アメリカの鱒釣り
リチャード・ブローティガン
新潮文庫 藤本和子訳
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ふむ。なんとも不思議な本でした。
裏表紙の紹介文によると
「街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた<アメリカの鱒釣り>の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことばで、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作」とのこと。
うーん。ひとつひとつのセンテンスはたしかに平明な言葉かも知れない(日本語に訳してあると、それすらも今ひとつぴんと来ないのですけれど)。だけど、すべてが唐突に始まって唐突に途切れる感じで、一つながりという感じが薄いので、なんだか不思議な手触り。一つながりの意味を持たないという意味なのかな?そこへもってきて、はっきりと定義のない「アメリカの鱒釣り」というシロモノが投入されて、またなんだか不思議っぷりがアップしてしまう。
帯にある柴田元幸氏の「翻訳史上の革命的事件だった」というのは、たしかに発表当時はそうだったのかも知れないなぁと思うんだけど、そういう歴史的な衝撃度を除いてみると、大興奮するほどスゴイ作品なのかどうかは分らないなぁ。じゃあ、つまんない作品なのかと言うと、これがそうでもないのね。大興奮は全然しないけれども、じわじわじわじわと繰返してゆるい波の様にアメリカの鱒釣りの匂いが伝わってくる。ええ、「アメリカの鱒釣り」が何なのか、はっきりとは分らないままに。
ブルーカラーの悲喜こもごも、あるいは古き良き時代のアメリカの田舎の佇まい。ストーリーはないものの、読み進めていくにつれて、そういったものの温かみや深みがじんわりと感じられます。これが答えだ!というものはないけど、そんな感じ、これがいいのかなぁ。少なくとも私はそれがいいなぁ。
それにしても、アメリカに限らず、釣りという言葉、行為は何かしら郷愁を感じさせるように思います。何だろね。場所はやっぱり川です。海釣りではなくて川釣り。バス・フィッシングでは郷愁は沸かない。やっぱりどこか甘酸っぱいノスタルジーは川釣りだけかなぁ。まあとにかく、思い出の中にだけあるというノスタルジーではなくて、残っているモノの中にうっすらと失ってしまったモノの影が重なるような甘酸っぱさを感じました。