本日は文化の日、って一体何なのだろうか?文化勲章が授与される、というのが、この日の特徴なのだが、ではなぜ今日なのか?公式説明によると、日本国憲法が公布された日だから、ということなのだが、憲法については、実際に施行された5月3日が、すでに「憲法記念日」になっている。それを重ねて公布の日まで、ということになると、ちょっとくど過ぎるのではないだろうか。
歴史を遡れば、この日は要するに「天長節」その後「明治節」なのであって、明治天皇の誕生日なのである。昭和天皇の誕生日は、ご在任中は「天皇誕生日」、その後「みどりの日」、そして「昭和の日」へと名前が変わったのであるから、こちらもあいまいな「文化の日」などという言い方はやめて、「明治の日」と称した方が分かりやすい。
それにしても、明治天皇と昭和天皇の誕生日は、今日もなお国民の祝日であるのに対し、大正天皇の誕生日である8月31日は、夏休み最後の日だから学生は休みだ、という事情はあるにしても、なぜ祝われることが少ないのであろうか。天皇は、在任中から、知的能力に問題があるような噂が流れていた。大正時代に生まれた自分の母親も、そういう噂があったと話していたことがあるから、これは国民一般に広く信じられていた説だろう。
しかし一方では、そうではなく、彼は学校とか軍隊というような組織に組み込まれることを極度に嫌う人物だったため、為政者がそういう態度では困る、というような批判が宮廷や政府にあり、山県有朋などがいろいろ工作をした疑いも持たれている。最近なら「何とか性の何とか的なうつ状態」とかそれらしい病名がいくらでも付くのだろうが、当時のことだから、「ちょっとおかしい」というような噂になったものであろう。
実際、大正天皇と直接会った人々の証言には、気さくで実に良い人だった、というようなものが多い。むしろ、非常に知的な人物だ、との評もある。
人間として普通に生きることを拒絶されて、新興の軍事国家として西洋に伍して行かねばならない国家の元首としてのあるべき姿を強要された時、彼はむしろそれに抗い、精神的に疲弊した、というのが、実態なのではないかと思う。父の明治帝や取り巻き達が多くの女性と関係を持っていたのと異なり、彼は一夫一婦制に固執し、子宝にも恵まれている。国全体が非常識に満ちている時に、彼一人が正常だったとしたら、その人生はとても困難なものだったことであろう。
と、誕生日を祝われなかった天皇のことを振り返って、今年の文化の日の記事としたい。さて、これまで、ほぼ毎日アップして来た当ブログであるが、これからしばらくは、不定期にしかアップしないことになりそうなので、あらかじめ予告をさせて戴きます。それでは、また次回に。

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