鳩山首相が、国会で所信表明演説を行った。52分間にわたる演説は歴代の演説に倍する長さであったとのことなのだが、自分は紙面で読んだので、別に長さが問題とは感じられなかった。
むしろ、話には一貫したストーリーがあって、まさにこれが首相の「所信」なのだ、と納得させられた。冒頭から、夏の総選挙の話題だった。この議場に集まった議員諸君は、誰もが暑い夏の選挙戦で、有権者からの切実な声を聞いたであろう。我々は、その声を生かすためにここにいるのである、と当然だが新鮮な呼びかけから始まった。
そんなこと言われなくても当たり前なのだが、そこが国会議員の原点であると改めて強調したことは、極めて斬新だった。途中でも、選挙期間中に立ち寄ったチョーク工場の従業員から聞いた話などを織り交ぜる。そういう声を拾い上げ、解決のために努力するのが自分達の務めである、と議員たちに語る。まるで、優等生の学級委員長が、クラス会で自分たちのあるべき姿を語っているようである。
具体策に乏しかったとの評もあるが、これは「所信」なのだから、考え方、発想法を語る場であり、個別の政策は、法案審議で語れば良いことだ。そして、その話は、国と地方ということになると、もっと地方の力を付けるべきということになり、日本とアジアということになると、もっとアジア各国との協調を進めるべきだ、となる。優等生が、自分よりもできの悪いクラス全員のために、力になります、と宣言しているのが、「友愛」精神なのか、という気がして来た。
自民党政治では、安全保障と言えば、自分より力の強い悪者と、自分より力の強い味方(=アメリカ)がいる、というような構図で語られ、自身を被害者=弱者のように言うことが多かったように思うが、鳩山氏の話の中には、自分が弱者だ、という観点はない。日本の立ち位置は、既に他国より優位な場所にあり、それゆえに他国との「協調」が必要なのだ、という論旨は、読んですっきり分かり、他国の人々からも分かりやすいものだろうと思えた。
「戦後からの脱却」というのは、その昔よく語られたフレーズだが、自民党政権の構図では、いつまでも「戦後」を引き摺っていた。それに対し、鳩山氏の学級委員長然とした、お金持ちのお坊ちゃん然とした姿は、現在の日本を良く象徴できているような気がする。本当は金持ちなのに、こずるい目をして、「私どもは、敗戦国であり・・・」というような姿勢をされるより、むしろこうして、金持ちらしいさわやかさ、単純さを押し出した方が、相手も安心する。
鳩山時代、という新しい時代がはじまった、と言ってしまっては、歴史観としては、あまりにも先走りし過ぎているだろうか。

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