母
高行健(ガオ・シンヂェン)
集英社 飯塚容訳
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ノーベル文学賞受賞作家の短篇集ということで、割と期待していたのですが、巻頭にある表題作「母」を読んでいきなり気持が盛り下がってしまったことをまず告白しておきます。ううっ、こういうのちょっとダメなんです。
Yahoo!ブックスの書籍内容に
「お母さん、僕を許してくれますか?すべての母のある子は涙する、哀切極まりない表題作他、作家初期から亡命までの8編。ノーベル賞作家の自選短編集」
とあるんですが、どうなんだ?泣けるのが普通なの?
自分を下げるだけ下げた口調でくどくどとあやまりながら、読者に分りやすく状況を描写してみせるというところに技巧を感じてどうも読んでて気に障るんです。母に対する主人公のホントのところの心情がいまいちわからない。狂おしいほどに母に語りかけているようなポーズの裏に、冷静な計算がある……気がする。願わくばこの作品が完全なフィクションでありますように、とまで思ってしまうぐらい嫌でした。
表題作についてがそういう感想になってしまったので、正直この後の7作はどうなんだろうなと不安でした。
「円恩寺」は半月の休暇を得て新婚旅行へ出かけたカップルのスナップ。いわゆる観光地としての寺でも、なにか謂れがあるらしいわけでもないただの荒れたお寺。
「公園にて」は久しぶりに再会した男女が公園で語り合うというシチュエーションを会話文とト書きで表わした作品。
「痙攣」は、沖で泳いでいた男が、突然腹に痙攣を起した、という話。
「交通事故」は、バスとベビーカーを取り付けた自転車との正面衝突の事故とその場の人々の様子を描いたもの。
これらの作品は、現代劇の一幕を抜き出して見せたような感じ。巻末の解説によれば、どうやら高行健自身が、この(厳密には、この短篇集の底本となった)短篇集について「ストーリーを語る意図がない」としているらしいので、ふーん、そうなんだ…と思うしかないです。でも、だからといって、ストーリーがなくても素晴しい描写があるとかという別の面白さがある訳でもないんですよね。ちょっとしたシーンの中で展開する人間の心の微妙なすれ違いとか、面白いと言えば面白いけど……。
この短篇集の中で、唯一とてもよかったと思うのが、「おじいさんに買った釣り竿」という作品でした。新しく開店した釣具店で、故郷の祖父のためにプラスティック製で十本継ぎの釣り竿を買う主人公の話です。現在と過去、幻想と現実がゆるやかに入り混じる流れが縦横に「故郷」のイメージを広げます。作中にただよう漠然とした不安感もなんとも言えず魅力的でした。
あとは、断片的な文章が切れ切れに並べられた実験的な「瞬間」という作品や、「花豆(ホアトウ)―結ばれなかった女(ひと)へ」という、中編が収められてました。この「花豆」は「母」に似た感じの、幼なじみの女性へ主人公が語りかけるという形式で、彼女の厳しい人生を振り返り、彼の人生を振り返るというもの。「母」ほどの嫌悪感は沸かないものの、「きみは」「きみは」と続くとなんだか気が滅入っちゃうな…と。
結局、私にとってこの短篇集は「おじいさんに買った釣り竿」という大きな収穫以外にイイナと思える作品がなかったです。なんだか微妙だなぁ。この短篇集を足がかりに、長編へ行こうと思ってたのだけど、うーん…悩むところです。