カモだとみなされ次から次へと物売りがついてくる。

断っても断っても彼らは必死で売ろうとする。とうとう根負

けしてCDを一枚5ドルで買った。出身を尋ねるとその男性は

ポカラ近くの村の出身だと言っていた。生きるのに必死の様

子が表れていた。しつこいけれど粗暴であるとか、危険な態

度は見られなかった。かれらはみんな必死だった。安心でき

たのは、彼らの心の荒廃は見えなかったことだ。



初めてみたネパールの国情は荒みきっていた。いつ暴動がお

こっても不思議ではない、無秩序と混乱が支配していた。危

ない状況に綱渡り、電力・貧困・国情不安のぎりぎりのバラ

ンスをやっと保っているという風に見えた。しかしただ一つ

の救いは、まだ人の心が秩序を保っているということ、古く

からのヒンズーや仏教の倫理観や宗教観が人の心を守ってい

るようであることだ。しかしそれを失ったとき、何が起こる

か。現在の為政者たちはこれを止める力を持っていない。あ

る一点を通過すると、あとに戻れない状況が来る、一触即発

の状況であると感じられた。



空港から宿に来る途中通過した、古の栄光を語る古都の寺

院は埃だらけで、有象無象の浮浪者たちの溢れる光景の中


で、荒んだ過去の遺物のように崩れ落ちそうに立っていた。

古き善きものの崩れかかった光景、見捨てられた過去の栄

光の残骸のようにしか見えなかった。日本から来た旅行者

の目には、大都市の活気を感ずるというよりも、町全体が

スラム化しているというショックにとらえられていたのだ。


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2009/1/9

ネパール紀行 1  旅日記







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私の初めてのネパールへの旅は、この夏ミシガン州立大学のM・S教授と知り合ったこと

から決まった。ネパール系アメリカ人の彼は精力的に大学の教育と運営に情熱を燃やす

と同じ熱意で、故郷ネパールの高校建設の夢を語ってくれた。10,000ドルで2クラスか

らなる校舎を1棟建てることができるという彼の夢に私は協力することにした。彼を通

して私の所属する大学とネパールとの教育提携の夢の実現可能性を調査する目的もあ

る。


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 これまでネパールについての本は一冊も読んでおらず、政治にも経済にも疎く、ヒマ

ラヤ・エベレストの国という、漠然とした憧れだけがあったのみである。

2週間余りの、初心者が見たネパールの旅について書く内容は、見当違いの感想である

かもしれない。

しかし最初の印象が本質をとらえるということもある。これは私のネパール初体験の記

録である。アジアの国への最初の旅でもある。



2週間の旅のあと、私はネパールの政治経済状況は惨憺たる状況であると感じたが、会

う人はみな、素晴らしい人間的魅力を持っており、そのことに深く癒される自分を発見

している。私はこの国の人びとの徳性に深く心ひかれた。この国の文化と歴史と現在に

ついて、もっと知りたくなった。



T 女満別から関空へ

12月x日



図面のようにきっちりと描かれた

畑と森の白い区画がうす雲の下に見える

白と黒の製図の中を

蛇のような黒い帯がくねくねとうねり

それが川であることを告げている

白い図面の真ん中に

ヒイラギの葉のような黒い形が幾筋か見える

山の尾根のようだ

白い雪に包まれた地上の図面

その上には白銀の雲海が

白昼のまばゆい光をさんさんと照り返し

女満別から関西空港へと機上の私を運ぶ


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2008/12/22

旅立ちの朝  散文・徒然草











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旅立ちの朝




雪の朝
窓の外は新雪で真白
朝日も今日はお休みです
小鳥たちの餌台も白い雪が冠っています
庭の木の枝にはもう、
カラや雀たちが早く早くと待っています
大胆なゴジュウカラは
わたしの手のそばまでやってきてせかせます




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雪を払って
今日はたっぷりとひまわりや穀物を台の上に置きました
今日から南の国へ旅に出るのです
2週間、小鳥専用の
湖畔のレストランはお休みです



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皆様しばらくごきげんよう
インターネットが使えるならば
ネパールからご報告いたします


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2008/12/13

雪の朝と満月の宵  






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12月12日朝7時

目がさめ北の窓を見ると

外はこんもり雪景色

夜のあいだに降りつもった雪に

すっぽりつつまれた庭のヤナギが

赤い光に輝いている

子供のように寒い外へ飛び出すと

東の黒い木立の間から

金色の太陽のお出ましだ





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午後3時半すぎ

日没前のバラ色の空に満月を見た

凍りついた地上をみまもる

満月のやさしさ

坂の上から湖畔を通り家に帰ると

北東の空には 

湖上に輝く月の影





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12月13日朝4時半

北の窓には

月光に照らされた雪の屋根と

明るい満月の夢舞台

凍てついた外に出ると

北西の空に冬の満月が

静かな笑みをたたえ

白雲を従えて逍遥している

まだ暗い湖岸の白鳥の群れが

何やらグアーグアー大声で鳴いている

明るい月の光をあびて

白樺やヤナギの黒い影が

雪原に長くのびている


2

2008/12/6

ゆきんこ  

ふうわりふわり

小鳥のように

枯れ葉のように

ゆきんこがまいおりる



ふうわりふわり

ほたるのように

わたげのように

ゆきんこがおどってる



ふうわりふわり

わたしの庭に

ゆきんこがまいおどる

音もなくそっと

いつの間にか庭に

白い雪のきれいな

レースが敷かれた



ふうわりふわり

白鳥のこえがきこえる

わたしの庭に

空から無数に

ゆきんこが落ちて

白い雪のやさしい

ふとんにおおわれる



ふうわりふわり

幼女のわたしは

しろい夢のとき(時間)のなかで

しんだ母と一緒におどる



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